笠井さんが老人ホームに入った。 ほぼ日の老いと死特集 笠井さんが老人ホームに入った。 ほぼ日の老いと死特集
元ほぼ日乗組員の笠井宏明さんが、
老人ホームに入ったと聞いて驚いた。

12年前までは海外の工場とのやり取りなどを
ばりばり仕切っていた笠井さんだ。
ときどきお会いすると相変わらず姿勢がよくて、
しゃきしゃきしゃべるあの笠井さんだ。

「老いと死」の特集をやるまえから、
ぼくは笠井さんがなぜその判断をしたのか、
話を聞いてみたかったのです。
#2 老人ホーム
老人ホームへ着いたぼくらを
どんなふうに案内してどう取材させるかということを、
笠井さんは当然計画していた。



「まず、俺の部屋に荷物を置こうか」と
笠井さんはエレベーターへ向かう。
そしてその階に着くと部屋に入るまえに、
ちょっとここを見せておこう、と言って、
共有のベランダスペースへ続くドアを開ける。



出ると、冬のよく晴れた空の下に、
ひろびと景色が広がる。
おおお、と、ぼくとたぐちゃんはどよめく。
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ちょっと今日は曇ってるけど、
ここから関東平野が見渡せるんだよ、
と笠井さんは言う。



「ほんとうはあのへんにスカイツリーが見えるんだ。
あそこに赤い鉄塔がふたつ見えるでしょ。
あの間にあるのが筑波山、茨城県だね。
あっちのほうが松戸とか柏、千葉県。
天気がいいとあのへんに高島平のビル群が見える。
このへんからは富士山や箱根の山も見える。
神奈川県、三浦半島のあたりも、あのへんに。
で、あそこに見えてるのは埼玉スタジアム」



笠井さんは見えている景色に
エピソードを添えていく。
水路の開発の歴史、洪水対策の話。
なめらかでテンポがよく、
話にどんどん引き込まれてしまう。



そして笠井さんが指差しながら語る一連の話は、
遠い場所からどんどんぼくらのほうへ近づいてきて、
ベランダからはっきりと見下ろせる
近くの桜並木の描写で一区切りする。



「そこの水路に沿った木がぜんぶ桜なんだ。
30キロくらいの桜並木がずっと続いている。
たぶん、あと1か月もしたら、ずっと桜になる」



ベランダからの広々とした風景、
そして遠くまで続く桜の並木が、
笠井さんがこの場所を選んだ
大きな要因のひとつなのだろうということを、
ぼくは声に混ざるかすかな高揚から感じ取った。
そして、想像する。春の桜の並木を。



「で、俺の部屋が、ここ」



案内された笠井さんの部屋からは、
ベランダで説明された風景を
コンパクトに眺めることができた。
うわぁ、とぼくはまた声をあげる。
角部屋、いいですね、と言うと、
笠井さんはうれしそうに言う。



「どうしてもこの角部屋に入りたかったんだよ。
しかも、この部屋、施設のなかだと
一番ちっちゃいから安いんだよ」



使いやすそうなキッチン、
新しいテレビときれいなベッド、
大きな机とめちゃめちゃゆったりできそうな椅子。
ウォークインクローゼット。



壁には、ほぼ日のホワイトボードカレンダー。
やさしいタオルもかかっている。



笠井さんは数年前に奥さんをなくし、
ひとりでここに暮らしている。
娘さんがふたり。
ときどき遊びに来るという。



「じゃあ、簡単に館内を案内するんで、
荷物はここに置いて、
貴重品だけ念のために持って」と言いながら、
笠井さんは軽快に玄関へすたすたと歩いていく。
ぼくとたぐちゃんは
レコーダーとカメラを持ってついていく。



13階だての老人ホームには、さまざまな施設がある。
大浴場、クリニック、食堂、ヘアサロンなんかもある。



「外に行けなくなっちゃった人たちとか、
ここで髪を切ってもらうんだ。
月に2回、女性の美容師さんが来てくれてね」



大勢が集まるホールでは、
習い事の教室になることもあるし、
ちいさな演奏会など、
季節ごとのイベントもあるそうだ。
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そこから向こうは‥‥と、
笠井さんはガラスのドアのある通路を示す。



「そこから向こうは、いわゆる、
ほんとうに『要介護』の人たちのスペース。
介護ステーションがあって、24時間診てくれる。
だから、自立できなくなって、
自分で歩けなくなったら、そっちに入って、
助けてもらいながら過ごすことになる」



そういったことをてきぱきと説明する笠井さんは、
どちらかといえばここで暮らすというより、
ここで働いているみたいだとぼくは思った。



じゃあ、食事しちゃいましょうか、
と言って笠井さんは食堂にぼくらを案内する。
そういった流れもメールに書いてあったから、
ぼくもたぐちゃんもちゃんとお腹を空かせている。
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「けっこう、食べ物、うまいんだよ。
これは単品だと700円くらいかな。朝が500円くらい」



そういうのは、その都度払うんだろうか。
どういうシステムになっているんだろう。
営業時間とかあるんだろうか。
ぼくらのようなお客さんは何人くらい来るんだろう。



ぽつぽつ話すうちに、
笠井さんはこの老人ホームについての
基本的なことを教えてくれる。
ICレコーダーは基本的に回りっぱなしになっている。



「ざっくりのイメージでいうと、
ここに入ってる人は、7割女性かな。3割が男性。
ひとり暮らしの人が多いね。
御夫婦で入ってらっしゃる人もいるけど、
10組くらいなんじゃないかな。
暮らしている人の平均年齢は、たしか86歳。
俺は76歳でここに入ったんで、平均よりずいぶん若い」



そう、そこが、
この取材の大きなテーマのひとつだ。
ぼくが切り出すまでもなく、
笠井さんはゆるやかに
その前提にあたる部分を話しはじめる。
そもそもの知識がなさすぎるぼくらを見越して。



「いわゆる老人ホームって、
入る人の健康状態と、
それから入って暮らすための料金によって、
だいたい7つくらいの区分に分かれるんです。



ざっくりのイメージでいうと、
グラフの横軸はその人の『健康状態』で考える。
まだぴんぴんしてて歩けて食べて行動できる人と、
認知症で介護がないと動けない人を両端にして、
動けるか動けないか、軽度か重度かで考える。



そして縦軸は『料金』。お金の問題。
年金だけで入れるようなところから、
特別なお金を払わなきゃ入れないところまで。
いろんなオプションのある私営のところもあるし、
比較的安めな公的なところもある。



その縦軸と横軸のなかで、
介護付き住宅型とか、分譲型高齢者マンションとか、
グループホームとか、ケアハウスとか、
7つくらいの区分に分かれてる。
そのへんは、老人ホームの検索サービスが
いくつかあるからざっと調べればわかると思う。



ようするに、自分の健康状態と予算によって、
どういうところに入りたいか、入れるか、
というところが決まってくるわけ」



不動産屋さんで部屋を探すのと似た感じですかと言うと、
そうそうそう、と笠井さんは肯定する。



「部屋探しと基本的には同じです。
写真とデータだけじゃなく、
実際に見に行かないとわからないのも同じだね。



で、部屋探しのときに
大家さんから審査があるように、
ここに入るのも審査がある。
老人ホームはけっこうそこが厳しいところが多い。



まず、この施設はね、ちゃんと自立できて、
自分で歩けないと入れない。
入ってから歩けなくなったら面倒を見てくれるけど、
入るときは、自分で歩けないとだめ。
あと、認知症のテストなんかもある。



老人ホームのなかでも厳し目だと思う。
でもね、入ると、ちゃんと最後までみてくれる」



そして笠井さんは、
まあ、このへんを言わないと
あなたの取材の意味がないだろうから、
という感じで、こうつけ加える。



「そういう意味でいうとね、
この老人ホームは、比較的、高いです」



うん、そうだろうな、とぼくは思う。
写真
(つづきます)
2025-03-19-WED