「老い」と「死」をテーマに、
集中的にコンテンツをつくっていきます。ひさびさにほぼ日が取り組む本格的な特集です。
簡単ではないテーマですが、
食らいついていくのでおつき合いください。
さて、そのはじまりに
これほどふさわしい人もいないでしょう。
解剖学者の養老孟司さんです。
鎌倉にある養老さんのご自宅を尋ねるとき、
糸井重里はちょっとたのしそうにこう言いました。
「養老さんはそんなに簡単に
死を語ってくれないんじゃないかなぁ」
果たして、そのとおりだったのです。
しかし、だからこそ、おもしろかったのです。
最終的に、養老孟司さんはこう言います。
「生死については、考えてもしょうがないです」
ええええ、そうなんですか。
そんなふうにはじまる「老いと死の特集」は、
いったい‥‥どうなるんだろう?
- 糸井
- 以前、養老さんが提案なさっていた
「現代でも、江戸時代の参勤交代みたいに
2か所に住んでみる」という構想が、
僕は大好きなんです。
これから本当にそうなるような気がしています。
- 養老
- なる、というより、これからは
「せざるを得なくなる」可能性が高いと
思っています。
- 糸井
- ああ、必要に迫られて。
たしかに、東京でロッカールームを借りようとしたら
月に6000円もかかったりして、
ちょっとびっくりしますね。
地方だったら、それくらいの土地は
「使っていいよ」どころか
「使ってくれ」と言われることすらあるのに。
- 養老
- 首都では、
暮らすところを探すのも一苦労なのに対して、
地方には、
1000軒以上空き家があるところもあります。
これは不均衡ですね。
- 糸井
- そういう都会と地方のギャップを
解消していくための、
地域間での上手な取引方法があったら
いいかもしれないなぁ。
先ほど出た「共同体」の話の続きで考えると、
昔は、お墓などは地元にあって、
親戚一同がそこに集まりました。
お寺のお坊さんも地域の仲間だったりして。
そういう時代が終わった感覚があります。
- 養老
- 共同体をつくり出しにくい社会に
なってしまいましたね。
その原因の一つは、
「自分がどういう生活をしてきたのか」について、
日本人があまり考えてこなかったことだと思います。
だから、それまでは自給自足して生活していたのに
「必要なものがあったら、
外国から安い値段で買ってくればいい」
と考えるようになって、急速に生活を変えていき、
自給自足できる集団を壊してしまったんです。
- 糸井
- ああ、なるほど。
- 養老
- 昔はお金をかけるのではなく
自分たちでやっていたことを、
お金でできることに変換してしまったんですね。
- 糸井
- 世界的に見れば、
そうなってしまうのは
必然的なことかもしれないけど。
- 養老
- ただ、日本の場合、
その流れだけでは語れないこともあって。
国内のいろんなことを考えるときに、
よく外国を比較の対象にしますが、
実際は、日本は多くの点で
外国と比較の基準が合わないんです。
日本には、特異な点がたくさんあるからです。
一番は、人口密度。
日本は、可住面積あたりの人口密度が、
世界一高いんですよ。
- 糸井
- 山がこんなにあるから、
人が住んでいるところの密度が
ほかの国よりも高いんですね。
- 養老
- そうなんです。
日本の過疎地域に行ったときに
「なんでこんなに人がいないんだろう」
と不思議に思ったんですが、
おそらく、本来は人が住めるところなのに、
そこに住みにくい社会をつくってしまったんです。
- 糸井
- ああー、なるほど。
都会に住むしかない社会構造になったから、
都会に人口が密集するようになってしまった
わけですね。
つまり
「このほうがコンパクトに、早くできるでしょ」
という考え方を実現したのが、今の都会。
- 養老
- ええ。
でも、その考え方はアメリカ流なんですよ。
アメリカは自国で石油が取れますから、
他の国からの輸入に頼らない都会をつくれたんです。
資源のない日本が、
その結果だけをまねようとするから、
国内での過疎と過密が両極端になってしまう。
- 糸井
- 僕も東京にいると、
どうしても狭い範囲でしか考えられなくなるから、
よく「広い場所で考えたい」と感じます。
- 養老
- 狭さと広さの
バランスを取りたくなるんでしょうね。
実は、鎌倉幕府が成立した背景と
いまの東京の状況って、似ているんですよ。
- 糸井
- ほう、ほう。
- 養老
- 平安京があった京都に、
半年の間に2回大きな地震が来たんです。
さらに、天候不順の影響で全国で飢饉が起こって、
とにかく都に食べ物がなかった。
しかも
「都のものは、すべて田舎を源にするものにて
(都で手に入れるものは、
もともと田舎からできたものだった)」
と「方丈記」にあるんですよ。
- 糸井
- まさに、いまの東京もそうですね。
- 養老
- 同じなんです。
そして、田舎から都に食べ物を持ってくる
必要が生じました。
でも、全国が飢饉状態にあるときに、
都まで食料を運ぼうとしたら、
山賊や海賊に奪われるのは
想像に易いですね。
そこで、山賊たちを抑えたのが侍なんです。
- 糸井
- ああー。
- 養老
- おそらく、その結果として、侍の立場が上がって、
鎌倉幕府ができたんです。
さらに後の世では、
内閣が戦争一本槍になったのも、
僕は関東大震災が関係していたと考えています。
当時の政府の人たちが、地震によって、
一晩で何万人もの人が亡くなったのを目にして、
死に対する感覚が鈍ってしまったんだと
思うんですよ。
冷静に考えればまったく理屈が通っていないのに、
死を軽んじる感覚ができてしまったんでしょうね。
- 糸井
- ‥‥養老さんは、人体のしくみを語るように
歴史を語りますね。
- 養老
- そうですか(笑)?
- 糸井
- 個々人が持っている
「人間はこう動くものだよね」という前提と、
集団が共有する幻想とが、
重なっているというか。
- 養老
- 人は自分の身体を
自分の都合で動かせるものだと思っているし、
社会も人間の都合で動かせると考えているから、
そこが重なってくるんでしょう。
- 糸井
- そうですね。しかも
「実際は、人体も社会も、
思ったとおりには動かないぞ」
というところも共通していて。
- 養老
- そうそう。
災害なんかも、
人間の都合にかまってないですからね。
- 糸井
- こうしてお話を聞いていると、
養老さんの人間観と、歴史観・社会観は、
ずいぶん重なっているような気がします。
社会‥‥という言い方だとピンとこないなぁ、
「世間」観かなあ。
- 養老
- 「社会」という言葉が日本で使われ始めたのは
明治時代になってからですから、
日本に馴染み深い表現は「世間」でしょうね。
- 糸井
- 世間ですね。
世間は、
人々の感情の動きとか、わだかまりとかも
含んでいますね。
- 養老
- そうですね。
自分の生きている社会を、
内側から見たときの呼び方が「世間」です。
- 糸井
- ああ、そうか。
ということは「社会」っていうのは、
自分たちの生きている環境を
外側から見たときの呼び方だから、
意識的に客観視しないと出てこない言葉なんですね。
日本は何度も自然とぶつかっては立ち上がってきた
歴史がありますから、
そのぶん、日本の社会、あるいは世間は、
「老い」を重ねてきたと言えそうですね。
- 養老
- そう、本来は、老いた人のように、
経験豊富な社会であるはずなんです。
(つづきます)
2024-05-10-FRI
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