「老い」と「死」をテーマに、
集中的にコンテンツをつくっていきます。ひさびさにほぼ日が取り組む本格的な特集です。
簡単ではないテーマですが、
食らいついていくのでおつき合いください。
さて、そのはじまりに
これほどふさわしい人もいないでしょう。
解剖学者の養老孟司さんです。
鎌倉にある養老さんのご自宅を尋ねるとき、
糸井重里はちょっとたのしそうにこう言いました。
「養老さんはそんなに簡単に
死を語ってくれないんじゃないかなぁ」
果たして、そのとおりだったのです。
しかし、だからこそ、おもしろかったのです。
最終的に、養老孟司さんはこう言います。
「生死については、考えてもしょうがないです」
ええええ、そうなんですか。
そんなふうにはじまる「老いと死の特集」は、
いったい‥‥どうなるんだろう?
- 糸井
- いやな話になって恐縮ですが、
養老さんが亡くなったあと、
養老さんの集めている虫の標本が
大事にされる保証って‥‥。
- 養老
- ぜんぜんないですよ。
それは気にしていません。
- 糸井
- どうでもいいんですか。
- 養老
- 虫に限らずどんなものでも、
自分がどれほど大事にしていても、
次の代が大事にしてくれる保証なんて
なにもないですからね。
- 糸井
- 実際に昆虫の標本をつくっているときも
「これが後世に残るかどうか」ということには
頓着しないんですか。
- 養老
- そうです。
だって、私が標本にしているだけで、
本来はただの虫の死骸ですからね。
- 糸井
- (笑)
- 養老
- ただの虫の死骸でもなんの問題もないんですけど、
僕が形を整えて、箱に入れて、
分類することによって、
いつか誰かが役立ててくれたら幸運だな、
くらいに思っています。
- 糸井
- 「後世の人にとって意味があるかも」
という気持ちは、ちょっとあるんですね。
- 養老
- そうですね。
虫の死骸って、標本にした瞬間から
「人の世界」に入るんですよ。
ただの虫の死骸だったら、
世界中にいくらでもありますが、
標本にして人と関わることによって
「作品」のようになる。
- 糸井
- でも養老さんは、その「作品」を残そうとか、
貯めようとかは考えていないわけですね。
若い頃からそうですか。
- 養老
- 考えたことがないですね。
そもそも、日本のような災害の多い国で、
標本などをしっかり保存するのは
かなり難しいと思います。
- 糸井
- つまり、養老さんの虫の標本づくりは
「やりたいからやってる」。
- 養老
- そのとおりです(笑)。
- 糸井
- 「保存したり、残したり、
貯めたりすることに執着しない」という
養老さんの姿勢は、
「生きること」にも共通している気がします。
誰に頼まれて生きているわけでもないし、
自分が生きたってことを、
とくに誰かが喜ぶわけでもないし。
- 養老
- 諸行無常でいいと思うんですよ。
形あるものは必ず滅びる、ということで。
- 糸井
- その考え方は、
解剖学をやってらしたことと関係がありますか。
- 養老
- ああ、あるかもしれません。
- 糸井
- 「人は死ぬんだ」という実感と、
常に隣り合わせだったわけですものね。
- 養老
- 情報化社会になってからは、
時間が経っても情報が劣化せずに
ずーっと残るということが
当たり前になっているでしょう?
例えば、写真なんかは最たる例です。
そういう、時間が止まったものに囲まれて
生きているから、いまの人間は
「時間が動く」ということに対する
感覚が鈍っていると思うんです。
- 糸井
- 情報がデジタルになって
劣化しづらくなったことで、
変化するとか、朽ちていくとかいう
ことに対する感覚が、薄れていると。
- 養老
- 昔の人は、変化していくものを記憶に残すためには
「言葉にする」という方法しか
持っていませんでした。
だから、物語が生まれてきたんだと思います。
人間が、時間の中で変化していくものを表現して、
記憶に留めるために持っていた道具は、
ひとつしかなかった。
物語だけだったんです。
- 糸井
- ああ、神話とかも、全部、物語ですね。
- 養老
- 言葉それ自体は、
写真と同じように時間を止めて記録するものだから
「変わっていくこと」を伝えられない。
じゃあどうして、
時間の流れの中で起こっていくことを
記録できたのかというと、
史記や列伝のように、
それぞれの人の一生を物語にしたんです。
物語にすると、
人から人へ渡っていけます。
途中で尾ひれがついて、
よりおもしろくなったりもしますね。
そのようにして、
他人に移って、変化していって‥‥という過程は、
生物の進化と似ています。
- 糸井
- ほんとうですね。
- 養老
- 私が話したことが誰かの頭に入って、
定着して、
さらにまた別の誰かに話されていく。
そのときに尾ひれがつく、
つまり「進化」するんです。
だから、僕はダーウィンの「自然選択説」というのは
「情報の経験則」である、と思っているんですよ。
生物を情報として見ると、
時間とともに少しずつ変化していくんですが、
生物を1個の物語として見ると、
いつの間にか、
シーラカンスがヒトになっちゃうわけです。
伝言ゲームみたいなものでね。
- 糸井
- 物語として見るというのは、
「大きな進化が長い時間で起こっている」
と捉えるってことですね。
はーー、なるほどなぁ。
- 養老
- 多くの人は普段意識していないと思いますが、
人間も卵子、卵から生まれてくるんですね。
みなさんの始まりは0.2ミリの受精卵です。
その点では、シーラカンスと同じ。
卵から親になっていく過程が違うだけなんです。
- 糸井
- 現時点での進化の最終到達点が
「私」です、ということ。
- 養老
- そうです。
- 糸井
- そして卵から大人への変化のプロセスには、
必ず最後に「死」が組み込まれていますね。
- 養老
- そうです。
「死」まで含めて生きもののプロセスで、
それがまたその先へと続いていくんですよ。
0.2ミリの受精卵がまたできて‥‥。
生物はそれを繰り返しているんです。
(つづきます)
2024-05-12-SUN
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