「老い」と「死」をテーマに、
集中的にコンテンツをつくっていきます。ひさびさにほぼ日が取り組む本格的な特集です。
簡単ではないテーマですが、
食らいついていくのでおつき合いください。
さて、そのはじまりに
これほどふさわしい人もいないでしょう。
解剖学者の養老孟司さんです。
鎌倉にある養老さんのご自宅を尋ねるとき、
糸井重里はちょっとたのしそうにこう言いました。
「養老さんはそんなに簡単に
死を語ってくれないんじゃないかなぁ」
果たして、そのとおりだったのです。
しかし、だからこそ、おもしろかったのです。
最終的に、養老孟司さんはこう言います。
「生死については、考えてもしょうがないです」
ええええ、そうなんですか。
そんなふうにはじまる「老いと死の特集」は、
いったい‥‥どうなるんだろう?
- 糸井
- 0.2ミリの受精卵から死まで、
生きものの変化のプロセスを
ものすごく冷静に俯瞰して見ている養老さんと、
最初におっしゃっていた
「知り合いを解剖するのはいやだ」
と感じる養老さんは、
どういうふうにつながっているんでしょうか。
- 養老
- 生物の構造を見るときは
「自分に関係がある」ということに
引っ張られないように意識しています。
「自分というものを考える」というのは、
ある意味、病気みたいなものですからね。
- 糸井
- 「自分を考える」という病気。
その考え方は、さっぱりしていてかっこいいですね。
- 養老
- 誰にでも、自分を客観的に見られなくなってしまう
状況があります。
だから、自分のことを突き詰めて考えようとすると、
どこかで必ず論理がおかしくなってしまう。
- 糸井
- 「解剖するご遺体が知り合いだったらいやだ」
というのは、
そのあたりのお話ととても近いと思うんです。
自分のこと‥‥例えば
「この人と自分は生前こんなことをしたな」
なんて考え出すと、
客観的に観察するなんてことは、
きっと不可能ですね。
- 養老
- そうです。
だから、はじめから「自分」についての考えは
入れないんです。
- 糸井
- 僕たちが生きている時代や世間に対しても、
同じことが言えますね。
時代や世間を、その内側から考えようとすると、
どこかで狂いが生じてしまう。
- 養老
- 人間は「自分」の視点から物事を考えると
必ずどこかで論が破綻してしまうから、
できるだけ客観的になろうとする
「自然科学」という学問があるんですね。
ところが、自然科学も、
突き詰めれば自己言及だから
「あなたがそう言ってるだけだろう」
という追求からは逃れられないんですよ。
厄介なことに。
そこで、観察対象として一番いいのは、
虫なんですよ。
- 糸井
- ここで虫が出てくるのか(笑)!
- 養老
- だって虫は、
とにかく「自分じゃない」ことは確かですからね。
見ていると「ああ、俺じゃないなぁ」と思う。
- 糸井
- そうですね(笑)。
どんなことも、
自分に関係あることとして見たり、
一方で全く客観的に見たりしないと
うまく捉えられないですからね。
例えば「死ぬ」ということに対しては、
自分ごととして考えると
「不愉快だなぁ」という気持ちが
最初に来ると思います。
ですが、養老さんは、そこのところの考え方が
他の人とは一線を画している気がしているんです。
実際、ご自身の死については、どう‥‥
- 養老
- 考えないです。
- 糸井
- 考えないですか。
- 養老
- 考えても無駄ですからね。
だから、死んでから考えようっていう(笑)。
余談ですが、最近ちょっと驚いたことがあって。
亡くなった友だちの番号から
電話がかかってきたんですよ。
まあ、結局は、
故人の会社の人が同じ番号を使っていたという
オチだったんですが。
- 糸井
- ああ、説明のつくことだったんですね。
養老さんでも、まずはびっくりしたんですか。
- 養老
- びっくりしましたよ。
「なんで死んだのに電話してきてるんだよ」って。
- 糸井
- 長年科学者をやっていても、
そこでびっくりする気持ちは養老さんの中に
あるんですね。
そういう「おもしろがる自分」というのは
生きている。
- 養老
- たぶん、素直なだけですよ。
- 糸井
- そうかぁ。
自分のことは考えすぎないようにしようとしても、
どうしても最初の反応には「自分」が
出てしまいますもんね。
そうすると
「自分がこう反応してしまうのはどうしてだろう」
と考える自分というものも、また出てきませんか。
- 養老
- それは考えないです。
「おれは騙されやすいな」で、終わり。
- 糸井
- あっさり(笑)。
養老さんのお書きになったものを読んでいると、
けっこう、ひとつのテーマについて
詳しく掘り下げている印象を受けますが‥‥。
- 養老
- そうかもしれません。
それは、癖ですね。
- 糸井
- 癖。
映画や文学についても、
同じように、詳しく考えていらっしゃいますね。
- 養老
- そうですね。
普通だったらしつこいだろうな、
と思うくらいまでは考えます。
一方で、特定のテーマについては、
どこかで打ち切るということも決めています。
さっき言った「自分」というもの、
それから「生死」の話。
これらは、考えてもしょうがないです。
- 糸井
- 自分の身体のなにが衰えていって、
なにが鋭くなっている、みたいなことの
観察自体はおやりになるんですか。
- 養老
- やりますね。
しかたがないから、という側面が大きいですが。
腰が痛いだの、肩が痛いだのっていう
「自分の痛み」については、
もう辛抱するしかないと思っています。
修行みたいなものですよね(笑)。
お坊さんがよく滝に打たれたりしていますが、
あれと同じで。
生きているのも修行ですよ。
- 糸井
- そうか、そして、
修行が終わらないままに‥‥
- 養老
- そう。
どこかで終わりが来るから、
安心して修行していられるんだと
思うんですよ。
- 糸井
- 今日はまさにこの話を聞きに来たんだ、
という感じがします。
ちなみに、虫も修行しているんでしょうか。
- 養老
- してるんじゃないでしょうか。
- 糸井
- 虫なりに。
- 養老
- 彼らにも、いろいろ大変なことが
ありますからね。
- 糸井
- たぶん、ありますね。
(つづきます)
2024-05-13-MON
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