生死については、考えてもしょうがないです。 生死については、考えてもしょうがないです。
「老い」と「死」をテーマに、
集中的にコンテンツをつくっていきます。

ひさびさにほぼ日が取り組む本格的な特集です。
簡単ではないテーマですが、
食らいついていくのでおつき合いください。



さて、そのはじまりに
これほどふさわしい人もいないでしょう。
解剖学者の養老孟司さんです。
鎌倉にある養老さんのご自宅を尋ねるとき、
糸井重里はちょっとたのしそうにこう言いました。
「養老さんはそんなに簡単に
死を語ってくれないんじゃないかなぁ」



果たして、そのとおりだったのです。
しかし、だからこそ、おもしろかったのです。
最終的に、養老孟司さんはこう言います。
「生死については、考えてもしょうがないです」
ええええ、そうなんですか。
そんなふうにはじまる「老いと死の特集」は、
いったい‥‥どうなるんだろう?
【第6回】考えてもしょうがないです。
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糸井
0.2ミリの受精卵から死まで、
生きものの変化のプロセスを
ものすごく冷静に俯瞰して見ている養老さんと、
最初におっしゃっていた
「知り合いを解剖するのはいやだ」
と感じる養老さんは、
どういうふうにつながっているんでしょうか。
養老
生物の構造を見るときは
「自分に関係がある」ということに
引っ張られないように意識しています。
「自分というものを考える」というのは、
ある意味、病気みたいなものですからね。
糸井
「自分を考える」という病気。
その考え方は、さっぱりしていてかっこいいですね。
養老
誰にでも、自分を客観的に見られなくなってしまう
状況があります。
だから、自分のことを突き詰めて考えようとすると、
どこかで必ず論理がおかしくなってしまう。
糸井
「解剖するご遺体が知り合いだったらいやだ」
というのは、
そのあたりのお話ととても近いと思うんです。
自分のこと‥‥例えば
「この人と自分は生前こんなことをしたな」
なんて考え出すと、
客観的に観察するなんてことは、
きっと不可能ですね。
養老
そうです。
だから、はじめから「自分」についての考えは
入れないんです。
糸井
僕たちが生きている時代や世間に対しても、
同じことが言えますね。
時代や世間を、その内側から考えようとすると、
どこかで狂いが生じてしまう。
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養老
人間は「自分」の視点から物事を考えると
必ずどこかで論が破綻してしまうから、
できるだけ客観的になろうとする
「自然科学」という学問があるんですね。
ところが、自然科学も、
突き詰めれば自己言及だから
「あなたがそう言ってるだけだろう」
という追求からは逃れられないんですよ。
厄介なことに。
そこで、観察対象として一番いいのは、
虫なんですよ。
糸井
ここで虫が出てくるのか(笑)! 
養老
だって虫は、
とにかく「自分じゃない」ことは確かですからね。
見ていると「ああ、俺じゃないなぁ」と思う。
糸井
そうですね(笑)。
どんなことも、
自分に関係あることとして見たり、
一方で全く客観的に見たりしないと
うまく捉えられないですからね。
例えば「死ぬ」ということに対しては、
自分ごととして考えると
「不愉快だなぁ」という気持ちが
最初に来ると思います。
ですが、養老さんは、そこのところの考え方が
他の人とは一線を画している気がしているんです。
実際、ご自身の死については、どう‥‥
養老
考えないです。
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糸井
考えないですか。
養老
考えても無駄ですからね。
だから、死んでから考えようっていう(笑)。
余談ですが、最近ちょっと驚いたことがあって。
亡くなった友だちの番号から
電話がかかってきたんですよ。
まあ、結局は、
故人の会社の人が同じ番号を使っていたという
オチだったんですが。
糸井
ああ、説明のつくことだったんですね。
養老さんでも、まずはびっくりしたんですか。
養老
びっくりしましたよ。
「なんで死んだのに電話してきてるんだよ」って。
糸井
長年科学者をやっていても、
そこでびっくりする気持ちは養老さんの中に
あるんですね。
そういう「おもしろがる自分」というのは
生きている。
養老
たぶん、素直なだけですよ。
糸井
そうかぁ。
自分のことは考えすぎないようにしようとしても、
どうしても最初の反応には「自分」が
出てしまいますもんね。
そうすると
「自分がこう反応してしまうのはどうしてだろう」
と考える自分というものも、また出てきませんか。
養老
それは考えないです。
「おれは騙されやすいな」で、終わり。
糸井
あっさり(笑)。
養老さんのお書きになったものを読んでいると、
けっこう、ひとつのテーマについて
詳しく掘り下げている印象を受けますが‥‥。
養老
そうかもしれません。
それは、癖ですね。
糸井
癖。
映画や文学についても、
同じように、詳しく考えていらっしゃいますね。
養老
そうですね。
普通だったらしつこいだろうな、
と思うくらいまでは考えます。
一方で、特定のテーマについては、
どこかで打ち切るということも決めています。
さっき言った「自分」というもの、
それから「生死」の話。
これらは、考えてもしょうがないです。
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糸井
自分の身体のなにが衰えていって、
なにが鋭くなっている、みたいなことの
観察自体はおやりになるんですか。
養老
やりますね。
しかたがないから、という側面が大きいですが。
腰が痛いだの、肩が痛いだのっていう
「自分の痛み」については、
もう辛抱するしかないと思っています。
修行みたいなものですよね(笑)。
お坊さんがよく滝に打たれたりしていますが、
あれと同じで。
生きているのも修行ですよ。
糸井
そうか、そして、
修行が終わらないままに‥‥
養老
そう。
どこかで終わりが来るから、
安心して修行していられるんだと
思うんですよ。
糸井
今日はまさにこの話を聞きに来たんだ、
という感じがします。
ちなみに、虫も修行しているんでしょうか。
養老
してるんじゃないでしょうか。
糸井
虫なりに。
養老
彼らにも、いろいろ大変なことが
ありますからね。
糸井
たぶん、ありますね。
(つづきます)
2024-05-13-MON
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