なぜ、そうまでして歌うのか。



── はじめて「この素晴らしき世界」の動画
見たとき、
すぐに、奥野さんに聞いてみたいことが
浮かんできました。
奥野 何?
── それは
「どうして、こうまでして歌うんだろう?」
ということでした。
奥野 ああ‥‥。
── 奥野さんは、頸椎損傷という大怪我を負って
首から下の自由が、ほぼ利きません。
奥野 うん。
── 当然、腹筋も動かせないから
ふつうなら、歌なんて歌えないですよね。
奥野 まあ、ふつうならね。
── 歌おうという気だって起こるかどうか‥‥。
奥野 たしかに、怪我をした直後なんかは
肺活量がなくなっちゃって
しゃべるだけでも
すぐに、息切れしてたくらいだから。

あんな状態じゃ、歌を歌おうって気には、
なかなか、ならないかもしれない。
── なのに、奥野さんは
「おなかに、きつくベルトを巻き付けて
 前にぐっと体重をかける」
という独自の歌唱法を開発されて‥‥。
奥野 そんな大げさなもんでもないんだけど(笑)。
── 「こうすれば、歌える!」って。
奥野 うん。
── そうやってあの歌を、あんなふうに歌った。

で、その「方法」のことを知ったとき、
「どうして、そこまでして歌うんだろう?」
という疑問が、再び湧いてきました。

だって単純に、大変じゃないですか、身体。
奥野 あのときも、一瞬、貧血を起こして
意識が飛びそうになったりしてるんだよね。
── 奥野さんに、そこまでさせる「歌」って、
いったい何なんだろう?

そのことを、すごく知りたくなったんです。
奥野 ‥‥まあ、俺、ボーカリストだからさ。
── はい。
奥野 歌わざるを得なかったんだな、つまり。
── 歌を。
奥野 うん。ずっと、歌ってきたから。
── ずっと歌ってきたから、歌わざるを得なかった?
奥野 この先、自分が生きていく上で
「歌わない」ということは、できなかった。

だから、
あのとき歌わなくても、いつかは歌ってた。
── なるほど。
奥野 まあ、俺にもファンの子たちがいてくれて、
その子たちに
「俺、まだ歌ってるんだぜ!」という姿を
見てもらいたかったし。
── でも、あそこまで声を出せるようになるには、
かなり時間もかかったと思うんですが。
奥野 練習したよ、一生懸命。
俺、あんなに練習したことなかったと思う(笑)。
── ああいうふうに歌を歌っている人って‥‥。
奥野 いないだろうねぇ。
── ですよね。
奥野 そんな物好きは俺くらいだと思いたい(笑)。
── でも、これまで歌ってきた
ボーカリストとしてのキャリアがあったから
できたことだと思うんです。
奥野 たしかに、「腹筋の入れかた」というのかな、
頭では何となく覚えていたんだ。

歌を歌うってことが、どういうことなのかを。
── 歌を歌うときの身体感覚が頭に残っていた‥‥
ということですか?
奥野 そうそう、だから、いざ歌いはじめたら
「あ、このタイミングで
 身体を倒して、ぐっと力をかけてやれば
 こういう声が出るな」
みたいなコツが、すぐわかったんだよね。
── 歌っているときって、どんな感じでしたか?
奥野 もちろん、超気持ちよかったよ!
── 歌に対する「気持ち」は、昔と変わりましたか?
奥野 変わんない。‥‥いや、やっぱり変わったかな。
── それは、どのように、ですか?
奥野 ひとつひとつのフレーズを、大切にして歌ってる。
それは、昔よりも今のほうが、ずっと。
── 当たりまえですけど、怪我をされた当初って
本当に大変だったと思うんです。
奥野 うん、自分がこれからどうなってしまうのか、
ぜんぜん、わかんなかったからね。

この怪我は治る怪我なんだろうか、
それとも
このまま一生動けないんだろうか、みたいな。
── そのような時期を経て、
いつごろから
歌や音楽のことを考えはじめましたか?
奥野 そんなの、ずっと考えてたよ。
── 怪我をして、すぐのころから?
奥野 うん。はやく治して動けるようになって、
ステージに立ちたい、
音楽でバカやりたい、歌を歌いたい‥‥って。
── そんなにも「すぐ」なんですね。
奥野 俺、ギターを弾くのも好きだったから‥‥。
── はい、鍾乳洞の中みたいなところで
和装のおばさまコーラス隊と
「マジンガーZ」を歌ったときのギターなんて
超カッコいいですよね!
奥野 あ、あれ観てたの?(笑)
── はい、観てました。

(30歳の奥野敦士が歌う「マジンガーZ」は
 こちらのYouTubeのページにアップされています。
 ギターが、キラめいています)
奥野 だから、自分の怪我が「頸椎損傷」って聞いて
すぐに思ったのは
「ああ、俺はもう、一生ギター弾けないんだな」
ということだったんだ。
── はい。
奥野 でも、歌は歌えた。
── はい。
奥野 それが「救い」になったんだよね。

もし、損傷したのが
「もうひとつ上の頸椎」だったら、
声も出なかったんだって。
── え、そうなんですか?
奥野 うん。

だから、神様が俺に一個だけ残してくれた
「希望」なんだと思う。
── ‥‥「歌」は。
奥野 そう。だから、歌ってるのかもしれない。

<つづきます>



 




ポークソテーズというバンドについては
いろいろ説明が要るんですけど
メンバーを挙げるなら、
まずは、リーダーの奥野敦士ですよね。
それに、松尾貴史に原田喧太、川村カオリ、
BUCK-TICKのユータ、ドラムの酒井麿、それに俺。
場合によっては
ヒロミチ・ナカノの中野裕通さんとか、
金山一彦&芳本美代子夫妻とか。
ポークソテーズのデカい旗を振る係もいました。
そういう意味では「ビッグバンド」です。
俺とかキッチュは楽器できるわけじゃないので
ボーカルの数が半端ないんです。
ラッツ・アンド・スターかよっていうくらい、
みんなボーカルでした。あとダンス。
もともとは、ただの飲み友だちなんですよね。
二十代の終わりくらいのころ、
ほんとに毎日、うちで朝まで飲んでた仲間でした。
いや、暇だったわけじゃないんです。
俺は、あくせくと一生懸命に働いてたんですけど
ミュージシャンって基本、仕事しないんですよ。
とくにBUCK-TICKなんて
一年のうちにそんな何度もライブやらないでしょ?
あり余ってるんです、暇と体力が。
ようするに、同じペースで遊ばれたんじゃ、
こっちの身がもたないんです。
そこで、奥野に
「いい大人なんだから酒ばっか飲んでないで
 みんなで生産的なことをしようじゃないか!」
と提案したんです。苦し紛れに。
そしたら奴が、コックさんの帽子をかぶって
ナイフとフォークを両手に持った
ブタのキャラを描いて
ファックスでジジジって送り付けてきて。
「ポークソテーズというバンドをやるぞ」と。
そういうはじまりなんです。
ようするに、お前たちの遊びから解放してくれ、
週に6日も朝まで飲むのはもうやめてくれという
俺の魂の叫びだったんですよ。
頼むから「休ましてくれ」というね。
そうやってはじまったのが
ポークソテーズというバンドなんです。
今の説明で
そんなに、まちがってないと思います。



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