なぜ、そうまでして歌うのか。



── あの動画を拝見して
すごく感動して涙も出てきたんですけど
奥野さんご自身では
歌を聴いて涙が流れるというご経験は‥‥。
奥野 最近だと「ヨイトマケの唄」で泣いたね。
── あ、美輪明宏さん。
奥野 うん、去年の紅白。
── 僕も拝見しましたけど
存在感とか、ただならないなと思いました。
奥野 そうそう、つくった美輪さんもすごいんだけど、
やっぱりあの歌自体が、ものすごいんだと思う。

だって、聴きながらさ、
「やっぱいいよなあ‥‥」とか思ってたら
なんだか
涙ボロボロこぼれてきて止まんないんだよ。

でも俺、ぬぐえないじゃん、自分で。
── ええ。
奥野 もう、どうしようもないから
ナースコールして、拭いてもらったんだけどね。
── 「ヨイトマケで泣けて泣けて」と。
奥野 そうそう(笑)。
── でも、歌や音楽を聴いて涙が出てくるって
どういうことだと思われますか?

洋楽とかクラシックを聴いていても
泣けることがあるから、
単純に「歌詞」だけではない気もしますし。
奥野 歌詞とメロディ、そのときの気持ち、
それとやっぱり「過去の思い出」じゃないかなあ。

そいつらがピッタリ重なったとき、涙が出てくる。
それも、えらく気持ちのいい涙が。
── そうか、あの涙は「気持ちいい」ですね。
奥野 ‥‥「ヨイトマケの唄」はね、俺んちの親父がさ。
── ええ。
奥野 歌ってたんだよ、俺がまだちっちゃいころ。
── あ、そうなんですか。
奥野 泣きながらね。
── 泣きながら?
奥野 五木ひろしバージョンだけどね。
── 五木ひろしさんのバージョンを、泣きながら。
奥野 とうちゃんのためならえーんやこぉらってさ、
何を言ってんだ、この親父はと
そんときは、そんなふうに思ってたんだけど。
── ええ(笑)。
奥野 親父が、泣きながら、カラオケで歌ってたんだ。
その姿を、今でもよく覚えてる。
── お父さんは、どうして泣いていたんでしょう。
奥野 うーん、わかんないなあ。理由も聞かなかった。
でも‥‥音楽が好きな人でね。
── そうだったんですか。
奥野 フランク・シナトラが好きで、
俺が東京でミュージシャンになったことを
すごく、よろこんでくれた。

ギターを買ってくれたのも、親父だったしさ。
── お父さんと最後に会われたときのこと、
この本(『終わりのない歌』)で読みました。

そのシーンが、ものすごく印象的でした。
奥野 ああ、ありがとう。
── 読みますけど、
「お見舞いに来てくれた親父が帰るとき、
 俺は声を上げて泣いてしまった。
 車に乗ろうとしていた親父は俺の異変に気づいて
 慌てて戻ってきて、俺の手を握りしめてくれた」
奥野 うん。
── 「俺の手は
 親父の温もりを感じることは出来なかったけれど
 心がじんわりと温かくなった」って。
奥野 ‥‥五木ひろしがさ。
── はい。
奥野 ライブ‥‥というかコンサートで
歌ってるんだよ。「ヨイトマケの唄」をね。
── ええ。
奥野 五木ひろし、歌いながら、泣いちゃうんだ。
で、
そのレコードを聴いてる親父も泣いちゃう。

そういうところがあったんだ、俺の親父。
── 歌って、どの民族も歌いますよね、きっと。
奥野 歌を歌わない人たちなんか、いないんじゃない?
── それも「すごく大切なもの」じゃないですか。
みんなというか、人々にとって。

それって‥‥。
奥野 やっぱり「笑う」からじゃない? 歌うと。
── 笑う。
奥野 歌を歌えば、自然とニッコリするじゃない。
── だから人は、歌を歌う。
奥野 わかんないけど、俺はそう思うな。
── 「この素晴らしき世界」の動画でも
奥野さん、歌っているときは大変そうですけど、
途中でニコッとされたりしてますね。
奥野 うん。ありゃあ、ま、俺の性格だな(笑)。
── でも、あの笑顔を見たら、
なんか、こっちもニッコリしちゃうというか。
奥野 それが、歌のいいところだよね。
── 勝手な感想ですけど、
勇気づけられるような気もしましたし。
奥野 そんなふうに思ってくれる人がいたら、嬉しいよ。

嫌なことがあったりして落ち込んでいても、
元気を出してもらえたりしたら、ね。
── それこそ、
まさしくミュージシャンの役割だとも言えますね。
奥野 あるとき、Mr.Children の桜井(和寿)くんが
ライブで言ってくれたみたいなんだ。

「この先、もし自分が怪我や病気をしたとしても
 奥野さんみたいに
 ニッコニコの笑顔でステージに立ちたい」って。
── なんか、嬉しいですね。
奥野 歌ってさ、「俺、元気だよ!」ってメッセージも
伝えることができるんだよね。遠くまで。
── はい、気持ちが沈みきっていたら
「この素晴らしき世界」なんて歌えないですよね。
奥野 歌えない、歌えない。

俺なんかとくに、こういう状況だから
気持ちを前向きにしとかないと、絶対に歌えない。
── 逆に、歌を歌うことで‥‥。
奥野 そう、前向きになれるんだよ。
歌を歌うと、どんどん元気になれるというか。
── 歌の持つ力、ですね。

奥野」
だからさ、そういう「歌」があるからこそ、
こんな怪我したけど
やっぱり、この世界は
「この素晴らしき世界」なんだと思う。
── はい。
奥野 ‥‥今、歌う気になんなかった?
── なりました(笑)。
奥野 でしょ?
  <続きます>



 




ご存知かどうか‥‥
コックさんの格好をしてたんです‥‥ぼくら。
コックコートにコック帽‥‥
そういう姿でステージに立っていたんです。
松尾(貴史)さん以外。
なぜなら、
松尾さんはパートが「総支配人」でしたから。
ダークスーツを着てたんです。
で、他のメンバーがコックさんの格好だった。
あるとき‥‥そうだな、
3度目のステージくらいのとき‥‥かな、
メンバーのなかに
失くしたって奴が出てきたんです。
そう、コックさんのコスチュームを‥‥。
奥野(敦士)さんの考え出したコンセプトが
「洋食屋」だったから
コックさん以外の格好で演るわけにいかない‥‥。
バンド最大の危機でした。
でも、ちょうどそのとき勝村(政信)さんが
ドラマに出ていたんです。
「熱烈的中華飯店」というドラマに。
そして、そのなかで使われていた
中華料理人の衣装を借りてきてくれて、
失くした連中は
その衣装を着てステージに立った。
左胸に「平平楼」と刺繍された中華の衣装をね‥‥。
そうやって、事なきを得たんです。
あのとき、たまたま勝村さんが
中華のドラマに出ていなかったらと思うと‥‥
危ないところでした。本当に。



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