こんにちは、ほぼ日の奥野です。
懐かしい人には懐かしい話‥‥からはじめてしまって
ちょっと、恐縮なのですが。
いま、36歳のぼくが中学生だったころ、
クラスの友だちは、こぞって「日本のバンド」を聴いていました。
BOOWY、ユニコーン、BUCK-TICK、LÄ-PPISCH、
ストリートスライダーズ、ブルーハーツ、
J(S)Wと書いてジュン・スカイ・ウォーカーズ、
いつからかX JAPANとなったX、COMPLEX、
真心ブラザーズ、ザ・ピーズ、
他にUP-BEAT、カステラ、BY-SEXUAL、AURA‥‥
思いつくまま、ジャンルも知名度もバラバラに書き出しましたが
そのようなバンドの音楽、です。
もちろんぼくも、聴いていました。
いまでも、実家の押入れの奥には
それらのCDでいっぱいになったダンボールが仕舞い込まれています。
そして、そのなかに
「ROGUE」というバンドのアルバムが1枚、混じっているはずです。
たしか『VOICE BEAT』というタイトル。
基本はロックなんですが、聴きやすく口ずさみやすいメロディが特徴。
6曲目あたりにクレジットされた
「終わりのない歌」という曲が好きで、繰り返し聴いていました。
(当時は月の小遣いが3000円だったため、
1枚1枚のアルバムを
たいへん「思い切って」買っていました。
なので、よく覚えているのです)
ものすごく「大ファン」だったというわけではないんですけど、
たまたまバンドの出身地が自分と同じ群馬県ということと、
ボーカルの人が「奥野敦士」といって、自分と同じ苗字だったため、
勝手に、強い親近感を覚えていました。
でも、そんなROGUEのアルバムも、
高校に入って洋楽に「かぶれる」ようになってからは
他の「日本のバンド」同様、ほとんど聴くことはなくなりました。 |
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ときはめぐって、ざっくり20年くらい後。
中学生もすっかり大人になりまして
俳優の勝村政信さんにインタビューさせていただく機会を得ました。
2010年の夏でしたから、もう2年半以上前。
思えばまだ、震災前のことです。
勝村さんが、当時「ほぼ日」に連載中だった
大沢在昌さんの小説『新宿鮫』の大ファンだとうかがったので、
取材させていただいたのです。
(そのときのコンテンツは、こちらです。
『二通目のラブレター。
勝村政信さんから、新宿の鮫島さんへ』)
そして、その取材の下調べをしているうちに、
あの、なつかしきROGUEの奥野敦士さんにぶつかりました。
(勝村さんは、奥野さんと二十年来の大親友で、
今回のインタビューにも出てきますが
ポークソテーズという幻のバンドを組んでいたことがあります)
そこで、奥野さんの「現状」を知ったのです。
要点だけを書きますと
ROGUE解散後、ソロ活動をしていた奥野さんは
2008年、
落下事故で頚椎を損傷し、首から下の自由を失っていました。
驚きました。
少なからずショックを受けて、
奥野さんのブログを漁るように読んだりしました。
そのような気持ちのままだったので
勝村さんの取材でも、自然と奥野さんのことに話が及びました。
すると勝村さんが、ぜひ観てほしい動画があると言ったのです。
それが、下のYouTubeの動画です。
そこでは、首から下の自由が効かない奥野さんが
車椅子で、
ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」を歌っていました。
首から下が不自由だっていうことはつまり、
当然、腹筋も動きません。
ですから、ふつうなら(まともには)歌は歌えません。
でも、奥野さんは
「おなかにきつくベルトを巻き付け、声を出すたび、
上体をぐっと前に倒す」という独自の歌唱法を考え出して
あの歌を、こういうふうに歌っているんです。 |