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まさかの設計依頼のメールを受けて10日後、
僕は新幹線でふたたび神戸に向かいました。
内田さんに奥様を紹介していただきご挨拶。
車で5分という近所にある
新しい土地をさっそく案内してもらいます。
駅から歩いてすぐの南北に長い
約85坪の綺麗な区画。
1995年の阪神大震災のあとに整備された、
平らなまったくの更地(さらち)です。
南側に8メートル幅の道路があり、
他の3面には住宅が建っています。
前面の道路に立って北を向くと、
遠く六甲山を望むことができます。
四季の移り変わりを伝える山に
しっかりと守られているようで、
なんだか心がほっとしました。
南には海人の神社である本住吉神社があり、
その延長上には瀬戸内海が広がっています。
南北に山と海がある肌触りの良い土地です。
ちょっぴり冷たい2月の風に吹かれながら、
まだ見ぬ建築を想像して
わくわくする敷地との初対面でした。
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▲まだ更地のままの敷地。 |
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土地との対話の次はお施主さんです。
建築家の仕事は、クライアントが
どんな家を建てたいと思っているのか、
希望やイメージをヒアリングすることから始まります。
このとき、先入観や常識をすて、
自分を「乾いたスポンジ」のようにして
クライアントや土地と対話することを
ぼくは心がけています。
いろんなファクターを考慮した上で、
その敷地にはどのような建築がふさわしいのか、
時間や予算、法律などの制約の中で考え、
設計を進めていきます。
敷地を見たあとご自宅に戻り、
内田さんがどんな家を建てたいとお考えなのか
じっくり伺いました。
内田さんがおっしゃるには、
まず第一に80畳ほどの合気道の道場が
1階にほしいこと。
子供から大人までが気持ちよく練習できる、
パブリックでオープンな場所にしたいこと。
しかも、道場の一部にふだんは畳の下に隠れている
三間四方(約5.4m×5.4m)の
能の敷き舞台を作りたいこと。
ついで2階の自宅には、
研究・執筆という知的な仕事に集中できて、
宴会や麻雀もできるセミパブリックな場所が欲しいこと。
一人でこもれる個室としての書斎は要らない、
というのが内田さんならではです。
そして、プライベートなエリアについては
奥さんに任せる
──というのが最初に伺った内田さんの構想でした。
能楽師として活躍されている奥様からは、
能の小鼓のお稽古ができる和室と、
使いやすいキッチン、
それに収納を確保したい、
というご要望がありました。
最後に内田さんは、
「僕のイメージは
昔の武家屋敷のような感じなんだよね」
と付け加えられました。
しっかりとメモを取り、
「1ヵ月ほど時間をください。
第一案を提案させてもらいますので、
気に入っていただけたら、正式にご依頼ください」
とお伝えして、東京に戻りました。
はやる気持ちを抑えきれず、
帰りの新幹線の中で
さっそくスケッチブックをとりだします。
道場を兼ねた住宅という珍しい組み合わせを、
どうやって一つの建築につくりあげていくのか。
まず考えなくてはいけないのは「コンセプト」です。
ピンと張った背筋のように
ぶれないコンセプトがないと設計は前に進みません。
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▲モレスキンのスケッチブックに描いた
コンセプトボード。 |
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住宅は住む人の
「自我のメタファー(暗喩)」である、
とぼくは思っています。
ですから、今回目指すのも
「内田先生のような」建築です。
ご存じのとおり、内田樹さんは
とても多くの顔をもっています。
フランス現代思想の研究者であり、
大学教授であり、合気道の師範であり、
人気ブログの主であり、
数々の単行本の著者でもある。
これらの変幻自在な顔をもつ内田さんが放つ
強い磁力に引きつけられて、
周りには多くの魅力的な方々が集ってきます。
内田さんを中心に、
そのメンバー同士がお互いに助け合うような
大きな共同体が、
自然発生的に形成されていきます。
そこでこの建築は、
そんな内田先生の周りにいる方々
みんなのための家として設計したいと考えました。
何を隠そう、設計者であるぼく自身も
この「みんな」の一員です。
建物が完成しても、
内田さんとのおつきあいは続きます。
まるで自分の家であるかのように
僕はこの家にやってくるでしょう。
建築家にとってクライアントと
そのような関係を結べることは、
とても幸福なことです。
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