2011年2月3日、外は雲ひとつない快晴。
遠くには六甲山のシルエットがくっきり見えます。
今日は地鎮祭です。
厄払いをして土地の神様に工事の安全を祈願する、
凱風館の大切な門出。

▲準備された祭壇のお供え物と
 ずらっと並んだお神酒

現場に着くと、
中島工務店のみなさんが準備に取りかかっていて、
井上左官職が朝4時に起きて採ってきた竹の葉を、
祭壇のテントの周りに手際よく縛り付けています。
紅白の幕も張られ、祭壇にはお供え物が並んでいます。
ただの空き地だったがらんどうの風景が、
いよいよ賑やかなハレの舞台に変わっていきます。
杭で止めたロープによって
建物の外形がプロットされたことで、
凱風館の大きさがおおまかに体感できます。
敷地に対して建ぺい率60パーセントの建築は、
図面で見るよりもはるかに小さく感じられました。
きっと何もない敷地というのは、
隣の建物たちが圧倒的なスケール感で迫ってくるため、
ロープで記されただけのまだ存在しない建築は
どうしても小さく感じてしまうのでしょう。

このスケール感を少しでもからだで感じとろうと、
敷地をうろうろ歩いているうちに、
みるみる沢山の人が現場に集まってきます。
岐阜県から中島工務店の
中島紀于社長が見えたのでご挨拶。
第一印象からしてとてもパワフルな方で頼もしい。
次に雑誌の取材が2件、
編集者さんやカメラマンとも軽く打ち合わせ。
甲南合気会と甲南麻雀連盟の会員たちも
立派なお神酒を手にしてやってくるではありませんか。
銀行の担当者にまで来ていただき、
総勢20名強の参列者がスタンバイ。
こんな華やかな地鎮祭ってあるでしょうか。
最後に主役のおふたり、
黒いロングコートをまとった内田さんと
奥さまが登場。
僕にとって初めての地鎮祭は、こうして幕を開けました。

▲中島工務店神戸支店長に
 地鎮祭の段取りの説明を受ける

北向きの祭壇を前にして、
神主様のお言葉から地鎮祭がスタート。
僕は終止目を閉じたまま、
たった今自分が立っている大地に同化しながら、
「無事、秋に建築が完成しますように」と
強く願っていました。
目をつぶっていたせいか、
脳裏に浮かんだのは六甲山の風景でした。
阪急電車に乗っているといつも見える、あの綺麗な風景。
「大丈夫だよ」とでも
励ましてくれているかのような優しい言葉が、
六甲山からそっと聴こえてくるようでした。

そんな高揚した暖かい気持ちに包まれていると、
すぐに自分の出番がやってきました。
「刈初(かりそめ)の儀」です。
緊張する暇もなく、
鍬を渡された僕はゆっくりと3歩前に出て、
笹の刺さった目の前の砂山をにらみます。
片膝をついてしっかりと左手で笹を握り、
大声で「エイッ、エイッ、エイッ」。
3度目の「エイッ」と同時に笹を引き抜きます。
この砂山の笹を抜くことが
建物を計画する行為のメタファーとなるのです。
場の厳粛な空気をくずすことなく、
無事に役目を果たせたようです。
建物を大地の上に建てる設計の仕事を、
紙の上にスケッチしたり
図面を引いたりするのとは違う次元で体感した、
短い瞬間でした。

続けて施主の内田さんによる「鍬入(くわいれ)の儀」。
僕ごときが師範に対して
「さすが合気道家」などと褒めたりしたら
かえって失礼ですが、
内田さんはじつに凛々しい姿で
「エィ、エィ、エィ」と鍬で山を崩します。
内田さんにとっても初めての地鎮祭。
キリッとした空気の中、定位置に戻ります。

神主様が土地の神様にお供え物をしたあと、
最後は施工者である中島紀于社長による
「穿初(うがちぞめ)の儀」です。
こちらは百戦錬磨。
たいへん堂々とした
「エイ、エイ、エイ」の掛け声とともに、
砂山の中にお供え物を埋めこみます。

▲左から「刈初の儀」「鍬入の儀」「穿初の儀」の図
▲神主様による四隅のお清め

最後に「玉串奉奠(たまぐしほうてん)の儀」。
参列者が一人ずつ神前に玉串を奉り拝礼します。
玉串とは樫(かし)の枝に紙垂(しで)をつけたもので、
時計回りに回転させて祭壇にお供えするものです。
それから全員で杯を交わし、
敷地の四方にもお酒とお米をお供えして
地鎮祭を終えます。

お施主さんが土地を購入した後に建築家が建物を設計し、
建設会社が工事を施工して、ひとつの建築が完成します。
その一連の流れを、砂山を敷地に見立てて再現し、
神様の前で礼拝するという大切な節目の行事を、
晴天のもとで沢山の参列者とともに迎えられたことは、
なにより嬉しいことでした。
ここから長い工事の旅のはじまり。
多くのみなさまに見守られながら凱風館という船は、
ついに港を出たのです。

▲地鎮祭を無事終えて、みんなで集合。パシャ

次回につづきます。

2011-10-07-FRI
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