糸井 |
こうやって外国の人と会ってるときに
いつも思うことなんですけど、
みなさん、どこに話が行っても構わないって
しゃべり方をされるじゃないですか。
で、そこは日本で勉強を重ねてきた人が、
いちばんできていない部分かもしれないな、
と思うんです。
たとえば「先生」という形で、
いつも呼ばれるような人たちとしゃべっていると、
たまに、生徒がいるときと同じしゃべりしか
できない方がいらっしゃるんですよ。
「私が知ってることをあなたに教えましょう」
っていう。
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パトリック |
なるほど。でも、その先生の教え方は、
20世紀の教育システムですよね。
21世紀の教育システムは、全然違う。
日本の過去の教育については
そこまで詳しく知らないのですが、
たぶんこういう教え方だったと思うんです。
「先生というのは聖なる存在。
生徒は教壇を侵してはならない。
私には知識があるから、私が先生。
あなたが知るべきことを私が教えます。
私が言うことを、全部疑わずに学びなさい」
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糸井 |
そうですね、そういう、力の関係。
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パトリック |
ええ、そうだったと思うんです。
でも世界には、21世紀になって、
あたらしい先生がやってきました、
その先生の名前は
「ミスターグーグル(Google)」。
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一同 |
(笑)
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パトリック |
ミスターグーグルは何でも知ってます。
検索すれば、ぜんぶ教えてくれます。
知識の部分ではこれまでのどんな先生でも
かなわなくなってしまった。
だから21世紀の先生は
上から一方的に教えるっていう役割から
ガイドのような役割に変わらなきゃいけない。
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糸井 |
なるほど。
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パトリック |
そんなふうに私は考えて、
日本でインターナショナルスクールを
つくったのですが、
そこでは教科書をつかってないんです。
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糸井 |
あー、なるほどね。
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パトリック |
糸井さんはTwitterをはじめ
たくさんのソーシャルメディアに触れているから
おわかりだと思うのですが、
21世紀に起こった大きな変化というのは、
情報の共有、知識の共有に関するものなんですね。
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糸井 |
はい。
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パトリック |
で、学校も、
かつては「情報を分け与える場」だったのが、
「人間同士の関係の場」に変化しつつある。
一人ずつが個々に学ぶのではなく、
それぞれがつながって、相互に作用して、
みんながいっしょになって何かを学んだり
つくり出したりする場になっている。
これは本当に大事なことで。
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糸井 |
ええ。
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パトリック |
また、私は5年前くらいに
養護施設を支援するNPOをつくりました。
そこでは全国の3000人くらいの子供たちを
サポートしているんです。
日本では、3万人くらいの子供たちが
養護施設に住んでいるんですが、
コンピュータがない施設が多いんですね。
調べてみると、子供たちは
将来の夢もしっかり持てていない。
施設に住んでいる子供たちの中で
大学に入れるのはたった9パーセント。
そんな事実があったんです。
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糸井 |
ああー。
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パトリック |
それで、何かできないかと考えて、
思いついたのが、孤児院ひとつひとつを結ぶ
コンピュータネットワークがあるといいなと。
もちろん、ソフトをちゃんと入れた、
コンピュータを準備して。
これについてはすでに、
パートナーになってくれる企業も集まっていて、
具体的にどんなやり方にするのがベストかを
今、考えているところなんです。
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糸井 |
へえー。
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パトリック |
ただ、実はそうした施設の大人たちは、
デジタルがそこまで得意ではないんですね。
だけど、子供たちは小さい頃から
デジタルがある前提で育ってますから、
デジタル技術については
いわば、「ネイティブ」なんですね。
デジタルの分野に限れば
大人たちよりも相当に先を行っている。
ただ、そのことで問題もあって、
子供たちが先生よりも遥かに情報を知っているから、
先生たちが萎縮しちゃうんです。
生徒たちのほうが自分より詳しい知識を持っていて、
生徒たちは自分にテクノロジーのつかい方を
教えることまでできる。
これは、先生たちにとって恐怖なんです。
「先生」って何? 「先生」の目的って何?
こんなことなら私は先生じゃないかも、と悩むんです。
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糸井 |
たぶんそれは、本に書かれた情報が
一部の人々の秘密だった時代と同じですよね。
印刷技術がないころは、
本を持っているとそれだけで「先生」だったけど、
印刷されたものがどんどん配られて、
大事な教典や知識がみんなのものになっちゃうと、
関係が大きく変わってしまう。
そして、そのときに大切なことは、
さっき出てきた話と同じで、
「何がみんなを幸せにするか」を考えることであり、
「何が幸せかっていうのは、
知識が多いかどうかじゃない」っていうこと。
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パトリック |
はい、そうだと思います。
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糸井 |
やっぱり、そこに、あらためて戻りますよね。
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パトリック |
ええ。
ちなみに糸井さんは、これからの時代において、
何がみんなを幸せにすると考えますか?
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糸井 |
あの、ぼく自身のことになっちゃうんですけど、
ぼくは自分が特別に
何かができる人間だとは思ってません。
だけど、ぼくは、幸せになりたい。
でも、その
「なにもできないけれど
幸せになりたい自分を生かすために、
いろいろやっている」という人は、
ぼくのほかにもたくさんいると思うんです。
とくに何かできるわけじゃなくて、
あんまり努力家でもなくて、
身体もずば抜けて強くはない。
そういう人たちが、みんな機嫌よくいられるには
どうやったらいいのかな、
ということは、よく考えています。
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パトリック |
ああ、なるほど。
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糸井 |
たとえばさきほどの養護施設でいえば、
きっと才能のある子もそこにいて、
パッと見るだけでも
すぐにわかると思うんですよ。
運動がものすごくできる子もいるだろうし。
でも、とくに際だった才能を
持たない子たちもいっぱいいて。
その子たちがいきいきと生きていけたり、
それぞれに自分のことを素敵だと思えたり、
他の人の価値を認められたりするような世の中に
なっていけばいいなと思っているんです。
みんなの目に見えるかたちで
役立つことをしようがしまいが、
あなたはあなたで素晴らしいっていうことが
みんなにわかるし、自分でも理解できる。
そういう世の中になるといいなって。
ぼくとしてはそんなことをよく考えるんですけど。
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パトリック |
ああ、本当に、そうですね。 |
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(つづきます) |