旅人にとっての北極星がそうであるように、
ピエール・バルーその人自身が、
若きアーティストにとって、
ひとつの「道しるべ」だったのではないか。
短いインタビューをまとめ終えた今、
そんなふうに思います。
詩人、歌手、俳優、映像作家、
そして欧州最古のインディーズ・レーベル、
「サラヴァ」の主宰者。
在りし日のピエール・バルーさんのお話を、
ここに、お届けいたします。
ご一緒くださったのは、妻のアツコさん。
インタビューから約2ヶ月後の昨年暮れ、
ピエールさんは、急逝されました。
わけへだてなく、誰にも開かれていて、
何よりあたたかかったお人柄が、
百分の一でも、伝わったらいいのですが。
担当は、ほぼ日の奥野です。

プロフィール

第6回 アドリブの精神。

──
ちなみに‥‥ピエールさんとアツコさんって、
どうやって出会ったんですか?
アツコ
彼が『ル・ポレン』というアルバムのために
日本に呼ばれて、
当時、日本コロムビアが赤坂にあって、
坂本龍一さん、高橋幸宏さん、
そういう人たちと、レコードをつくっていて。
──
高橋幸宏さんのソロデビュー作は
たしか『サラヴァ!』で、
大ファンでらっしゃるんですよね。
アツコ
そうなんです。うれしいですよね。
それで、出会いの話なんですけど。
──
あ、はい。
アツコ
わたしは、フランスに留学していた関係で、
フランス語ができたんです。

で、そのとき勤めていた会社が、
フランス系の会社が入ってるビルにあって、
よくエレベーターで会うフランス人たちと、
お昼を一緒に食べたりしていたんです。
──
ええ。
アツコ
ある日、彼らから
「いまフランス人の歌手が来てるんだけど、
 スタジオの見学に行かない?」
って誘われて、
「わー、行く行く!」みたいな感じで。
──
軽い気持ちで。
アツコ
そう、本当に、軽い気持ちで。

で、みんなでスタジオ見学に行ったら、
このおじさんがいたの。
ピエール
‥‥‥‥(笑顔)。
アツコ
そのときは、挨拶くらいしたのかなあ。

ともあれ、
わたし、音楽なんかよくわかんないし、
シャンソンを歌ってる
おっちゃんがいるなあ、
それくらいの感じで見てただけでした。
──
‥‥それで?
アツコ
数か月後、そのときのレコードができたから、
お披露目のライブをしたいんだけど、
フランス語のできる通訳を探してるんだって。

でも、当のアーティストが、
プロの通訳は癖があってイヤだと言ってると。
──
そのアーティストというのが、ピエールさん。
で、通訳に抜擢されたのが‥‥アツコさん?
アツコ
そう。
──
じゃあ、その場で再会されて。
アツコ
うん、ナンパされたんです(笑)。
──
あはは(笑)。
ピエール
‥‥‥‥(笑顔)。
──
では、人生のパートナーになったことで、
サラヴァの「大蔵大臣」にも就任され。
アツコ
最初はそんなつもりもなかったんだけど、
家賃が払えないとか、
たいへんそうだなあって思ってたんです。

で、ある日「いよいよ潰れる」と聞いて。
──
でも、大変でしたでしょう。
アツコ
まあ、おもしろかったですよ、なかなか。
もう、めちゃくちゃだったからね(笑)。
──
いろんなことが起こりそう‥‥毎日‥‥。
アツコ
起こりましたね。
──
たとえば、どのような?
アツコ
この会場には、アーティストの写真が
たくさん展示してあるけど、
ときどき「手紙」が貼ってあるでしょ。

あれ、税務署からの手紙なんです。
フランス語で「差押え」と書いてある。

※このインタビューは、2016年秋に開催されていた
 サラヴァ50周年記念展覧会の会場で行いました。
──
え、そうだったんですか!(笑)

なにか、アーティスティックな内容の、
お蔵出しの
往復書簡とかかなと思っていましたが。
アツコ
だからね、ぜんぶ「同時」だったんです。

新しいクリエイション、華々しいライブ、
火の車で燃える台所(笑)。
──
ひとつ、サラヴァが
「スポンサー」をつけていない理由は、
やはり、自由でありたいから?
ピエール
そう、素敵なインディーズレーベルって
たくさんあるけど、
ちょっとうまくいったら、みんな
大手に買われて現金化しちゃいますよね。

そうすると、そのレーベルが持っていた、
ヘンなおもしろさって、
だいたい、うしなわれてしまうんです。
──
そういう例を、見てこられた。
アツコ
やはり荒々しかったところが丸くなって、
尖った部分が失われるのは、
やっぱり、
「インディーズ精神」を失くしたときね。
──
なるほど。
アツコ
大会社に買われたら、そうなりますけど、
それだと、目的が違ってしまう。

少なくとも、
サラヴァの目的は、そこにはないんです。
──
好きなことを、やっていきたい。
アツコ
ただ、彼も歌手としてデビューしたころ、
プロデューサーや
アートディレクターがついていたんです。
──
え、そうなんですか。
アツコ
反抗しながら、やってたみたいだけど。
ピエール
うん、シャンソン歌手だけど、
ジャズプレイヤーだけとやりたいとかね。

ステージの曲順を決められたりとか、
そういうことには、すべて反抗しました。
──
やりたくないことは、やりたくないから。
ピエール
人から言われるのがイヤなんじゃなくて、
「決まりごと」がイヤなんです。
──
大切なのは「アドリブ」ですか。
ピエール
まさしく、そのとおりです。

かつて『男と女』もそうしてつくったし、
アドリブによって
絶えず「新鮮な空気」を取り込みながら、
何かをクリエイトしていきたいんです。
──
サラヴァの哲学も「アドリブ」ですしね。
アツコ
そう。

はじめのほうでピエールが言った
ブラジルで録った音がサラヴァを決めた、
という言葉の意味は、
「楽しいね、記念に撮ろうか」
とみんなで盛り上がって録った音だから、
そこに
温かみや熱がこもっている、ということ。
──
はい。
アツコ
サラヴァは、この50年もの間、
そういう精神を、大切にしてきたんです。
<つづきます>

2017-03-27-MON

ピエール・バルー監督による
ドキュメンタリー、再発。

サラヴァ 「時空を越えた散歩、または出会い」
ピエール・バルーとブラジル音楽1969~2003

1969年、ピエール・バルーさんが
ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで撮影した
ドキュメンタリー映像が
追悼の意味を込めて、再び発売されました。
バーデン・パウエルをはじめ
当時のリオのミュージシャンたちとの交流や、
フェスティバルのようす、サンバの踊り、
50年前のブラジルの、黄色みがかった陽射し。
この古い映像の中で、
ピエールさんとリオのミュージシャンたちは、
ひっきりなしに歌を歌っています。
ギター1本とリズムを刻める何かさえあれば、
どんな場所でも、そこに居合わせた誰とでも。
音楽って、こうして、
ひとびとの間にあるものなんだということが、
伝わってくるロードムービーです。

ピエール・バルーさん

音楽家・作詞家・映像作家・俳優・プロデューサー。
欧州最古のインディーズ・レーベル「サラヴァ」主宰。
1966年、
クロード・ルルーシュ監督の映画『男と女』に出演。
「ダバダバダ~」のスキャットで知られる
フランシス・レイ作曲の主題歌で作詞と歌も担当。
同映画で、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞。
さらには
米国アカデミー賞やゴールデン・グローブ賞はじめ、
世界各国で「41」もの映画賞を受賞。
サラヴァでの活動を軸に、
音楽や映画、出版の分野で多くの作品を生み出す。
ピエールさんに見込まれて、
パリの自宅に住まわせてもらったアーティスト、多数。
レ・ロマネスクのおふたりも
パリの下積み時代に、お世話になっていたとか。
2016年、東京で「サラヴァ」50周年記念展を開催。
2016年12月28日、パリにて急逝。
ピエールさんは、さいごまで、
つまり、倒れ救急車で搬送されながらも、
歌を、歌っていたそうです。

今回のインタビューに同席くださったのは、
奥さまのアツコ・バルーさん。
フランス留学の経験があったことなどから
日本ではたらいているときに、
来日中のピエールさんと知り合ったそうです。
今回のインタビューでは通訳をお願いしつつ、
アツコさんにも、たくさんお話していただきました。