サンミュージック・リッキー社長「人の面倒を見ていたら、社長になっちゃいました」 サンミュージック・リッキー社長「人の面倒を見ていたら、社長になっちゃいました」
カンニング竹山さんやダンディ坂野さんなど、
数多くの芸人から「恩人」として名前が挙がる、
芸能事務所サンミュージックの社長・リッキーさん。
今回、リッキーさんの半生を綴った一冊、
『サンミュージックなお笑いの夜明けだったよ!』の帯を
糸井重里が書いたご縁で対談が実現したのですが、
じつは、糸井がリッキーさんと最後に会ったのは、
もう40年近く前のこと。

1982年、『ザ・テレビ演芸』で結成2年目にして
チャンピオンに輝いた当時の「若手芸人」リッキーさんと、
その姿を「審査員」席で見ていた糸井。
「あのときの若者」が、たくさんの若手芸人にとっての
「恩人社長」になるまでの人生模様を、
糸井があっちからこっちから面白がりました。
役者志望だった若者時代、変わりゆく夢、
そして、後輩たちに伝えてきた「たったひとつ」のこと。
全7回でお届けします。
第6回 「はい。楽しいですね、社長」
糸井
あの、リッキーさんは、これだけやってきて、
いろんなものを見てきて、そのうえできっと、
「芸能界が好きだ」って言えますよね。
リッキー
はい、好きですね、芸能界。
糸井
そうですよね。今もお好きですよね。
どうして、好きなんでしょうか。
リッキー
うーん‥‥
やっぱりものすごく、
「ミーハー」なんですよ、僕は。
写真
糸井
ああ、「ミーハーなんです」って面白いですね。
要するに、「まわりを見てて楽しい」ってことですよね。
今でも、「あ、森田健作だ!」っていう、
あのときのリッキーさんのまま。
リッキー
はい、そういうことですね。



あの、例えば、
野球のオフシーズンのときに、
ジャイアンツのお仕事で、
盛り上げ役として芸人が2組3組呼ばれるお仕事があって、
ブッチャーブラザーズもよみうりランドに行ったんです。



で、僕らは少し早く控室に着いて、
ぶっちゃあさんとふたりで、
長嶋茂雄監督が優勝して胴上げされてる写真が載った
雑誌を見てたんですね。
糸井
はい。
リッキー
そうしたら急に、
長嶋茂雄ご本人が現れたんですよ。
「あれ、それいい写真ですねぇ~」って、
もう、ものまねの人がやる以上にものまねのような、
あの高い声で控室に入ってきて。
糸井
はい、はい(笑)。
リッキー
部屋には、僕ら3人だけですよ。
「うわーっ」って。
もう、蛍光灯持って歩いてんのかってくらい光って見えて。



そしたらぶっちゃあさん、何を血迷ったのか、
「あ、監督、サインいただけますか?」
「書くものある?」
「あります」
‥‥あるんです、なんかペンがあるんですよ、
そういうときって。



で、サラサラサラサラって書いてもらってたら、
巨人軍の広報の人が「監督どこ行った?」って入ってきて、
「あっ、なにやってんだ、おまえら!」って、
えらい怒られまして(笑)。
写真
糸井
(笑)。
リッキー
サインをさっと隠して、
「今日ちょっと、あの、仕事で来てまして‥‥」って、
もう、江戸城に忍び込んで
捕まったみたいな感じだったんですけど。



そういうミーハーなうれしさが、
僕は、若いときから何も変わらず、
今でもずっと続いてるんです。



人気男性アイドルグループの子とかと共演すると、
「うわー、すげー、全然違う、かっこいいわぁー」
とか思っちゃうんですよ、やっぱり。
「顔、ちっちゃ!」って(笑)。



芸能界の方って、売れてる俳優さんとかでも、
みなさん少なからず
そういうミーハーな部分があると思いますよ。
「今日誰々と共演するな」
「あっ、あの人がスタジオにいる」っていうような感じで。
一見、淡々と平静を装ってますけど。
糸井
意外とね、お互いにね(笑)。



あの、「僕はミーハーなんです」っていう人が
芸能事務所の社長になるのは、いいことですか。
リッキー
これはちょっと、自分の自慢できる部分とも
言えるかもしれないんですけど、
僕、うちに所属しているタレントたちに会うときも、
同じように「わあ」と思うんです。
糸井
ああー。
写真
リッキー
だって、うちに所属しているタレントたちも、
やっぱりもちろん、タレントですよね、みんな。



はっきり言ってしまえば、
売れてようが、売れてまいが、
新人だろうが、ベテランだろうが、
「タレント」に会うとね、
いつも初めて会ったような新鮮さで
うれしくなれる感情があります、僕。
糸井
それは、間違いなくいいことですね。
だって、社長が商品をうれしがってるってことですもんね。



じゃあ今、リッキーさんは、楽しいですね、社長。
リッキー
はい。楽しいですね、社長。
「仕事が増えてイヤだイヤだ」とは言うんですけど、
なんか結局、「毎日休んでられない」のが楽しいですね。
糸井
うんうん。
リッキー
うちの妻に言わせると、
やっぱり20代30代の半ばぐらいまで大して金もなく、
ただ芸能界にいるだけで忙しく仕事したこともないんで、
「最後ぐらい働きなさい」と言われてますね。
糸井
それは‥‥俺でも言いそう!
リッキー
ハハハハハハ。
写真
糸井
その境遇の人は、そうしたほうがいいですよね。
だって、せっかく頼まれたんだもの。
やったほうがいいですよね。
リッキー
そうですね。
あと、やっぱり忙しくすると、
なんていうんですかね、「より働く」ようになりますね。
糸井
きっと、「会社をもっと良くするにはどうしたらいいか」
ということについて、
絶えず頭を使うようになるんでしょうね。
そんなことは、芸人さんだけの時には思わないですよね。
リッキー
はい。自分ことしか考えないですからね。
糸井
考えますよね。
「このチームでどうするか」を考えるようになるって、
とてもすばらしいし、面白いことですよね。



まあもちろん、社長になったことでめんどくさいことも、
たぶんあるんでしょうけど。
リッキー
あのー‥‥いっぱいありますね。
写真
糸井
ありますか(笑)。
リッキー
僕が社長になったことによって、
タレントはよろこんでくれたんですよ。



「芸人のまま」の人間が社長になったんで。
糸井
ああー。
リッキー
でも、僕からすると、
やっぱり前よりも相談が増えるんです。



めんどくさいって言ったら申し訳ないんですけど、
「そんなこと僕に相談しなくても、
マネージャーと二人で決められることやないか」
みたいなことでも、僕に相談が来る(笑)。
糸井
なんか、
「リッキーさんに相談すれば答えが見える」
って気がするんでしょうね。
リッキー
ですね。
サンミュージックの創業社長も前社長もそうですし、
ナベプロも、ホリプロもそうなんですけど、
全員、実はね、プレイヤーから社長になってるんですね。



ただ、もともと距離が近かったはずの
「元プレイヤー社長」であっても、
「タレントが直接何かを相談する」というのは、
やっぱり自然となくなっていくこともあるみたいなんです。



でも僕の場合はどうやら、「何でも相談してもOKだ」
といまだに思われてる(笑)。
写真
糸井
それはだって、
前からそういう人だったわけでしょ、ずっと。
リッキー
そうですね。
糸井
「ただ、肩書きが社長になっただけ」ぐらいに、
芸人さんからは見えてる。



ひょっとすると、芸人さんだけじゃなくて、
歌の人とかも同じように相談しに来るわけですか。
リッキー
はい、同じですね。
糸井
ああ、じゃあもう、
そのかたちはずーっと変わんないんですね。



何だろう、親ドリじゃなくて
「兄ドリが子トリを育てる」ような、
その距離感に、人が集まってくるんですね。
(つづきます)
2024-05-20-MON