サンミュージック・リッキー社長「人の面倒を見ていたら、社長になっちゃいました」 サンミュージック・リッキー社長「人の面倒を見ていたら、社長になっちゃいました」
カンニング竹山さんやダンディ坂野さんなど、
数多くの芸人から「恩人」として名前が挙がる、
芸能事務所サンミュージックの社長・リッキーさん。
今回、リッキーさんの半生を綴った一冊、
『サンミュージックなお笑いの夜明けだったよ!』の帯を
糸井重里が書いたご縁で対談が実現したのですが、
じつは、糸井がリッキーさんと最後に会ったのは、
もう40年近く前のこと。

1982年、『ザ・テレビ演芸』で結成2年目にして
チャンピオンに輝いた当時の「若手芸人」リッキーさんと、
その姿を「審査員」席で見ていた糸井。
「あのときの若者」が、たくさんの若手芸人にとっての
「恩人社長」になるまでの人生模様を、
糸井があっちからこっちから面白がりました。
役者志望だった若者時代、変わりゆく夢、
そして、後輩たちに伝えてきた「たったひとつ」のこと。
全7回でお届けします。
第7回 やり残したこと。
糸井
そろそろ終わりのお時間なんですけど、
最後にもう一個だけお付き合いいただいてもいいですか。
リッキー
ぜひ、ぜひ。
糸井
じつは僕、歳を取って、誰も面倒を見てくれなくなったら、
ひとりで地方のライブハウスを回って、
30人ぐらい集めて、ちょっと面白い話をして、
1500円ぐらいの料金取って食っていく‥‥
っていうのをやるのが、夢なんですよ。
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リッキー
わあ、いや、ちょっとそれ、
めちゃくちゃかっこいいですね。



あの、そういえば上岡龍太郎さんも、
生前近いことをおっしゃってました。



上岡さんと言えば、引退されるときに
「老後は渡米してプロゴルファーになる」
と宣言して話題になりましたけど、
じつは僕もその後ご縁ができて、
ゴルフをご一緒させてもらったりしたんですね。



で、あるとき大阪で飲んでいたときに話していたのが、
「プロゴルファーは、渡米して1週間でやめにした」と。
糸井
はい(笑)。
リッキー
本気で練習するつもりで
アメリカのゴルフ場に行ってみたら、
その宿舎がもう、リゾート地の老夫婦が毎朝
小鳥のさえずりを聞きながらコーヒー飲んでるような、
もうあまりの環境の良さだったんだと。



「こんな良い環境で、
必死にプロゴルファーなんか目指せるか!」と
思って、やめにしたんですって(笑)。
糸井
ああーー。
リッキー
で、そんな話の流れで、
「こういう好きなことだけ、
少人数でしゃべるのは、ちょっとええなぁ」って。



そんなことおっしゃられてたのを、
いま糸井さんの話を聞いて思い出しました。
糸井
ああ、そうでしたか。



あの、上岡さんってそれこそ、
「別に面白いこと言ってるわけじゃないですよ」
という話芸じゃないですか。
あれって、話芸のなかでもとっても特殊なジャンルだった
と思うんですよね。



僕が今欲をかいて
「そういうのが夢です」って言ってるのも、
べつに僕は面白いことを言える人間じゃないんですけど、
なんか「場をもたせる」ことはできるんじゃないか
って思うのと、
その「場をもたせる」を聞きに来る人って、
もしかしたらいるんじゃないかという、
そこに、笑いとかしゃべるコミュニケーションの、
「新しいジャンル」があるような
気がしているんですよね。
リッキー
ああ、なるほど。
写真
糸井
イメージとしては、
たとえば古舘伊知郎さんがやっていることって、
やっぱり「芸」だなと思うわけですよ。



「ためになったな」「感動したな」とかって、
「笑わせてる」わけじゃないけれども、芸。



何か伝わるものがあって、
講演でお客さんがいっぱい入るというのは、
やっぱり芸ですよね。
リッキー
そうですね、そうですね。
糸井
なので僕も、
とくに何の役にも立たないかもしれないけど、
「でも、まあ、なんか良かったね」っていうか、
「聞けてよかったね」っていう、
そういう「芸」で全国をまわって食っていけたら、
夢なんですよね。



ただ、先程リッキーさんが言われた
「必要なのは、伝える力です」を考えると、
僕にはそれは、できてないです。



「原稿を書く」という、
書き直しができる場所でやってることと、
「今まさに口から出た言葉で
何かを感じさせる」っていうのは、
全然違うことだから。



そういう意味でも、「夢」ですね。
リッキー
いやあ、いいですね、本当に。



たぶん、それで相手に伝わったというときが、
やっぱ「芸」になった瞬間なんでしょうね。
糸井
音楽のライブハウスで、
「糸井重里、来たる」って言って、30人集まって、
ひとり1500円払ってくれて、4万5000円。



で、会場と折半して、
「じゃあ、僕は2万円だけいただいて」っていう、
で、その日のホテル代が8000円で、みたいな。
‥‥いいですねぇー。
写真
リッキー
(笑)



どっか、田舎町に1個しかない旅館とか、いいですよね。
糸井
いいですよね。
なんかね、恥ずかしいんだけど、
なんかそこを、やり残してる気がして。



本当に具体的に、
「誰かの肩を揉んでよろこんでもらった」
のと同じような、手触りのある何かを、
触って感じたいんですよね。
リッキー
うん、うん。
糸井
最後は僕の人生相談みたいになってしまいましたが、
‥‥しゃべってたら、あと2時間ぐらい、
平気でしゃべれるね(笑)。
リッキー
そうですね(笑)。
糸井
あの、今日お話を伺っていてずっと
「すごいな」と思っていたのが、
リッキーさんって、どんなことがあっても
「イヤになってない」んですよ。
リッキー
ああー。
糸井
普通、何か物事がうまくいかなくなって
袋小路に入ったりしたら、
誰だってイヤになるものじゃないですか。



でもリッキーさんは、わりとすぐに
「なんとかしよう」と動き出せる人なんだなっていう。
リッキー
そうですね。
それはわりと、子どものときからそうですし、
今もそうかもしれないですね。
糸井
それは素晴らしい、
「才能と呼ばれない才能」だと思いますけどね。



あの、ぜひ、またいろいろ教えてください。
僕のほうでまた「ライブハウスの夢の話」が進んだら、
また相談に伺いたいと思いますので。
とくに、「伝える力」についてなんか、
もう、兄ドリとして。
リッキー
いやいや、でも、お力になれることがあったら、
ぜひやらせてください。
糸井
いや、ほんとに‥‥
ダメだ、座ってたらまたしゃべりだしそうだから、
もう立とう(笑)。
リッキー
そうしましょう(笑)。
ありがとうございました。
写真
(おわります)
2024-05-21-TUE