6日目:“理性派”と“経験派”


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8/13 6日目

昨晩、はえが窓とカーテンの間から出られずに
ジタバタしていた。
少し気持ちがわかる。
ベランダから部屋に入る時、
カーテンが目の前に広がる。
厚いのとうすいのの2枚。
それを手で、引いても引いても、
目の前からなくならない。
たぶん引くべき方向とは逆に引っぱっている。
もしかしたらレールに対して平行ではなく、
変な方向に引いているのかもしれない。
カーテン前で、私もよくジタバタしている。

同じ場所でくるくると回ることがよくある。
玄関でくつをそろえて、
後ろ向きに家に入ろうとする時、
くつ(足)をへりに対して垂直にするのが難しい。
理性で考えると、かべがあるように見える方へ
足を向けるのが正しい。
でも経験からすると、
かべがある方へ足を回すなんて、
ぶつかるにきまっている。
この“経験派”の力がとても強い。
私は理性派に賛成なのだが、
体がいうことをきかない。
理性派と経験派がぶつかり合って、
私はクルクル回ってしまう。

かべとくつの図

後半は実家ですごす予定なので、
その打ち合わせで母と電話で話す。
そこで母に、
「Nさんもきっとストレスがたまっているよ。
 先生にも迷惑をかけて。
 なんであなたはそんなメガネをかけるの」
と、メガネをかける前に
何度もくり返した会話をまたする。
分かってます。
仕事をしているNさんには
たいへん迷惑をかけている。
先生もつかれているはず。
皆に迷惑をかけている。
でもお母さん、今メガネをかけている、この時に
そんなことを言って責めないで。
精神的につらい。

いつものように家を出て駐車場へ向う。
目の前のT字路をじっとながめる。
右に駐車場はある、と思う。
では、右に曲がろうと体を動かすと、
私は左に曲がってしまった。
もう一度スタート地点へもどる。
今度こそ右に曲がろうとさっきと逆の方へ曲がる。
先生が、そっちじゃない、と言う。
再度スタート地点。
やはり、駐車場は右にある。
手をかざして確かめると、右手のある方だった。
しんちょうに、右と思う方へ曲がる。
駐車場が見えた。こちらは、はじめに、
左へ曲がってしまったと思っていた方だった。

目をつぶって右手を前に出してブラブラする。
頭の中で想像する右手が、
メガネをつけて見える右手の方にあると感じる。
でも逆の方にもちらちらと、右手の像を感じる。
2つの右手がブラブラする。
左手はどうかというと、
メガネをつけて右手がある方に、あるように感じる。

メガネを通してみた私の視界

右手の図

左手の図

ぶどう園に行く。
頭上の棚に白い紙におおわれた、
ぶどうがたくさんぶら下がっている。
私は頭を90度かたむける。
すると天地が反転して、
地面が上、ぶどうが下となる。
下から強い照明にてらされて、
白い紙のぶどうがさきみだれているよう。

ぶどう園の図

前より家の中がスムーズに歩けるようになった。
スーパーの中でも、通路で歩きながら、
人とすれ違うことができる。
自分の運転がうまくなった感じ。

昨日まで、たたんだフトンをよけて、
荷物をとるには、
右回りのルートでしかいけなかった。
左はせまくて、行きづらい。
でも今は、目的のある場所に合わせて、
どちらでもスイスイ行ける。


ぶどう園のおじさんが、メガネを見て、
「それ拡大して見えるの?」と話しかけてきた。
興味ありそうだったので
目をつぶって、メガネをかしてあげた。
「うわ、こりゃダメだ。気持ち悪くなる」
と言っていた。

<ほぼ日より>
“理性派”と“経験派”のぶつかり合いのお話、
興味深いです。
体の動きは経験の積み重ねなのですね。
そうこうしているうちに、左手はだいぶん
右の方にあると思えるようになってきて、
動きもスムーズになり、
「“自分”の運転がうまくなってきた」という
川辺さん。
時間をかけて、貴重な経験をしようとされています。
2007-08-14-TUE