コーヒーが飲めなかった中川さんに、地球のロマンについて聞く。
中川亮太さんは、品川・天王洲にある
様々なビジュアルコミュニケーション事業を
展開する株式会社アマナ専属の
「コーヒークリエイター」です。
はじめてお会いしたのは2018年春のこと。
発売後まもないアースボールを
ずいぶん気に入ってくれた方がいるらしいと、
アースボールチームで会いに行ったんです。
そこでぼくらはやられちゃいました。
飲んだコーヒーのおいしさに。
地球とコーヒーの興味深いお話に。
中川さんのとびきりの笑顔に。
意気投合した我々は、
やがてアースボールのコンテンツを
いっしょに作ることになり、
生活のたのしみ展でも
ご一緒させていただくことになります。
そんな中川さん、なんと以前は
コーヒーが飲めなかったらしいんです。
中川さん、その話、興味があります!
前編 コーヒーが飲めなかった中川さんが、コーヒーを飲めるようになるまで。
後編 アースボールに出会った中川さん、地球のロマンを語る。
中川亮太さんのプロフィール
前編 コーヒーが飲めなかった中川さんが、コーヒーを飲めるようになるまで。
──
生活のたのしみ展、ありがとうございました。
あっという間でしたね。
中川
おつかれさまでした。 
ほんとうに、ときが経つのははやいですね。
──
コーヒーワークショップでは、
えらいスケジュールを組んでしまって
申し訳ございませんでした。
中川
ぼくもできますよって軽く言ったんですけど、
やってみたら、けっこう大変でした(笑)。
──
1回45分のはずが、
話が弾んじゃって、終わらない‥‥。
中川
ついついノリすぎちゃうんですよね。
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──
一段落したこのタイミングで
あらためて中川さんにお話をお聞きしたいと
思ったんです。



ぼくらがいちばん聞たかったのは、
以前は「コーヒーが飲めなかった」という
まさかのエピソードなんですが‥‥
ほんとうですか?
中川
ほんとうです。



子どものころ、
父がコーヒーがすごく好きで、
休みの日によく飲んでいたんです。
そのときに、
コーヒーミルで豆を挽くのを手伝っていました。
まだ体も小さくて、力がそんなにないので、
太ももにミルをグッと挟んで、
ガリガリガリガリ一生懸命挽くんですよ。
幼いながらに。
そうすると、いちばん良い香りが
ちょうど鼻のあたりに
真下から上がってくるんですよね。
それをずっとかぎつづけていたので、
コーヒーの香りが大好きになりました。
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──
まずは香りから、だったんですね。
中川
でも実際には、
ほとんど飲んだことはなかったんです。
きっとすごく苦いんだろうって。



喫茶店の雰囲気にも憧れるようになって、
大学ではコーヒーのことを勉強したいと
思うようになりました。
そこでやっと、
本格的にコーヒーを飲み始めたんです。
こっちの喫茶店で飲んで、
あっちのカフェで飲んで、とやっていたら、
もう、飲むたびに、
「体調悪~い。お腹つらい。
何、この飲み物。おいしくな~い、つらい。
いやだ、どうしよう!」
‥‥となってしまったんです。
エ~ッ、どうなるのこれっ、と思って。
──
それは困りましたね(笑)。
中川
結局大学で学んだのは、紅茶のことでした。
コーヒーとは違うテーマで、
でも、自分の興味のあるものは何だろう?
となったときに、
ボヤンと見えたのが紅茶だったんです。
で、4年間、紅茶とミルクを。
紅茶をやっていると、
避けて通れないものがミルクなんですよ。
ミルクティーという飲み方があるので。
──
紅茶とミルクが、大学時代の研究対象。
中川
はい。コーヒーには、一切触れず(笑)。
でも、それが今、
めちゃめちゃ役に立ってますけどね。



その後もコーヒーとは別の道へ。
大学を卒業する頃には、
なぜか飲食で就職するという意思が無く、
クルマの買い取りをしている会社に入りました。
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──
ぜんぜんコーヒーに関係ない‥‥。
中川
そこで社内報の仕事をしていたら、
今度はエディトリアルという仕事に興味が湧き、
1年後には退職届けを出していました。



その後、大好きな街・神保町で、
医薬学術系出版社の求人を見つけて、
DTPデザイナーとして働くようになります。
──
なかなかコーヒーにつながらないですね。
中川
そう、ここからなんです。
神保町という土地柄、
たくさんの喫茶店があって、
それぞれの編集者に、
お気に入りの喫茶店がありました。
打ち合わせのたびに、
いろんな喫茶店に行くんです。



でも、自分はコーヒーが飲めないので、
ホットミルクばかりオーダーしていました。
注いで温めるだけなので、
ミルクだけはどこに行っても
品質が安定してるんです。
──
ミルクの知識が生きてる。
中川
そんな中、ある喫茶店だけ、
味の奥のほうに「コーヒー」を感じたんです。
「何だろうな?」と思ってマスターに聞いたら、
うちはコーヒー自慢のカフェなので
ホットミルクにも数滴、
コーヒーを入れてるんですって。



ほんとうにもう、ふつうの人にとっては、
感じるか感じないか程度です。
だけど、自分は「おおっ!」て。
すごくおいしく感じたんです。
またそこで、ホットミルクを頼んで、
マスターといろいろ話をして、
じゃあ、もう少し濃くしてみる?
という感じで濃度を変えていって、
だんだん、だんだん、飲めるようになって。
で、気がついたら、
ミルクなしでも飲めるようになっていたんです。
──
コーヒー復活、ですね。
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中川
そこから飲めると思ったら、
コーヒー熱が再燃しちゃったんです。
「あれ自分、飲めるじゃん!」って。



そしてまた、いろんな所で飲み始めました。
やっぱりまだ、
飲むと気持ち悪くなるコーヒーもあって、
すっと飲めるコーヒーもある。
それが何の違いなのかわからない。
とはいっても、
そもそもコーヒーが飲めるようになったことが
おもしろくて、おもしろくて!



ここが、ようやく僕にとっての、
コーヒーのスタートだったのかもしれません。
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──
やっとコーヒーに目覚めた。
中川
そうなんです。
でもそうこうしているうちに、
神保町にあるからこそ好きだったその出版社が、
引越しすることになりまして。
神保町にあったオフィスは、赤羽橋という、
東京タワーの麓に移転してしまいました。
そのあたりは喫茶店も少なくて、
どうしようかな、となったところで、
自分でコーヒーを入れて飲むことにしたんです。



そこで転機が訪れました。
自分で飲むためのコーヒー豆を探していたら、
偶然「ダフニ」というお店をみつけたんです。
そこで、
「実はコーヒー、そんなに飲めないんです。
でも、ミルクを混ぜたら飲めるんです」
みたいな相談をすると、
じゃあ、と勧めていただいたのが
マンデリンでした。ダフニさんのマンデリン。
──
へえ‥‥。
中川
それが今まで飲んだコーヒーの中で、
自分の中でもう、ずば抜けておいしくて!
ミルクを混ぜずに飲んでも
すごくおいしく飲めたんです。
──
なぜそのコーヒーは飲めたんでしょうか。
中川
「生豆」のクオリティ、だったと思います。
マンデリンはもともと
個性的なおいしさがあるんですが、
ダフニさんの「生豆」の目利きと、
焙煎の技術が合わさることで、
雑味がなく綺麗なマンデリンとなり、
よりそのおいしさを味わうことができたんです。
──
中川さんに入れていただいたコーヒーも、
雑味がなくとても飲みやすかったのですが、
やはり良い生豆をきちんと選んで、
技術の高い焙煎を行っているところに
ポイントがあるのでしょうか。
中川
はい。そのとおりですね。



そこからますますコーヒーにのめり込んでいき、
出版社も退職。
今度は大手コーヒー会社にデザイナーとして
勤務するようになったのですが、
じつはその仕事とは関係のないところで、
また新たな出会いがありました。



今でも、もっともリスペクトしている方、
コーヒーハンターとして知られる、
川島良彰さんとの出会いです。
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──
コーヒーハンター。
中川
まだ何の面識もないころに、
川島さんが立ち上げた六本木の
「ミカフェート」というお店に行きました。



そこで試飲を1杯飲ませてもらったら、
それがあまりにもおいしすぎて。
今思い出しても涙が出てくるぐらいです。
──
それほどの出会いであったと。
中川
はい。
味でこんなにも感動したのが初めてで。
本当にびっくりしました。



その後、川島さんが案内してくれる、
コーヒーツアーに参加するようになりました。
年に一度くらいの割合で、
グアテマラ、エルサルバドル、パナマ、
タイ、ハワイ‥‥。
──
世界各地へ、コーヒーを求めて。
中川
ツアーでは年に一度、
収穫のシーズンの終盤に訪れ、
その国の農園をまわって、
その時期でないとできない体験をします。
どういう農園が素晴らしい農園で、
どういう農園が素晴らしくない農園かとか、
なぜおいしいコーヒーができるのか、
なぜおいしくないコーヒーができるのか、
というのをぜんぶ、
現地で土をさわって、風をかいで、水を見て、
みたいな感じで。
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──
すばらしい体験ですね。
中川
そのツアーを通して、自分のやりたいことも
少しずつ見えてきたんです。
潤っているようで潤っていない生産者の姿と、
あたりまえのようにコーヒーを飲んでいる
消費者としての自分たち。
自分にも、そこを何か、うまく橋渡しできる
役割ってないのかなって。



そんなときにアマナから声がかかったんです。
──
アマナさんはすばらしい写真や動画を始め
様々なビジュアルを企画制作している
会社だと思っていました。
なぜ、中川さんに声をかけたんでしょう。
中川
「コーヒーをひとつのメディアと捉えて
発信していきたいから協力してくれないか」
ということだったんです。
飲食ビジネスを主としていない
アマナだからこそ出来るコーヒーの可能性を
模索してほしいと。
──
コーヒーをメディアにしたいというのは、
どういうことですか?
中川
コーヒーって、かつては本当に、
一大メディアだったんです。
イギリスには17世紀半ばから18世紀にかけて、
コーヒー・ハウスという喫茶店がありました。
そこにはいろんな人たちが
コーヒーを飲むために集まってきて、
政治を語り、アートを語り、日々のことを語り、
新しいビジネスが
そこから生まれたりしていました。
コーヒーをひとつのメディアとして、
そこをハブとしていろいろなことが起きていく、
そんな時代があったんです。



今でこそ、嗜好品という位置づけの
コーヒーですが、
その力は衰えていないと思います。
コーヒーというメディアをあいだに置くことで、
人と人がつながりやすくなる。
人と人だけでなく、人と会社、会社と会社も。
コーヒーは音楽に近いものなんじゃないか、
と思います。
コーヒーを間に置いて、
いろいろなものをつなげていく。
そんな役割を求めていたのかもしれません。
──
中川さんは、
その思いに共感されたわけですね。
中川
はい。
コーヒーは世界中の人に飲まれていて、
言葉もいらない。ノンバーバルです。
海外の人とでもすぐにつながることができる。
それはコーヒーの持つすばらしさだと思います。



肩書に「コーヒークリエイター」とありますが、
自分はコーヒーというメディアを担当する、
ひとりのクリエイターだと思っているんです。



写真や映像やCGと同じように、
コーヒーというメディアに
クリエイティブの切り口や考え方を取りこんで、
その魅力を発信していきたいと考えています。
デザイナーという道を通ってきたことも、
今の仕事につながっていると思います。
──
思っていたよりもいろんな歩みがあって、
今に至っているんですね。
中川
そうなんです。でも失敗も含めて、
そのぜんぶが今に生きてると思います。
写真
(後半は、中川さんとアースボールの出会いを
お聞きします)
2019-07-25-THU
第四回生活のたのしみ展で、
中川さんにブレンドしていただいた
コーヒー豆「ちきゅうブレンド」を
再販売します。
写真
「ちきゅうブレンド」は、
ちきゅう各地のおいしいコーヒー豆として

・アフリカ代表「エチオピア」

・アジア代表「インドネシア」

・中米代表「グアテマラ」

・南米代表「コロンビア」

を選りすぐりした、
ちきゅうベストチーム(ブレンド)なんです。
中川さんいわく、
「爽やかさ、トロピカルな甘さ、
ユニークさ、コーヒーっぽさが
ずるいくらいうまくまとまったブレンドが
出来ちゃいました。
チーズケーキのような甘いものから、
カレーのような辛いものにもしっかり合うように
調整しました!」
とのこと。
「カレーの恩返しカレー」ともぴったりな、
「ちきゅうブレンド」を
ぜひおたのしみください。