HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
おさるの年にゴリラの話を。

判断すること、決断すること

糸井
僕は会社組織、つまり、群れを率いていますが、
おさる的なものに共感しているので、
なるべくルールはつくりたくないんです。
でも、なぜか社会が要求するのは、
「あなたの会社は何が目的で、
 どういう理念でやってますか」を聞きたがる。
山極
たしかにね。
糸井
目的に向かって動くというよりは、
この、生きるという状態の快感とか、
ある人が喜んでくれたということの間を
もっとジグザグに動いている気がするんですよ。
それで、理念や目的はできませんが、
姿勢はできるなと思ったんですよ。
そこで、うちの姿勢としてつくったのが、
「やさしく、つよく、おもしろく」。
山極
ほーう。
糸井
順番もそれがいいなと思ったんですね。
「やさしく」を支えられる
「つよさ」がなければいけないし、
「おもしろく」がないと、
ふつうになっちゃうんで選ばれないんですよ。
そして、おおもとに「やさしく」がないと
じぶんを生かす意味もなくなるんです。
山極
うんうんうんうん。
糸井
姿勢なら明文化しても大丈夫だ、って気がしたんです。
今のところはこれでやっていますが、
この先になると、もう少し要求されるはずです。
「総長になって、なにをされますか」と同じですよね。
山極
ずっとそういう話ですよね。
僕にもね、中期計画をきちんと立てなさい、
どういう目標がありますか、出口はどうですか、
どの程度達成されますか、その目標を考えてください、
いつもいつも言われているんですけど、
それはもちろん、ダミーとしては用意できます。
糸井
はい。ダミーとしてはね。
山極
ダミーを考えてもいいんだけど、
重要なのは理念です。目標じゃなくて理念。
糸井
ああ、なるほど。
山極
京都大学では「対話を根幹とした自学自習」を
掲げていて、これをみんなで共有しています。
それで、多様性を重んじて、垣根を越えて、
みんながおもしろいことをやりましょう。これが理念。
そういうことさえ共有していれば、
いろんな、おもしろいことが出てくる。
予想したことが出てきても、つまんないじゃないですか。
糸井
そうそう!
山極
いろいろな新しいものが生み出され、
羽の生えた学生たちがすぐ飛び立って行ける。
いろんな方向を見出してくれる驚きがおもしろいんです。
あらかじめ目標を決めて達成度がいくらなんてね、
こんな貧しい発想で大学をやっていたら、
そこは若者を育てる場所じゃないですよ。
糸井
最高の型をつくって、あとは粘土をはめなさい、
という4年間になっちゃうわけですよね。
でも最高の型なんて、できるはずがないんで。
山極
そう、できるはずがない。
糸井
偶然性の中にあるわけですからね。
いやーっ、今わかったなぁ!
先生のおっしゃっている「理念」と、
僕が言っている「姿勢」というものは同じですね。
僕は、理念と言ってもよかったんだ。
山極
うんうん、いいと思いますよ。
僕も理念を出せって言われたときには、
「京大はおもろいことをやりましょう」その一言です。
「おもろいなぁ」と認めてもらえるプレゼンの仕方、
発想、説明することを学んでほしいんです。
そして僕は、「大学は窓です」とも言っています。
これまで大学は「門」で語られてきましたが、
寺社仏閣の門のように俗世間と聖域を分けるのではなく、
窓を開いて、相互の風通しをよくしたいんです。
いろんな人たちが入り込んで、学生も外に出ていって、
京都全体が大学のキャンパスのようになって、
みんながいろいろできる場所にしたいですね。
糸井
それで、窓なんですね。
山極
なぜそういうことを言ったかというと、
IT社会がね、学問の性質を変えてしまったんです。
知識は、人から人へと伝えられるものでしたが、
今の若い人たちは、
知識はインターネットの中にあると思い込んでいて、
人から学ぶものじゃないと思っているんですよ。
大学は、ただ知識を学びに来るところじゃなくて、
人と人とが接して、お互いの考え方、
あるいは経験というものを学ぶところであってね、
人と接しなければ、大学の価値はなにもありません。
そういう場をつくらないと、いかんだろうと。
糸井
それはおもしろいですねぇ。
あと、インターネットに似ていることでいうと、
互いに評論する人たちが、職業になっていますよね。
結局のところ、突破するという発想をしていなくて、
「判断」ばっかりの社会だと思ってるんです。
山極
そう思います、僕も。
糸井
批評する人と、責任を持つ人の違いは、
「判断」か「決断」かだと思うんです。
決断する人なら、間違えたとしても
寛容の中に逃げ込めるし、謝って済ませられる。
山極
判断というのは、選択なんですよね。
「お前どう思う?」って聞かれたとしても、
自分の頭で情報を整理して、決定する瞬間がない。
なにかを選択するだけなんです。
怖いのは、自分で考えないことなんですよね。
糸井
ほんとですね。
考えていないことでも、答えることはできるから。
山極
私は大学で京都に来て、いろいろな人と付き合いながら、
ちょっと違う雰囲気を感じたんですよね。
必ず、「お前どう思ってんねん」が出てくる。
自分が読んだ本の中から、
マルクスはこんなことを言っていたとか言っても、
「それはお前が考えたこととちゃうやろ。
 で、お前はどう思ってんねん」と必ず聞かれる。
その答えを予想して、用意してこなきゃいけないんです。
糸井
うん。うん。
山極
しかもそれは、瞬間芸なんです。
自分がどう思うかも言わなくちゃいけないし、
いろんな人から聞いた情報を元に、
自分が考えたことを、その場で紡がなくちゃいけない。
こういう世界があるんだな、と思って
勉強の仕方が変わってくるわけですよね。
糸井
はぁー。
山極
のちにゴリラの調査で海外に行ったときのことです。
同じ基地にイギリス人やアメリカ人とかがいる中で、
あんまりうまくない英語で話をしなくちゃならなくて。
でも、彼らとは違うことを言ってやろうと思うわけです。
知識をひけらかすのではなくて、
考えの斬新さ、おもしろさを心がけて
発言しなくちゃいけないようにする。
そうすれば、相手の意見を引き出せますから。
議論に勝つんじゃなく、議論を自分でつくることで、
相手を変えて、自分も変わる。
その方向に持っていくことが、
議論をたのしむということの本質です。
糸井
知っている英単語の数ならきっと、
劣っているに決まっていますよね。
でもきっと、議論は教養の問題ではないですよね。
山極
そう。相手の興味を惹くような話題が出せたら、
しどろもどろでも相手が考えてくれます。
それによって、
「あっ、そうか。俺の言いたいことは、
 こういうふうに言い換えられるんだな」
というふうに覚えたりできるんですよね。
糸井
僕が、山極さんが総長になって愉快だなと思ったのは、
立場と発言を整理して、納得して動ける総長が
今の時代には必要だと思ったからなんです。
偏った思想の人から見たら、何をしてもダメですから。
山極
そうなんですよねぇ。
まあ、私はゴリラに一番の価値観を置いていて、
人間に価値観を置いているわけじゃないので、
そういう立場から物を言わせてもらっていますよ。
糸井
僕がだいぶ助かったのは吉本隆明さんです。
「ふつうに生きるということ」というタイトルで
講演してもらったことがあって、
そこでは、ふつうの人というのが100点だとすると、
マルクスは0点です、という内容なんです。
山極
おお。
糸井
みんなが偉人だとか、超人だとか言っている人は、
ぜんぶ0点で、ふつうの人が100点。
これは、僕にとっては問いかけとしてすごく大きくて、
僕は、それを言えるほどの
経験や考えを持ってなかったんで、
どこかで、ふつうじゃない人のところに
点数を足してしまうわけですよね。
100点だらけなんだ、って考えると、
弱い人、なにも持ってない人の点数が
どんどん上がっていって、
できると思っている人の点数が低いわけです。
それって結局、ぜんぶの人を救う発想なんですね。
山極
うーん。宮沢賢治なんかがそうでしたねぇ。
糸井
そうですね、宮沢賢治を好きな吉本さんでもあるから。
僕は、それをリアルに感じたことがあるんです。
知り合いに動物愛護をやってる人がいて、
愛護センターから処分される前の犬猫を引き取って
里親を探す仕事をしているんですが、
ボランティアさんでも「この子ですか?」っていうぐらい、
もらい手がつかなそうな子を持って帰るんですよ。
そうすると、どうでしょうか。
僕らでも、「あの子を?」ってなるんですが、
さっきの吉本さんに当てはめると、
それは100点なんですよね、じつは。
山極
ああー、そうだ。
糸井
体が衰弱して、もうベロは出っぱなし、
目は飛び出して、いつ死ぬかわからない犬だから、
里親の希望者というのは基本的にはいないんですよ。
山極
そうでしょうねぇ。
糸井
ですから、そこの団体のケージで面倒見られますね。
でも、おもしろいことに
どんどん人気者になっていくんですよ。
その子は、イーさんという名前でしたが、
僕らもそこに行くと、ほかにいろんな犬がいても、
「イーさん、どう?」って聞きたくなる。
最初は触ることさえはばかられるような犬だったのが、
手入れをされてきれいにされて、
相変わらずウェーってベロ出しているんですけど、
かわいいと言われる回数が増えていくんです。
そこで、「あ、100点ってこういう意味だったのか」と。
逆に言えば、血統書付きで「これは100万円ざます」、
という犬が、いわゆる0点ですよね。
でも、どっちにも罪はない。
どっちもOKなんですけど、
100点を見つけて、育ててきれいにするという、
あの行動そのものに、発見がありました。
(つづきます)
2016-01-07 THU
HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN