佐々木俊尚 × 糸井重里  メディアと私。  ──おもに、震災のあと。


第4回 リアルな情報。第4回 リアルな情報。

糸井 本とか書籍の文体が
リアリティーを失っていった理由について、
震災をきっかけに、
ひとつわかったことがあって。
佐々木 はい。
糸井 たとえば、ある本があって、
そこから読み取るべき、
ほんとうに大事なことっていうのは、
じつは5行で済むのかもしれないんですね。
佐々木 ああ、はい。
糸井 重要なのは、たったの5行で、
この5行が身に染みてわかってたら、
1500円払う価値がある。
佐々木 うん、うん。
糸井 その重要な5行のすばらしい思いつきを、
あるいは、凝縮した思考の結果を、
こうやって、絵とか、表紙とか、前書きとか、
たとえ話でパッキングして、
値段がつきやすい形にして厚くしたのが
「本」だっていうふうにも言えるんです。
佐々木 うーん、そうですね。
糸井 つまり、大事なのは5行なんだけど、
「5行じゃ商売になんないんだよ」
っていうことなんですね。
商品としての売り都合で、
「大事な5行だけ」っていうかたちは
ちょっと困るわけです。
それが、これまでぼくらが生きてきた
資本主義社会のルールだったんですが、
震災のように、
とにかく実行力が必要とされる場では、
そういう売り手の都合って
ちっとも手助けにならないわけです。
つまり、5行とか6行で伝わることなら、
1500円の商品にするために
パッケージをつくったり
時間をかけたりするのは意味がない。
佐々木 そうですよね。
糸井 その5行とか6行がほんとに伝わったら、
ここでこの人たちが助かるとか、
物事がうまく回るとかだったら、
利益やお金を生まなくっても、
人は自分の仕事として納得できるんですよ。
佐々木 そのとおりですね。
お金は、まぁ、どっかで生まれればいい。
糸井 そう。ものごとを維持して
回して行くための最低限のお金が、
ときどきどっかで挿まれればいいんです。
佐々木 実際、ぼくの最近の仕事は、
そうなってきています。
いままでは、ジャーナリストがいて、
向こう側に読者がいて、書いたものを、
たとえば紙のパッケージにして本として売る。
あるいは、雑誌というチャネルをつかって売る。
というあたりがメインだったんですね。
ところが雑誌はいまほとんど衰退していて、
連載なんかも最盛期は10本くらいあったものが
いまはもう、1、2本しかない。
糸井 え、佐々木さんがですか?
佐々木 そうです(笑)。
すごい減り方なんです。
それも、連載が終わったんじゃなく、
雑誌自体がほとんど休刊になっちゃったんです。
糸井 すごいですねぇ。
佐々木 そうなんです。
で、本もそんなに爆発的に売れる状況でもない。
っていうなかで考えると、
パッケージを売るということよりも
自分と読者がつながることのほうが大事。
糸井 まったくそのとおりです。
佐々木 だから、それこそ、
ツイッターでキュレーションしてるのは、
まったくの無償行為ですけど、
まぁ、それで自分に対して興味を持ったり
リスペクトしてくれる人が
増えればいいなぁっていうことですよね。
同じように、メルマガもやり、
フェイスブックとかもやり、
グーグルプラスで議論し、
さらには、連載もやって、本も書いて、
ありとあらゆる方法で読者とつながる、と。
だから、やっぱり大事なのは、
300ページの本を書いて、
実はこの5行しかいらないなと思ったら、
残りは捨ててですね、
その5行だけツイッターで伝えて‥‥。
糸井 しっかりと渡せればいいんですよね。
佐々木 いいんですよね。
そのかわり、すぐにお金にはならないけど、
他で、どっかで、なにかで
払ってもらうこともあるから、
その機会がきたらよろしく、みたいな。
そういう関係にいま変わりつつあるんじゃないかと。
糸井 うん、そうですね。
佐々木 そういうふうに考えると、
ツイッターとかフェイスブックに代表されるような
いわゆる「ソーシャル」っていうのは、
情報流通の手段としてのチャネルではなくて、
ひとつのレイヤー(層)だと思うんです。
だから、ソーシャルは、
既存のメディアに取って代わるんじゃなくて、
すべてのメディアに入り込んでいく可能性がある。
糸井 なるほど。
佐々木 これまでのメディアというのは、
チャネル的にとらえられていて、
こっちから向こう側に情報を流して、
そこにお金が発生するようなものだった。
でもいまはそういうチャネルの扱い方よりも、
人と人とがなにかでつながっている
ということ自体のほうが重要になってきている。
糸井 まったくそうだと思う。
だから、たぶん、佐々木さんもぼくも、
昔よりいまのほうが忙しいんですよね。
佐々木 そうですね(笑)。
糸井 込めなければならない
ほんとうの情報量が多いですから。
佐々木 それぞれの関係性も、
流動的になったと思うんですよ。
糸井 うん、うん。
佐々木 昔は、書き手がいて、読者がいて、
あるいは、社長がいて、取引先があって、
お客さんがいてっていう
関係性がすごく固定されていて、
それ以上の関係じゃなかったわけですよね。
糸井 うん。
佐々木 そういう固定された関係性においては、
ものや情報が一定の方向に流れるなかで、
とにかくお金を稼ぐことが優先される。
だから、当然、取引先からは、
ちゃんとお金をもらいますよと。
読者からは、書籍代をいただきますよ
っていうことでやるしかなかった。
でもいまって、それぞれの関係や役割が
どんどん組み変わっていくわけですね。
価値や情報がいろんなところから生まれて、
新しい関係性ができて、
それがまた新しいビジネスになったりしていく。
だから、いま目の前にある関係性に依拠して、
そこでお金を稼がなくても、
もう構わないっていう。
糸井 そうですね。
佐々木 これはね、ある意味で、
ものすごく気持ちのいい空間が出てきてる
という感じがするんです。
糸井 その構造があるうえで、震災という、
生きるということを突きつけられるような
生々しいことが起こったから、
なおさら、信頼とか、友情とか、
ひと昔前だったら照れくさいようなことばが
ほんとに大事なこととして
つかわれるようになりましたね。
佐々木 そうですよね。
いま、みんな当たり前に言ってる。
糸井 言ってますよね。
もう、「信用はお金で買えない」とか、
手垢のつきまくったような、
昔っからあることばにたどりついたり。
佐々木 (笑)
糸井 で、そういう経緯を実感とともにたどると、
なぜ昔の人がそう言ったかっていうことも、
想像ができるようになってくるんです。
やっぱり、これまでは、効率とか、能率とか、
機能だけでものを語ってた時代と、
さっき言ったような、
上滑りしたことばでパッケージした商品とが
重なり合って存在していたから。
だから、いまは、真っ裸になったときの価値が
ほんとに問われるようになったと。
佐々木 そうですね。だから、
生(なま)と生(なま)の人間関係みたいなものが
もう一度確認されるというか、
求められるっていうのは
当然のことなんじゃないのかな。
糸井 うん。

(つづきます)

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2012-01-30-MON