糸井 |
本とか書籍の文体が
リアリティーを失っていった理由について、
震災をきっかけに、
ひとつわかったことがあって。
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佐々木 |
はい。
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糸井 |
たとえば、ある本があって、
そこから読み取るべき、
ほんとうに大事なことっていうのは、
じつは5行で済むのかもしれないんですね。
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佐々木 |
ああ、はい。
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糸井 |
重要なのは、たったの5行で、
この5行が身に染みてわかってたら、
1500円払う価値がある。
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佐々木 |
うん、うん。
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糸井 |
その重要な5行のすばらしい思いつきを、
あるいは、凝縮した思考の結果を、
こうやって、絵とか、表紙とか、前書きとか、
たとえ話でパッキングして、
値段がつきやすい形にして厚くしたのが
「本」だっていうふうにも言えるんです。
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佐々木 |
うーん、そうですね。
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糸井 |
つまり、大事なのは5行なんだけど、
「5行じゃ商売になんないんだよ」
っていうことなんですね。
商品としての売り都合で、
「大事な5行だけ」っていうかたちは
ちょっと困るわけです。
それが、これまでぼくらが生きてきた
資本主義社会のルールだったんですが、
震災のように、
とにかく実行力が必要とされる場では、
そういう売り手の都合って
ちっとも手助けにならないわけです。
つまり、5行とか6行で伝わることなら、
1500円の商品にするために
パッケージをつくったり
時間をかけたりするのは意味がない。
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佐々木 |
そうですよね。
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糸井 |
その5行とか6行がほんとに伝わったら、
ここでこの人たちが助かるとか、
物事がうまく回るとかだったら、
利益やお金を生まなくっても、
人は自分の仕事として納得できるんですよ。 |
佐々木 |
そのとおりですね。
お金は、まぁ、どっかで生まれればいい。
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糸井 |
そう。ものごとを維持して
回して行くための最低限のお金が、
ときどきどっかで挿まれればいいんです。
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佐々木 |
実際、ぼくの最近の仕事は、
そうなってきています。
いままでは、ジャーナリストがいて、
向こう側に読者がいて、書いたものを、
たとえば紙のパッケージにして本として売る。
あるいは、雑誌というチャネルをつかって売る。
というあたりがメインだったんですね。
ところが雑誌はいまほとんど衰退していて、
連載なんかも最盛期は10本くらいあったものが
いまはもう、1、2本しかない。
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糸井 |
え、佐々木さんがですか?
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佐々木 |
そうです(笑)。
すごい減り方なんです。
それも、連載が終わったんじゃなく、
雑誌自体がほとんど休刊になっちゃったんです。
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糸井 |
すごいですねぇ。
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佐々木 |
そうなんです。
で、本もそんなに爆発的に売れる状況でもない。
っていうなかで考えると、
パッケージを売るということよりも
自分と読者がつながることのほうが大事。
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糸井 |
まったくそのとおりです。
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佐々木 |
だから、それこそ、
ツイッターでキュレーションしてるのは、
まったくの無償行為ですけど、
まぁ、それで自分に対して興味を持ったり
リスペクトしてくれる人が
増えればいいなぁっていうことですよね。
同じように、メルマガもやり、
フェイスブックとかもやり、
グーグルプラスで議論し、
さらには、連載もやって、本も書いて、
ありとあらゆる方法で読者とつながる、と。
だから、やっぱり大事なのは、
300ページの本を書いて、
実はこの5行しかいらないなと思ったら、
残りは捨ててですね、
その5行だけツイッターで伝えて‥‥。
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糸井 |
しっかりと渡せればいいんですよね。
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佐々木 |
いいんですよね。
そのかわり、すぐにお金にはならないけど、
他で、どっかで、なにかで
払ってもらうこともあるから、
その機会がきたらよろしく、みたいな。
そういう関係にいま変わりつつあるんじゃないかと。
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糸井 |
うん、そうですね。
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佐々木 |
そういうふうに考えると、
ツイッターとかフェイスブックに代表されるような
いわゆる「ソーシャル」っていうのは、
情報流通の手段としてのチャネルではなくて、
ひとつのレイヤー(層)だと思うんです。
だから、ソーシャルは、
既存のメディアに取って代わるんじゃなくて、
すべてのメディアに入り込んでいく可能性がある。
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糸井 |
なるほど。
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佐々木 |
これまでのメディアというのは、
チャネル的にとらえられていて、
こっちから向こう側に情報を流して、
そこにお金が発生するようなものだった。
でもいまはそういうチャネルの扱い方よりも、
人と人とがなにかでつながっている
ということ自体のほうが重要になってきている。
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糸井 |
まったくそうだと思う。
だから、たぶん、佐々木さんもぼくも、
昔よりいまのほうが忙しいんですよね。
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佐々木 |
そうですね(笑)。
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糸井 |
込めなければならない
ほんとうの情報量が多いですから。
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佐々木 |
それぞれの関係性も、
流動的になったと思うんですよ。
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糸井 |
うん、うん。
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佐々木 |
昔は、書き手がいて、読者がいて、
あるいは、社長がいて、取引先があって、
お客さんがいてっていう
関係性がすごく固定されていて、
それ以上の関係じゃなかったわけですよね。
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糸井 |
うん。
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佐々木 |
そういう固定された関係性においては、
ものや情報が一定の方向に流れるなかで、
とにかくお金を稼ぐことが優先される。
だから、当然、取引先からは、
ちゃんとお金をもらいますよと。
読者からは、書籍代をいただきますよ
っていうことでやるしかなかった。
でもいまって、それぞれの関係や役割が
どんどん組み変わっていくわけですね。
価値や情報がいろんなところから生まれて、
新しい関係性ができて、
それがまた新しいビジネスになったりしていく。
だから、いま目の前にある関係性に依拠して、
そこでお金を稼がなくても、
もう構わないっていう。
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糸井 |
そうですね。
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佐々木 |
これはね、ある意味で、
ものすごく気持ちのいい空間が出てきてる
という感じがするんです。
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糸井 |
その構造があるうえで、震災という、
生きるということを突きつけられるような
生々しいことが起こったから、
なおさら、信頼とか、友情とか、
ひと昔前だったら照れくさいようなことばが
ほんとに大事なこととして
つかわれるようになりましたね。
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佐々木 |
そうですよね。
いま、みんな当たり前に言ってる。
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糸井 |
言ってますよね。
もう、「信用はお金で買えない」とか、
手垢のつきまくったような、
昔っからあることばにたどりついたり。
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佐々木 |
(笑)
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糸井 |
で、そういう経緯を実感とともにたどると、
なぜ昔の人がそう言ったかっていうことも、
想像ができるようになってくるんです。
やっぱり、これまでは、効率とか、能率とか、
機能だけでものを語ってた時代と、
さっき言ったような、
上滑りしたことばでパッケージした商品とが
重なり合って存在していたから。
だから、いまは、真っ裸になったときの価値が
ほんとに問われるようになったと。
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佐々木 |
そうですね。だから、
生(なま)と生(なま)の人間関係みたいなものが
もう一度確認されるというか、
求められるっていうのは
当然のことなんじゃないのかな。
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糸井 |
うん。
(つづきます) |