昨年(2017年)末、私たちほぼ日スタッフが
驚くことがありました。それは、
「糸井重里が小説の解説を書いた」という
出来事でした。
ほぼ日以外で糸井が長い原稿を書くことは
かなりめずらしいので、
「これはすごいことだ」と思いました。
しかもそれは、
エッセイでもボディコピーでもなく解説です。
解説した小説のタイトルは『鳩の撃退法』。
理由はおそらく──、糸井は、
この作品を書いた佐藤正午さんに、
ほんとうに会いたかったから、
なのではないでしょうか。
対談は、佐藤さんの住む佐世保で行われました。
※この対談は『鳩の撃退法』の物語の筋には
ふれないようまとめました。
(そもそもふたりとも『鳩の撃退法』のストーリーについては
話しませんでした)
これから作品を読む予定のみなさまも、ぜひごらんください。
佐藤正午さんのプロフィール
佐藤正午(さとうしょうご)
1955年長崎県佐世保市生まれ、佐世保市在住。作家。
1983年『永遠の1/2』ですばる文学賞受賞、
2015年『鳩の撃退法』で山田風太郎賞受賞、
2017年『月の満ち欠け』で直木賞受賞。
第3回 だまされていく。
2018-01-17-WED
- 糸井
- ぼくは、日常はほとんど仕事のことを考えています。
正月くらいしか小説をちゃんと読めないのは
そのせいです。
ほかに考えることがあると、
小説の世界にいられません。
映画やテレビと違って、
時間が来たら終わるものではないですし。
若いときに小説を読んだのは、
「浸れる時間だらけだったから」とも言えます。
- 佐藤
- 糸井さん、小説を読んでた時期もあったんですね。
- 糸井
- なみの高校生程度に、です。
みんなが太宰治やドストエフスキーを読んでたし、
義務的な気持ちがあったけど、
読んだら、本は決してつまらなくなかった。
その後もそのバリエーションで、
カッコつけていろんなものを読んだら、
あんがいおもしろくなっちゃった。
しかし、大人になったら小説以外の用事が
いっぱいできて、遠のきました。
佐藤さんはいまもやっぱり、
かなり読んでらっしゃいますか。
- 佐藤
- 読んでます。
- 糸井
- じゃあ佐藤さんには
「小説を読む時間」と
「小説を書く時間」が
あるんですね。
- 佐藤
- はい。
しかしぼくは、
小説を読んでいるときもボーッとすることがあります。
- 糸井
- それはぼくはできないです(笑)。
佐藤さんはやっぱり、
いつも「書いてる」んですね。
- 佐藤
- おそらくそうですね。
- 糸井
- それは人として‥‥ちょっと
傾いてしまっているのかもしれませんね。
- 佐藤
- そのとおりだと思います。
- 糸井
- ああ、いいなぁ、
小説家ってあまりそのへんのことを
スッと語ってくれないものだから。
- 佐藤
- そうですか?
- 糸井
- 直木賞のときの
電話インタビューもそうだったけど、
いまみたいにほんとうのことを
スッと言うような感じで、
小説家から言葉を聞いたことはなかったです。
- 佐藤
- でも、ほんとうにそうなんですよ。
- 糸井
- ほんとうなんだと思います。
しみじみ思います。
どうして「そんな人」に、どこからなったんですか。
- 佐藤
- そんなにめずらしいですか?
- 糸井
- めずらしいと思います。
- 佐藤
- 「そんな人」というのはどんな人ですか?
- 糸井
- 自分が生きてる実感や熱心さ、
そういうもののほとんどすべてを
小説に投入している人。
- 佐藤
- えーっと‥‥小説家だったら、
そういう人にならざるを得なくないですか?
- 糸井
- ならざるを得なくないと思います。
- 佐藤
- そうですか。
ほかにどんな小説家がいます?
- 糸井
- 特にくわしくないくせに、ぼくはいま
こうしてしゃべろうとしているんですが(笑)、
そこはお許しください。
つまり、テレビに出たり趣味のことをしたり、
ずっと「小説のことをやってる」ように見えない人は
たくさんいらっしゃると思います。
- 佐藤
- それはぼくが不器用だからじゃないでしょうか。
‥‥いや、いまちょっとだけ
いいかげんに言ったんですが、
でも、あんがいそれが理由だと思います。
あとはぼくは「外に出ない」ということも
大きな原因だと思います。
- 糸井
- たしかに行動派か否かということは、
影響するかもしれませんね。
たとえば、部品を集めてきて、
ロボットを作るように書く小説家もいるでしょう。
- 佐藤
- たしかに。
- 糸井
- 部品を取り寄せたり調べたりすることで在庫を揃えて
「さぁ組み立てよう」「磨いていこう」
というやり方は、おそらく
小説に没頭しなくてもできる気がします。
小説に限らず、どんな仕事でも
そのやり方の人はそういう傾向になると思う。
一方、そこにあった土を使って、
粘土をこねるように書く小説家がいます。
さまざまな材料は不要だけど、
とにかく練って塑像を作っていく。
両者はかなり違います。
佐藤さんは後者のような気がします。
- 佐藤
- いまの糸井さんの説明を聞くと、
そんな気がします。
- 糸井
- だから佐藤さんは、
材料を仕入れにいくことを
しなくていいのではないでしょうか。
佐世保に住んで、特に外に出なくてもいい。
- 佐藤
- うーん、そうなのかなぁ。
- 糸井
- 取材旅行なんて、ありますか?
- 佐藤
- ないです。
けれどもそれは、
「どちらがいい」というわけではありませんね。
- 糸井
- いい悪いじゃないです、タイプが違うということです。
でも、どちらかといえば、
練って作ったもののほうが
命を吹き入れる感じがするから、
個人的には「いいなぁ」と思いやすいです。
- 佐藤
- そうなんですか。
- 糸井
- ぼくが佐藤さんを好きな理由のもうひとつは、
佐藤さんの描写力のなかに、
抽象化が含まれるということが大きいです。
- 佐藤
- というと?
- 糸井
- 徹底的に「あるだろうな」というリアルさが
小説として書けたとしても、
人は説得されないんですよ。
しかし、佐藤さんの書くものには
それを飛び越えてしまう何かがありました。
- 佐藤
- ‥‥それはいったいなんなのでしょうか。
- 糸井
- うまく説明できないんだけど、
例えばときおり挟まるユーモアも、
小説を跳躍させる役割をしていたと思います。
「あの話はどうなったのかな?」と、
まじめな人がいちいち言いはじめたら、
そもそも世界は成立しないようにできているから。
- 佐藤
- うーん、よくわからないです。
- 糸井
- つまり、なんだって、
すべてを写しきるようなことはないわけです。
例えば輪廻転生のお話でも、
輪廻転生を徹底的にリアリズムで書いていったら、
ないことになります。
だけど「あったらいいだろうな」という心があって、
「ない」ことを証明する部分を
書かなかったらどうなるか。
上手に小骨を抜くように、
レリーフを浮きあがらせたら、
輪廻転生があるような世界が見えてくるわけですよ。
- 佐藤
- うん、そうですね。
- 糸井
- 佐藤さんは、そういうことをしようと思えば
できる人です。
「忘れている」のと同じ状態で、それを書ける。
しかし、批評する立場でさまざまなことを見るとき、
「あれはどうなったんだ」と掘り出して
鋭い指摘をすることもありますよね。
佐藤さんの小説を読んでいたら、
それはとても余計なことだと気づかされます。
なぜなら、佐藤さんの小説にだまされていくのが
すごくうれしいから。
いいところでいいセリフがいい感じに入ると、
「いいぞいいぞ」と思う。
物語を追っているのに、
「この言葉が入っていいなぁ」と思うんです。
- 佐藤
- だまされていくという自覚はあるんですか。
- 糸井
- あります。
(つづきます)