10代、20代のみなさん、あなたの悩み、教えてください。 10代、20代のみなさん、あなたの悩み、教えてください。
しいたけ.青春の悩み相談室。

「しいたけ占い」などで人気の
占い師・作家のしいたけ.さんによる、
ざっくばらんな悩み相談室です。
みなさんからの青春の悩み相談と、
しいたけ.さんのお返事を、
毎回ひとつずつご紹介していきます。

青春の悩み 12
あ~生まれてこなきゃ
よかった。

送ってくれたひと

ちょうにゃん 42歳 女

しいたけ.さんへの相談

私の思考のベースは
「あ~生まれてこなきゃよかった。」です。
陰湿に思っているわけではありません。
あっけらかんと。
普通に単純に幼稚園児のときから思っています。
母ちゃんには申し訳ないのでとても言えない。
トイレに入ってたまに手を上に上げて 
なんじゃこりゃ??と手の甲の血管とかホネを見て
気味悪く思います。
拾った飼い猫に
「何だかワシら、うっかり生まれてきちゃったねぇ」
なんて、猫のふわ毛に顔をうずめながら
話しかけたりします。
階段を踏み外して三段くらい尻もちをついたとき、
あまりの痛みに、自然は容赦ないと痛感します。
母ちゃんが亡くなるとき、
「一体全体何なんだ、こりゃぁもう納得できない!!」
と思いました。
こんな「生まれてこなきゃよかった。」という思考が
ベースなので、結婚はできましたが、
子供が欲しいとはとても思えないので作りませんでした。
生物学的に動物は子孫は残したくなるように
プログラミングされていると思うし、
子供は作らないのかと周りのオババ達は言うので
戸惑いましたが、何とかこの歳まで
「エへへ、ねぇ‥‥」なんてかわして逃げ切りました。
どうも何だか生きていることの違和感しかないのです。
この思考は変えた方がいいのでしょうか。
産んでくれてありがとうお母さん!
って思わなきゃいけないのかなぁ。

私のマイブーム

・編み物が好き。
最近職場のおばあちゃんから終活とのことで、
毛糸をゴミ袋8袋くらいいただいたので
編み物をしています。
・窓のサッシを掃除すること。
お笑い芸人のラジオを聴きながら、
爪楊枝とトイレットペーパーと
ペットボトルに入れた水を駆使して、
サッシを綺麗にします。

しいたけ.さんからの答え

僕はもう10年以上前に
占いでご飯を食べていこうとしたことがあって、
はじめはもちろん事務所もないし、お金もないし、
あの時代を一番助けていただいたのは
もやしだったのです。
もやし、安くておいしいですよね。

それで、占いを開業したものの、
はじめの方はお客さんもなかなか集まらず、
何よりも未来が不安でたまらなかった。
「占い師なのに自分のことは占えないのか」
と言われそうなんだけど、
自分のことはすごく可愛くて、占えないんですよね。
客観的な答えは出せないんです。

その不安な時期に
もやしのほかにも、違うものに助けられたのです。
ちょっとだけその話を聞いてください。

その当時、僕はある友達に、
仕事の不安とか、仕事でやってみた工夫の話とか、
よく話していたのです。
その友達も自営業をやっていたので。
そしたら、その友達が占いのお客さんとして、
変な知り合いばかりを紹介してくれたんです。

「家庭が壊れるぐらいまでに
ひたすらラーメンスープの味を追求する人
(土日は家族サービスではなく
ラーメンスープの時間にあてる)」とか、
「結婚しているのに釣りに行きたくて
しょうがないから、奥さんにバレないように
夜中に消える訓練をしている人」とか、
一般常識的に、普通の人に話したら
「もういい加減そんなことやめたら?」と
怒られるようなことばかり
やっている人たちがいたのです。

お金を払って占いの相談に来ているのに、ひたすら
「いや、ラーメンというのはですよ」
と話してる。
こちらがしびれを切らして
「あれ、悩み事はなにかあるんですか?」
と聞いても
「ないです!」と即答されてしまう。
「ラーメンと家族のどちらをとられるんですか?」
と聞いても
「うーん、ラーメンかなぁ」
と答えてしまうような人たちだったのです。

実は僕は、お客さんとして出会った、
そんなふうに
「ギリギリ人間プレイをしている人たち」に
救われることが多かったんです。
好きなことなどにかける熱量が高すぎて、
自分の周りのコミュニティを
壊しちゃう人なんかもいたけど、
一銭にもならないことも含めて
好きなことを追求している人って、
例外なく幸せそうな表情をしているんですよね。

それで、変な言葉になってしまうのですが、
僕は占いの現場を体験してきて、
「ギリギリ人間プレイをしている人」って
けっこう数としては多いと思うんですよ。
そういう人ってSNSなんかもほぼやっていないから
実態がつかめないだけで、割と数はいる。

社会的な要請とかルールについては、
自分ができる範囲ではなんとかやっている。
でも、間違いなくそこに
あんまり幸せは見出していない。
「立派だね」と言われることに興味がない。
人間としての最低限のルールや規範には従いつつ、
「後はもう自分の好きなように使いますよ」
という人生の時間の使い方をしている。

なんかね、
「宿題やって、順位は学年で50位以内だから、
後はゲームやってんね!」
という生き方を、
そのままずっと続けているような感じなのです。

今回のお手紙を読んでいるときに、僕はその
「ギリギリ人間プレイをしている人たち」
のことを思い出したのです。

おそらく、この相談者の方も
そっちの畑の方だと思うのです。
ギリギリ人間プレイヤーです。

ギリギリ人間プレイヤーは、変な話、
「立派な人としての振る舞い」とか
「立派な人としての心の持ち方」をしようとすると、
ひどい苦痛が生まれてしまうことがあります。
これはもうなんか、開き直るわけじゃないんだけど、
生まれ持ってのセンスの話なのだと思います。

サッカーが得意な人はサッカーをやった方が良いし、
お花に興味がある人は
お花をずっと見ている活動が幸せなわけで。
お花をずっと見ていたい人に
「いや、サッカーやりなよ」と無理強いしても
苦しみが生まれるわけでしょう?

でもなにか、ギリギリ人間プレイヤーなんだけど、
「こう思わないといけないんじゃないか」と、
ところどころで
「心につっかかるような人や出来事」が自分にいる。
そういう“中途半端さ”って、
僕はけっこう大事なんじゃないかとも思います。
誰でもかれでも
振り切るのが良いというわけではないから。

僕の回答は
「産んでくれてありがとうお母さん!」
と思える日があっても良いと思うし、
思えない日があっても良いと思います。

この相談者の方の場合は、
お母さんが大好きだったのだと思います。
ここで「大好きだったんですね!」と決めつけて、
こっちが勝手に気持ち良くなる
感動のフィナーレに持っていく意図はないので、
そこは勘違いしてほしくないのですが。

本当は、淡々と人間プレイをやって
生きていくほうが楽です。
それで失うものはないし、得るものの方が多いです。
楽しいし。

でも、何かが苦痛として自分の心に引っかかる。
100%は「そちら側」に行けない。
その苦しさと背中合わせで生きるのも、
実は僕は素敵なことなんじゃないかとも思います。

「痛みを抱えた人間プレイヤー」という形で
良いんじゃないでしょうか。

ギリギリの人間プレイ。応援しています。

(次回は10/22更新です)

2020-10-18-SUN


イラスト:死後くん