10代、20代のみなさん、あなたの悩み、教えてください。 10代、20代のみなさん、あなたの悩み、教えてください。
しいたけ.青春の悩み相談室。

「しいたけ占い」などで人気の
占い師・作家のしいたけ.さんによる、
ざっくばらんな悩み相談室です。
みなさんからの青春の悩み相談と、
しいたけ.さんのお返事を、
毎回ひとつずつご紹介していきます。

青春の悩み 13
たまに来る、
名前が無い感情。

送ってくれたひと

タイミング 27歳 女

しいたけ.さんへの相談

たまに来る、名前が無い感情に苦しんでいます。

私は27歳OLです。
1年前に大好きだった彼氏に振られ、
とっても落ち込みましたが、これをチャンスだと思おうと、
それまで恋愛依存体質だった自分を変える一歩として
精神的にも金銭的にも自立しようと決めました。
そこから実家を出て一人暮らしを始めたり、
自信をつけるためにジムに通ったり、
悩んでいた仕事も転職することにし、
2ヶ月後には新しい職場で働くことも決まっています。
この1年で、恋愛依存でもなく、
今までの慢心からも抜け出し、
日々の些細なことに感謝出来る自分に
変われたような気がしています。

ですが、たまにとてつもなく寂しく、
世界に一人で生きているような気分になります。
今までは彼氏が途切れず、
常に誰かとつながっている気分が心地良かったのですが、
今はそんな人もいないし、繋がりを求めSNSを見ると
友達の幸せそうな報告などを
鬱陶しいと思ってしまう自分もいたりします。

一人でいることに慣れたはずなのに、
たまに襲ってくる寂しさを
どこにぶつけていいかがわかりません。
このまま一人でいる日々が続くのかな、と。
死にたい訳では全然無いのに
人生はいつまで続くんだろう、とか。
こういう日々に、いつ終わりがきて、
いつ幸せ!と思えるんだろう、とか。
答えが無いことを考えています。

そしてこの自分の中に湧き出る感情には
名前が無いので、何かあだ名を付けて
もはや楽しめたら良いのに、とかまで思います。
こういうときにこんな風に考えたら良い、など
アドバイスがあればいただきたいです。

私のマイブーム

ジムに行って鍛えること。
なんとなくじぶんが
最強になっていくような気になります。

しいたけ.さんからの答え

これは色々なところで書いてきたり、
言ってきたりしているのですが、
僕は過去に占いの個人鑑定をやっていたときに
「自分なりのゴール」を決めたのです。

そのゴールとは
「僕を必要としてくれたお客さんが、
自分のところの占いに来ないようになること」
だったのです。

もちろん、常連のお客さんが何年かに一回
「元気でしたか?」と顔を出してくれるのは
すごく嬉しかったです。

ただ、占いには「依存」が発生する傾向があります。

だって、普通初対面の人に恋愛相談なんてできないし、
あとは家族の中で誰が嫌いとか、
そういう「普段誰にも明かしていない話」は
できないです。
それは「占い」とか「密室」という
現場だからこそできるものであって。

そういう場所って世の中に必要なんですね。
昔なら、そういう密室の役割を
喫茶店のマスターとか、お坊さんとか、
タバコ屋のおっさんとか、世話好きの方とか、
そういう人たちが引き受けてきたところが
あると思うんですけど。

話を戻すと、僕が個人鑑定をやっていたときには、
具体的なラインとして、
同じ人から2回ぐらいまでは
「今度付き合う人どう思います?」
といった質問に対して占っていました。

ただ、その2回目の占いのときに
「次はもし良かったら自分で考えてみたり、
それで友達に相談してみたりしてみてください。
それで、どうしてもキツかったら
また来てくださいね」
とお客さんにお伝えしていたりしました。
ここが依存の境目だと判断したからです。

さて。とはいえ僕は、人間はどの人も
依存する性質を持っていると思うのです。
逆に言うと、「依存」が無ければ
生きていてそれほど楽しくないんです(笑)。

だって、恋愛依存のときの恋愛はすごく楽しいし、
仕事依存をしているときには
1週間毎日、24時間仕事のことを考えても苦ではないし、
ゲーム依存をしているときに考えるゲームの攻略は、
学校の授業中とか友達に会っている間もずっと
「帰ったらこうやってゲームを進めよう」
などと考えることができた。

この言い方は間違っているかもしれないけど、
これほどの「光」ってないと思うのです。
だって、その依存先のことだけを考えれば、
今を乗り越えられる気もするから。

「依存」って、強烈な報酬システムなのだと思います。
あることで、つらさを乗り越えられたり、
ある種の現実のつまらなさを忘れさせてくれる。

もっとも「依存」の報酬システムは強すぎて、
まさしくその「依存先」にハマってしまうことも
たくさんあるわけなのですが。

だから、僕のスタンスとしては、
「生きる上で『依存』は必要だ」と考えています。

だってね、もし仮に「盆栽依存症」になったら、
春夏秋冬、
「あ、この木はこの季節にはこういう勢いで
枝が伸びるんだ」とか、絶対に楽しいわけでしょう。
依存は、その人の世界に対して
「生きる楽しみの角度」を与えてくれるのです。
次の季節が待ち遠しくなったりするのです。

でもだからこそ、なんらかの事情で
その依存に触れられなくなったときって
すごく苦しいですよね。
だって、自分が一心同体するぐらいの
時間だったわけだから。

でも、この方の場合、
ちゃんと前向きに「次の依存の時間」を
自分で作ろうとしていて、すごいと思ったのです。

僕の意見を言わせてください。

依存は世間的にはネガティブなものに
なってしまうかもしれません。
でも、依存は「早く帰って○○をしたい」とか
「早くこれを終わらせてあの人に会いたい」とか、
そういう速度や熱量を
自分に与えてくれるものであったりもします。

そして、その速度と熱量は、
ちゃんとした幸せのひとつの形だとみなしても
良いんじゃないかと思うのです。

ただ、一度大きく依存先を失った人は、
やっぱりその速度と熱量を見失うからつらいです。
燃え盛っていた竈(かまど)の火が消えて、
そこに火をつけることができなくなってしまう
寂しさも味わう。
これ、しつこいけどめちゃくちゃつらいんですよね。

じゃあ、
「竈の火が消えたらどうしたら良いのか」。
その答えを言います。

バカバカしいと思っても、
「もう一度火を手に入れる」と思ってほしいのです。

挫けても、もう叶わないと思っても、
泣きそうになっても、寂しくなっても、
「いや、これは自分で決めた戦いだから。
私はまた火を手に入れる」って。

一度火が消えて、また違う火が点いた。
その火はすごく弱くて、以前のような業火じゃなくても、
絶対にあなたらしい輝きを持っていきます。

火にはいろいろな色があるから。
今度は以前の真っ赤な炎じゃなくて、
もっと人を優しく包み込むオレンジ色に近い火に
なっていくのかもしれない。
だから、別の色の火になっても良いから、
あなたの火を再び灯して、
そこからできる火を是非育てていってください。

応援しています。

(次回は10/25更新です)

2020-10-22-THU


イラスト:死後くん