山口周さんと「会社って何だ?」を話したら。
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』
『ニュータイプの時代』などの著者で、
「美意識」や「アート」といった切り口から
これからの時代を豊かに生きていくための
思考・行動様式を研究し続けている
山口周(やまぐち・しゅう)さんが、
「会社」についての話を聞きに、
糸井重里のもとをたずねてこられました。

大切に思う部分が似ているふたり。
仕事はもちろん、生きていく上での
「数値化できない部分」の重要性を
あらためて確認するような時間になりました。
ふたりのおしゃべりを、全7回でご紹介します。
「日立EFO」のインタビューでの様子を、
ほぼ日編集バージョンでおとどけします。
07「消えてしまうもの」と「残るもの」。
山口
会社を作るって、最終的に
「人生って何のために生きてるの?」
という話になると思うんです。



会社って「業績が上がる」とか
「時価総額が上がる」とか、
やりながらなにかしらの達成を目指すわけですけど、
人生って死ぬときには死んじゃうので、
そうするとプロセスしか残らないわけです。



そう思うと会社も人もプロセスが大事で、
もっと「結果」より「過程がどうだったか」に
目を向けてもいいんじゃないかと思うんです。
写真
糸井
そうですね。
山口
過程と結果の話って、特に若い人とかだと
「実現しなかったものは意味がない」
とか考えるかもしれないんです。
だけど「実現しなくて何が問題なの?」という
発想もできるかもしれなくて。



マーティン・ルーサー・キング(キング牧師)だって、
演説の中でビジョンを語ったけれど、
全然実現していないわけです。
だけどその演説をみんなが
「あってよかった」って思ってる。
あることでプロセス全体の価値が上がるんですよね。
糸井
どうしてプロセスを大事にしたいかというと、
そこが無くて、ただ結果や力だけがあっても、
不幸そうに見えるんですよ。



たとえば世界のニュースを見ても、
プーチンがすごい力を発揮して、とんでもないことをしてる。
そこに力があるのはたしかだし、
「力があると何でもできるんだな」とか
思うかもしれないけど、
見ていてほんとうに辛そうというか。
羨ましく思えないですよね。



その「羨ましくないもん」という感覚は、
なにかひとつのポイントかもしれないと思います。
山口
ああ、たしかに。



いまって外在的なわかりやすい
「パワーがある」とか「お金がある」といった
一直線の階段を、多くの人たちが
上ろうとしている印象があるんですよね。
「それこそが幸せになれる道なんだ」
という価値観がやっぱりあって。



受験なんかもそうで、序列の中に並ばされて、
偏差値68と偏差値74だったら、問答無用で
「74のほうが上」みたいに捉えられてしまう。
実際には偏差値って
ひとつの見方に過ぎないんですけど。



だからそこで、数字が少ない側の人がいくら
「それ羨ましくないもん」って言っても、
上手にコミュニケーションしないと、
負け犬の遠吠えのように思われがちというか。



でもそのときに糸井さんはまさに
「羨ましくないもん」の部分というか、
何かそうじゃない価値観の可能性を
「佇まい」として、
すごく上手に見せている気がするんですね。
序列とはまったく関係ないところで、
すごくたのしそうだったり、面白そうだったりするので。
糸井
そう見えているとしたら嬉しいですね。
写真
山口
序列の発想が強くなりすぎているとき、
そこから抜け出すために大切なのは、
やっぱり「佇まい」とか
「すごくたのしそうな姿」だと思うんです。



だからこれは僕自身の話ですけど、
8年前に思い切って
東京から神奈川県の葉山に引越したんですね。
当時としては相当イレギュラーな
ライフスタイルを採用したんですけど、
すごく意識的にやったんです。



理由のひとつとして、子どもたちに
「あ、こんなにふざけた人だけど楽しそうだ」
ということを、
生活のなかで見せられたらと思ったんです。
糸井
常に景色違いますもんね。
山口
ええ。「大人になるって楽しいことなんだな」は
すごく伝えたいところだったので。



そのあたりはことばで説明するとかではなくて、
「佇まい」の部分で感じてもらったほうが
いいんじゃないかと考えたんですね。
糸井
なるほどなあ。そのあたりの
「序列じゃない価値観をどう伝えるか」は、
いまからもっと考えていきたいところですね。
写真
山口
あと、さきほどの過程と結果の話の続きで、
若い頃、僕が電通で働いていたときに
言われたことで、
最近になって「違うんじゃないか」と
思っている考え方があるんです。



なにかというと
「広告を残そうとするな」
というものなんですね。



広告はキャンペーンとともに消えていくもので、
残るのはクライアントの企業であり、
クライアントの商品のほうなんだと。
そういうことを言われた経験があるんですね。
糸井
ああ。
山口
でも本当に広告って、消えていくものなんだろうか。



それはそう思ってる人が関わると
ほんとにそうなるんですけど、
たとえばさきほどの堤清二さんが、
ほんとに消えるものだと思っていろんなことを
やっていたかというと、違うと思うんです。



たとえば「おいしい生活」などの
糸井さんのコピーって、ある世代以上の人は
みんな知ってるわけですね。



また、セゾングループはいまはないけれど、
石岡瑛子さんの手掛けた
一連のポスターなどはいまも残ってる。
坂本龍一さんが時代時代で作られた音楽も
残ってて、パルコのCMの曲とか、
本当にすばらしい作品なんですけど。



そういったことを考えると
「永遠に残るのはどっちだろう?」
と思うんです。



会社が消えても、そのプロセスのなかで
いろんな人が育っていて、
その人たちが作り出したものはいまも残ってる。
またその後、糸井さんみたいに
新たに会社を作った人までいて、
そこからさらにいろんな人や文化が育っている。



だから、残らないのは実は会社のほうで、
そのプロセスのなかで生まれたいろんな表現や文化は、
世の中にずっと残っていく。
そういうことかなと思ってるんですけど。
写真
糸井
いや、僕もそのとおりだと思いますね。



アルタミラ洞窟の壁画だって、
描かれたときの動機やテーマは
「五穀豊穣」のような話だったわけです。
ロートレックの絵や、ベートーヴェンの曲もそう。
作られたときの動機やテーマは
それぞれあったはずだけど、最終的に残っているのは
「描かれたもの」や「作品そのもの」なんですよね。



坂本龍一さんの音楽もそうで、
実際に残っていったり、
のちの人に「おおっ」と言わせるのは、
「サウンドそのもの」だと思うんです。



まあ、担当した広告をわざわざ残そうとするのは
「あがき」かもしれないから、
代理店の仕事の教訓としての
「その邪念みたいなものはダメだよ」というのは、
これはこれであると思うんですけど。
山口
そうですね。
糸井
そして「残る・残らない」の話で言うと、
最近自分がある対談のなかで
出まかせのように言ったことのなかに
「起こったあらゆることは何も消えない」
というのがあるんです。



全瞬間は記録には残らないけれど、
起こったことは何も消えない。
「あったことはあったんだよ」「絶対消えない」
っていう。
その、すさまじいばかりの真理というか。
山口
恐ろしいといえば、恐ろしいことですけれども。
糸井
すごいことです。
いいとか悪いとかを超えて、全部あったのは確かで。



僕らが生きることのベースにはそういう、
敬意を持つしかないような
「あった」という事実、景色のようなものがある。



だから、その対談のときには
「世界中の文献がほとんど無くなるとしたら、
どういう文章が残っていてほしいですか?」
と聞かれて、僕は
「何も残らなくていい」と言ったんですけど。
山口
はぁー。そうですか。
写真
糸井
だから「残るかどうか」という視点も
もちろんあるんですけれども。



だけどやっぱりいちばんやりたいのは、
さきほど山口さんがおっしゃったような、
プロセスのなかで「楽しかった」とか
「辛いけども面白かったね」とか、
「目的には辿り着かなかったけど俺は満足だよ」
と言えるかどうかとか。



なるべくたくさんの人が
そう言えるゲームがいちばんいいですよね。
僕はそういうことを思っているかもしれないです。
山口
はい、ありがとうございます。
糸井
‥‥こんな話でよかったでしょうか。
山口
もちろんです。今日はいろんなお話を聞けて、
私自身が感激でした。
糸井
僕も楽しかったです。
こちらこそありがとうございました。
またいろいろ教えてください。
(おしまいです。
お読みいただきありがとうございました)
2023-04-26-WED