- 山口
- 会社を作るって、最終的に
「人生って何のために生きてるの?」
という話になると思うんです。
会社って「業績が上がる」とか
「時価総額が上がる」とか、
やりながらなにかしらの達成を目指すわけですけど、
人生って死ぬときには死んじゃうので、
そうするとプロセスしか残らないわけです。
そう思うと会社も人もプロセスが大事で、
もっと「結果」より「過程がどうだったか」に
目を向けてもいいんじゃないかと思うんです。
- 糸井
- そうですね。
- 山口
- 過程と結果の話って、特に若い人とかだと
「実現しなかったものは意味がない」
とか考えるかもしれないんです。
だけど「実現しなくて何が問題なの?」という
発想もできるかもしれなくて。
マーティン・ルーサー・キング(キング牧師)だって、
演説の中でビジョンを語ったけれど、
全然実現していないわけです。
だけどその演説をみんなが
「あってよかった」って思ってる。
あることでプロセス全体の価値が上がるんですよね。
- 糸井
- どうしてプロセスを大事にしたいかというと、
そこが無くて、ただ結果や力だけがあっても、
不幸そうに見えるんですよ。
たとえば世界のニュースを見ても、
プーチンがすごい力を発揮して、とんでもないことをしてる。
そこに力があるのはたしかだし、
「力があると何でもできるんだな」とか
思うかもしれないけど、
見ていてほんとうに辛そうというか。
羨ましく思えないですよね。
その「羨ましくないもん」という感覚は、
なにかひとつのポイントかもしれないと思います。
- 山口
- ああ、たしかに。
いまって外在的なわかりやすい
「パワーがある」とか「お金がある」といった
一直線の階段を、多くの人たちが
上ろうとしている印象があるんですよね。
「それこそが幸せになれる道なんだ」
という価値観がやっぱりあって。
受験なんかもそうで、序列の中に並ばされて、
偏差値68と偏差値74だったら、問答無用で
「74のほうが上」みたいに捉えられてしまう。
実際には偏差値って
ひとつの見方に過ぎないんですけど。
だからそこで、数字が少ない側の人がいくら
「それ羨ましくないもん」って言っても、
上手にコミュニケーションしないと、
負け犬の遠吠えのように思われがちというか。
でもそのときに糸井さんはまさに
「羨ましくないもん」の部分というか、
何かそうじゃない価値観の可能性を
「佇まい」として、
すごく上手に見せている気がするんですね。
序列とはまったく関係ないところで、
すごくたのしそうだったり、面白そうだったりするので。
- 糸井
- そう見えているとしたら嬉しいですね。
- 山口
- 序列の発想が強くなりすぎているとき、
そこから抜け出すために大切なのは、
やっぱり「佇まい」とか
「すごくたのしそうな姿」だと思うんです。
だからこれは僕自身の話ですけど、
8年前に思い切って
東京から神奈川県の葉山に引越したんですね。
当時としては相当イレギュラーな
ライフスタイルを採用したんですけど、
すごく意識的にやったんです。
理由のひとつとして、子どもたちに
「あ、こんなにふざけた人だけど楽しそうだ」
ということを、
生活のなかで見せられたらと思ったんです。
- 糸井
- 常に景色違いますもんね。
- 山口
- ええ。「大人になるって楽しいことなんだな」は
すごく伝えたいところだったので。
そのあたりはことばで説明するとかではなくて、
「佇まい」の部分で感じてもらったほうが
いいんじゃないかと考えたんですね。
- 糸井
- なるほどなあ。そのあたりの
「序列じゃない価値観をどう伝えるか」は、
いまからもっと考えていきたいところですね。
- 山口
- あと、さきほどの過程と結果の話の続きで、
若い頃、僕が電通で働いていたときに
言われたことで、
最近になって「違うんじゃないか」と
思っている考え方があるんです。
なにかというと
「広告を残そうとするな」
というものなんですね。
広告はキャンペーンとともに消えていくもので、
残るのはクライアントの企業であり、
クライアントの商品のほうなんだと。
そういうことを言われた経験があるんですね。
- 糸井
- ああ。
- 山口
- でも本当に広告って、消えていくものなんだろうか。
それはそう思ってる人が関わると
ほんとにそうなるんですけど、
たとえばさきほどの堤清二さんが、
ほんとに消えるものだと思っていろんなことを
やっていたかというと、違うと思うんです。
たとえば「おいしい生活」などの
糸井さんのコピーって、ある世代以上の人は
みんな知ってるわけですね。
また、セゾングループはいまはないけれど、
石岡瑛子さんの手掛けた
一連のポスターなどはいまも残ってる。
坂本龍一さんが時代時代で作られた音楽も
残ってて、パルコのCMの曲とか、
本当にすばらしい作品なんですけど。
そういったことを考えると
「永遠に残るのはどっちだろう?」
と思うんです。
会社が消えても、そのプロセスのなかで
いろんな人が育っていて、
その人たちが作り出したものはいまも残ってる。
またその後、糸井さんみたいに
新たに会社を作った人までいて、
そこからさらにいろんな人や文化が育っている。
だから、残らないのは実は会社のほうで、
そのプロセスのなかで生まれたいろんな表現や文化は、
世の中にずっと残っていく。
そういうことかなと思ってるんですけど。
- 糸井
- いや、僕もそのとおりだと思いますね。
アルタミラ洞窟の壁画だって、
描かれたときの動機やテーマは
「五穀豊穣」のような話だったわけです。
ロートレックの絵や、ベートーヴェンの曲もそう。
作られたときの動機やテーマは
それぞれあったはずだけど、最終的に残っているのは
「描かれたもの」や「作品そのもの」なんですよね。
坂本龍一さんの音楽もそうで、
実際に残っていったり、
のちの人に「おおっ」と言わせるのは、
「サウンドそのもの」だと思うんです。
まあ、担当した広告をわざわざ残そうとするのは
「あがき」かもしれないから、
代理店の仕事の教訓としての
「その邪念みたいなものはダメだよ」というのは、
これはこれであると思うんですけど。
- 山口
- そうですね。
- 糸井
- そして「残る・残らない」の話で言うと、
最近自分がある対談のなかで
出まかせのように言ったことのなかに
「起こったあらゆることは何も消えない」
というのがあるんです。
全瞬間は記録には残らないけれど、
起こったことは何も消えない。
「あったことはあったんだよ」「絶対消えない」
っていう。
その、すさまじいばかりの真理というか。
- 山口
- 恐ろしいといえば、恐ろしいことですけれども。
- 糸井
- すごいことです。
いいとか悪いとかを超えて、全部あったのは確かで。
僕らが生きることのベースにはそういう、
敬意を持つしかないような
「あった」という事実、景色のようなものがある。
だから、その対談のときには
「世界中の文献がほとんど無くなるとしたら、
どういう文章が残っていてほしいですか?」
と聞かれて、僕は
「何も残らなくていい」と言ったんですけど。
- 山口
- はぁー。そうですか。
- 糸井
- だから「残るかどうか」という視点も
もちろんあるんですけれども。
だけどやっぱりいちばんやりたいのは、
さきほど山口さんがおっしゃったような、
プロセスのなかで「楽しかった」とか
「辛いけども面白かったね」とか、
「目的には辿り着かなかったけど俺は満足だよ」
と言えるかどうかとか。
なるべくたくさんの人が
そう言えるゲームがいちばんいいですよね。
僕はそういうことを思っているかもしれないです。
- 山口
- はい、ありがとうございます。
- 糸井
- ‥‥こんな話でよかったでしょうか。
- 山口
- もちろんです。今日はいろんなお話を聞けて、
私自身が感激でした。
- 糸井
- 僕も楽しかったです。
こちらこそありがとうございました。
またいろいろ教えてください。
(おしまいです。
お読みいただきありがとうございました)
2023-04-26-WED