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糸井 |
職業にはできてないけれど
絵を描いている人や、
絵を描くのが
好きな人たちというのは、
たくさんいると思うんですね。
その人たちには、かつては
画家として画壇にデビューする以外の
道がなかったと思うのですが、
ゾーヴァさんにとっての
ポストカードというような
画壇以外で活躍できる
世界が出てきたおかげで
画を
諦めないですむようになってます。
これは、絵を描いている人たちに
たくさん勇気を
与えたと思うんですよ。 |
ゾーヴァ |
なるほど。
まずはこのポストカードを
作ってくれる会社を
見つけることが大事ですね。
ポストカードを印刷して、
出してくれたところが
実際に各店で販売してくれて
広めてくれる。
営業活動をやってくれることも
大きな仕事ですから。 |
糸井 |
そうですね。
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ゾーヴァ |
私の場合は
友人がポストカード会社を
つくったのですね。
でもこのポストカードも
売れるまでには
非常に時間がかかりました。
90年代のはじめに
私のポストカードを持って
ニューヨークの大きな見本市会場で
ドイツのポストカードとして
広めようとしたんです。
でも反応があまりよくなくて‥‥
手に取ってくれたのは
一日に5人くらいでした。
そういった意味では
ポストカードは必ずしも
簡単に手軽に広まるメディアでは
ないかもしれません。 |
糸井 |
今ですと、
この役割をインターネットが
持っているんじゃないかなって
思ったんです。 |
ゾーヴァ |
すみません。
私はインターネットを
まったくしないので
ちょっとわからなくって。
技術的に遅れているんですね(笑)。 |
糸井 |
いえいえ(笑)。
最初にうまくいかなかった話も含めて
どこかにお願いするということではなく、
お友達のポストカード会社の社長さんと
一緒にちょっとずつ
自分たちで決定できることを
やっていたっていうのが
素敵な話だなと思ったんですね。 |
ゾーヴァ |
たしかにけっこう楽しい時でした(笑)。
一番最初にニューヨークで
ホットドックを首からぶら下げるような
板にポストカードを乗せて
本屋さんを歩いて
「これ、売ってくれない?」と
冗談半分で売り込みをしたこともあります。 |
糸井 |
それをやり続けてきたから
今、こんなにたくさんあるんだもんな。
ダメだっていわなかったんだもんね。 |
ゾーヴァ |
でもそういうことも含めて
すべて友人がやってくれたので、
彼のおかげです。 |
糸井 |
その方はこの仕事のために前の会社をやめて
ポストカードの会社を始めたんですよね。 |
ゾーヴァ |
ええ。
彼は広告の会社を自分でやっていたのですが
もう広告の仕事にうんざりしていたんです。
例えばカーテンレールを
売ろうとするお客さんのために
いちいちプレゼンテーションを用意して
きちんとした格好をして‥‥ |
糸井 |
ネクタイをして(笑) |
ゾーヴァ |
そう(笑)
こんなふうに広告をしてはいかがでしょうと
プレゼンテーションをするのが
もうばかばかしくなっていたんです。
そんなときにですね
「ポストカードは手軽でいいじゃないか。
モノがもうあるわけだし、
それを車で売りにいけばいい」って
思ったんですね。 |
糸井 |
モノも小さいしね。 |
ゾーヴァ |
邪魔になったらまたたたんで
帰ればいいじゃないですか。
でもその広告会社をやっていた時代の
数年間の儲けを投資して
ポストカードを作ったり、売ったりしたので
広告の仕事も
全く無駄だったというわけではなかったかな。 |
糸井 |
ゾーヴァさんは
絵を描いて職業にしていこうと
自信を持っていえるようになったのは
いつ頃なんでしょう。 |
ゾーヴァ |
まだ自分の家族を持っていなかったときですね。
一時的には描いた絵を売って
食べていた時代もありました。
ポストカードや
本のイラストの仕事は後から
仕事になっていったんです。
絵だけを売って生きていくというのは
もうとてもできないですね。
家族を持ってしまったので
お金がかかってしまいますし(笑)。
いろいろな方法で
稼ぐようになったのは
とてもよかったと思います。 |
(つづきます) |
【通訳】
ゾーヴァさんと糸井重里の対談は
ゾーヴァさんの本を何冊も翻訳されている
木本栄さんに通訳をお願いしました。 |
2006-02-06-MON |