Cacco

Kanoco × Hobonichi

野の花や気象など自然をモチーフにした
オブジェやアクセサリーをつくっている
中村なづきさんのブランド
Nakamura NazukiとCaccoがコラボ。

Kanocoさんが考えた架空の植物を
中村さんが、ひとつひとつかたちにしました。
名前は「想花(そうか)」です。
できあがったのは、左右で大きさがちがう、
凛とした雰囲気の
silver925のイヤリングとピアス。

中村なづきさんの、
アクセサリー作家としての
デビュー秘話や、制作のこと、
そして、「想花(そうか)」が
できるまでのことなどを、
ご自宅兼、アトリエでお話をうかがいました。
中村なづきさんプロフィール

中村なづきさんのものづくりと、
                            Caccoのアクセサリー「想花(そうか)」ができるまで。前編

アクセサリーの授業が、
すっごく楽しかった。

――
今回の企画は、
Kanocoさんが、中村なづきさんのアクセサリーが大好きで、
ミモザのアクセサリーを持っていらした、
というところからスタートしています。
Caccoで何かアクセサリーを、っていう話になった時に、
最初に、中村なづきさんと一緒になにかを作りたいって。
中村
うれしいです。はい。
――
なづきさんは、そもそもどんなきっかけで
アクセサリーを作るようになったんですか?
中村
私、文化服装学院のスタイリスト科出身なんです。
最初はお洋服のほうに行きたいと思っていて。
でも、なんとなく、洋服を作るっていうよりも、
できた洋服をスタイリングしたり
見せるやりかたを考えるほうが好きだなと思ってて、
漠然と、とりあえず洋服が好きだから、
文化(服装学院)に行っとけばどうにかなるだろう、
ぐらいな感じだったんですよね。

その文化服装学院の3年の時に、
そう、木曜日だったことまで覚えてるんですけど、
イラストレーターの中川清美さんが、
装苑で「シネマ・コラージュ」の連載だったり、
絵も描いたりしていた方なんですけど、講師でいらして。
アクセサリーの授業をしてくださってたんですね。
使う素材は樹脂で、アメリカンフラワーとか、
エポキシとかなんですけど、それがすっごく楽しくて。

私、そのとき実家暮らしで、谷中なんですけど、
すぐ近所の浅草橋に行けば、
その授業で知った素材、材料はいっぱい売ってるから、
買いに行って、自分で作るようになったんです。
それがひとつのきっかけではありましたね。

で、同じころに、実家のすぐ近所に、
青空洋品店っていうお洋服屋さんができたんです。
あづさんっていう人が、1人で足踏みミシンを踏んで、
お洋服を作って販売してたお店だったんですけど、
そこに通うようになって、すごく仲良くなって。
年は私より10コ上なんですけど、
あづちゃん、って呼ぶくらい親しくなりました。

何かの記念に、アメリカンフラワーで作ったかんざしを、
あづちゃんにプレゼントしたら、すごく喜んでくれて、
これ、うちのお店に置いて売ってみたらって言ってくれて。
それが、20歳ぐらいの時。専門学校3年でしたから。
自分が作ったものを、人がお金を出して買ってくれて、
身につけてくれるっていう喜びをそこで知ったんですよね。
それも、もうひとつのきっかけではありましたね。

でも、自分は全然作り手のタイプじゃない、
そう思ってたから、作るのは趣味で、
仕事は洋服の方に行くんだろうなって思っていました。

アクセサリーを、趣味から仕事へ。

中村
卒業してファッション関係の会社に入りました。
会社にいる間も、アクセサリーは趣味で作っていて、
送別会でプレゼントしたりしてました。
私といえばアクセサリーの子、
みたいに言われたりしていて。
そういうのも楽しいなと思ってましたね。

会社は、そこのブランドが本当に大好きで、
どうしてもそこで働きたくて、入れたんですけれど、
やっぱり仕事ですから、楽しいばっかりじゃないし、
組織の中で、人に言われたことをやるのが、
自分にはあんまり向いてなかった。

そこから逃げたいのもあったと思うんですけど、
アクセサリーの学校に行きたいっていうのを理由にして、
3年働いて、その会社を辞めました。
言ったからには、なんか学校行かなきゃな、
みたいな感じでした。
でも、全然、貯金もしてないし。
お洋服屋さんで働いてると、すごい買っちゃうんですよ。

で、アルバイトを3つ掛け持ちしながら
専門学校に通いはじめました。
私が入ったのは、社会人でも通えるコースで、
授業のコマをひとつずつ買うようなかたちだったので、
お金と時間の都合をつけながら行く、みたいな。

けっこう、楽しかったですね。
先生の話をみんなで聞くような授業というよりは、
1人1人がそれぞれのカリキュラムを進めていって、
わからないところを先生に聞くっていうスタイルで。
私はこの2時間半で、吸収できるものは吸収するんだ、
みたいな感じでやってたので、そうなると、2時間半の一コマの間で、
先生が回ってくるのを待つ時間が長いんですよ。
全然進まなくって、なんか、じれったいなと思って。

そこは、卒業するまでには4年かな、
通わなきゃいけなかったんですけど、
その時、24~25歳で、今考えれば若いですよね、
そんなに待てない、もう、すぐやりたいと思って。

始めるまで知らなかったんですけど、
実家の近くの御徒町に、工具屋さんとか、
鋳造屋さんとかがたくさんあって。
そのときは必死だったと思うんですけど、
これを作りたいんだけど、何からどうすればいいか、
みたいなことを、持ち込みで聞きに行ったりして、
何かあるとそこに通うようになったんです。

そういうところって、社長さんなんかも
一見怖い、いわゆるそういう感じで。
本当に怒られながら聞きに行ってました。
それで、学校に行ってるけど、
なかなか思うように進まないって話をしたら、
じゃあもうやめちゃいなさい、
うちで教えてあげるから、みたいなことを言われて。

あ、そういう選択肢があるんだなと思って。
で、学校はもうスパッとやめてしまいました。
だから1年も通ってないんです。
工具の使い方と技法だけ学んで。
あとは鋳造屋さんと、工具屋さんに教わって。
工具屋さんも私、本当に週に何回も通って、
これには何番手のヤスリが必要なんだとか、
機械はどれを買えばいいかとか、聞きまくって。

もう顔も覚えられちゃって、
あの子また来たぞ、みたいな感じでした。
でも、皆さんすごく親切に教えてくださって。
それで、だんだんと技術とか知識を得ていきました。

すてきな大人たちに出会えた、
ラッキーガール。

中村
いっぽうで、やっぱり谷中に住んでると、
青空洋品店のあづちゃんもいたし、
松野屋さん、トーキョーバイクさん、旅ベーグルさんとか
もの作りの人が多かったりするから、
アクセサリー作ってるんだったら店に置いてみる?
なんか一緒にやろう、って言ってくれる人たちがいて。

始めてすぐぐらいの時から、
帽子屋さんとコラボでピンバッチ作らせてもらったり、
委託で古道具屋さんに置かせてもらったり。
もの作りしてる人たちの飲み会とかに、
連れてってもらって、ちょこんと座ってる、みたいな。
そこでいろんな人たちと知り合って。
 
その間もアルバイトはずっとしていて、
ほんとにいろいろやりました。
居酒屋さん、デパートで派遣販売員、パン屋さん。
テレアポもやったし、ホテルの配膳もやったし。
で、バイトとアクセサリーづくり、
だんだん、だんだん、収入の比重が、逆転して。

本格的にアクセサリー1本でやれるようになったのは、
多分、30歳ぐらいの時だったと思います。
それで実家を出て、今、11年くらいですかね。
――
アクセサリーを始めたころから、
いろんな人との出会いがあったんですね。
中村
あのころの谷中はほんとにおもしろかったんです。
今は有名に、大きくなったお店も、
できたばっかりだったりして。
――
そのころの店主のみなさんは、
なづきさんよりもだいぶ上の世代ですよね。
中村
そうですね、
10コ上とか、2回り上とか。
私、あづちゃんと、のちにその旦那さんになる人と
3人でルームシェアしてたこともあるんですよ。
古い木造の、家賃9万円の一軒家に、
2年ちょっとぐらい住んでました。

そのときは私、まだ会社に勤めていて、
やっぱり結構辛いこともあったんですけど、
帰ると誰かしらが遊びに来てて、おかえり~!って言ってくれて、
ちょっと年上の人たちで、
なんか、みんな可愛がってくれて。

大人で、こんなに楽しそうな人たちがいる。
自由なもの作りをしてる人もいれば、
映画関係の人とかも多くって、
だいぶ影響を受けました。
こういう人生を歩みたいな、みたいな
憧れはありましたね。

20代前半ぐらいでした。
あのころの私はラッキーガールだったと思います。

めぐり会う人、会う人にほんとに恵まれて、
みんなが道筋を作ってくれるというか、
どんどん広がっていったんですよね。

そういう広がり、流れの中に、
スタイリストの轟木節子さんとの出会いもあって、
轟木さんがスタイリングで使ってくださったり
で、Kanocoさんにも繋がっていったんです。

本当にたくさんの方に助けていただいたんですよね。
だから、本当に自分1人では何もできないなって
出会いがあるたびに、毎回思います。

自由なイメージでうまれた「想花」。

――
今回のアイテムは、ちょっと抽象的な、
架空の花がモチーフなんですよね。
中村
そうですね。
最初は、シルバーで植物、っていうことだけ決めて、
何の植物にしますか?っていった時に、
Kanocoさんから、アジサイのお話が
たしか、出たんだったと思います。
――
Kanocoさんが息子さんとお散歩してる時に
道端に落ちていたアジサイの花びらを
プレゼントしてくれたっていう話でしたね。
そこから、架空の植物にしたいっていうことに。
なづきさんの作品は植物のモチーフが多いですけれど、
架空っていうのは、どんな感じでしたか?
中村
もとになる植物があると、
その枠の中でデザインしなきゃ、
っていうところがありますけど、
これは特定の植物ではなかったから、なんか自由に。
自由に広がって、デザインができましたね。
抽象的っていうわけではないんですけど。

最初にKanocoさんがラフで描いてくださった、
花びらが2つ、っていうのがまずあって、
そこから、花びらをギザギザさせたり、
ちょっと線を足したり、大きさを変えたり。
作っていて楽しかったです。

多分私、頭が固いのか、もとになるものがあると、
それに寄せる、寄せたくなっちゃう。
それでたまに、苦しくなる時があるんです。
私、デザイン画を描かないんですね。
その理由も、
描くと、その絵に寄せてしまうと思うから。
なんとなく、ざっくり頭の中にあるものを
手を動かしながら、かたちができていく。
出来上がったものを見ると、
自分でも、あ、こうなったんだ、みたいな。

とくに新作のときは、うまく言えないんですけど、
あんまり意識がないみたいな感じなんですよ。
水を飲むのも、もしかしたら息するのも
忘れてるんじゃないかっていうくらい、
夢中で作ってることがあるんですよね。
今回もそんな感じでした。
――
これは、なんの花、っていうんじゃなく、
イメージネームというか、タイトルとして
「想花」っていう名前ですよね。
手に取って身につけるひとが、
なんの花なのか、想像すればいい。
もう究極、花なのかどうかも、
そのひとが自由に思えばいいっていう感じですね。
中村
はい、そう思います。
好きなように解釈してもらえたらな、って。
――
左右で大きさが違うのは、
なづきさんからのご提案でしたね。
中村
右耳につける大きいほうが、最初にできたんです。
これはほんとに勢いでワーって作って、
あ、もう絶対これ!ってなったんですけど、
ただ、これを両耳につけるっていうのは
なんか違うなって感じたんですよね。

左右対象じゃなくて、ひとつは小さく、
っていうのは頭にあったんですけど、なかなか…。
1回できたものを、もう1回、
作り直させてもらったりしましたよね。

大きさとか、薄さとか、
向きを上にした方がいいんじゃないかとか、
最後の最後まで、ちょっと考えすぎちゃった。
でも、最終的にはちゃんと納得したかたちに
落とし込めて、出来上がりました。

だからこの左耳の花びら1枚は
こんなにシンプルなんですけど、
右耳の大きいほうの3倍ぐらい、
小さいほうが時間かかってるんですよ。

(つづきます)

中村なづきさん展示会のお知らせ。

「 Nakamura Nazuki accessory fair」

Climate(気象現象)シリーズのほか、
鉱物シリーズ、そして新作の髪留めが展示されます。
ぜひ、この機会にご覧くださいませ。

2023年12月7日(木)~12月27日(水)
「CLASKA Gallery & shop "DO"」
渋谷ヒカリエShinQs店
東京都渋谷区渋谷2-21-1 4F
11:00~21:00