このお話は、当初、『畑deしぼり』というジュースを
紹介するコンテンツ作り”について
お話をいただいたところから始まったものでした。
ご紹介するには、実際にジュースを
飲んでみなければいけませんから、
冷凍したものをクール便で5袋ずつ分けていただくことに。
おいしく飲み終わり、やがて自分で買い足したり、
「いえいえ送りますよ」とまたいくつか頂戴したり、
自分で買い足したり‥‥、
そんなことを繰り返している間に、
季節は冬の終わりから春の終わりに変わって、
そして、わたし自身に
とても大きな大きな変化が訪れていました。
せっかくですから、「ジュースのお話」と一緒に
「わたしの特別な6ヶ月間のお話」も
読んでもらえればと思います。

▶︎中前結花(ほぼ日の塾 第4期生)さんのプロフィール
イラスト:ちえ ちひろ


第1回 わたしの「お暇(いとま)」。 2021-07-06-TUE
第2回 「新しいわたし」と約束。 2021-07-07-WED
第3回 足りなかったものは。 2021-07-08-THU

第1回 わたしの「お暇(いとま)」。

ベッドの足元の小さなカーテンの隙間から、
細く細ーく光が漏れていて、
「夜ではない」ということだけがわかった。
眠ったり、ぼんやりと起きたり、また眠ったり。

どうせ起きてもすることがないのだから、困った。
スマホも見たくないから、どこかに放り出してしまったし、
イモムシみたいに丸まって、
布団を被ったまま寝転んでいるしかないのだ。

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ぐるりと反対に寝返りを打とうとしたら、
さっきまで細く漏れていた光が、
嘘みたいにもう消えている。
「そうか、日が沈んだのか」
外は、目を離した隙にサッと空の色を変えてしまう12月だ。
「早く2020年なんて終わってしまえばいいのに」
そんなことだけを、ただ願っていた。
しばらく食事もしていないから、
ふと触れたお腹はペッタンコだ。
「あの服、今なら入るかもしれない」
もう3年近くも着ていない緑色の
イモムシみたいなワンピースのことを
わたしはぼんやりと思い出していた。

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2020年の11月。
在宅勤務と、たまの出社や取材なんかを
こなしている日々だったけれど、
あるときから、机に向かって仕事をしていると、
右の肺がなぜだか痛くてたまらなくなった。
しばらくすると画面で人の顔を見るのが、
なんだかとても恐ろしいことのように思えて、
カメラのスイッチを切ってしまい、
自分だけ違う画面を見ながら打ち合わせに
参加するようになる。
どうも右耳が聞こえていないような気がして、
息は苦しいし、頭は締め付けるように痛んで、
なんだかいつも水中にいるみたいだった。
気づけばわたしは仕事中ずっと、
小さな子どもみたいに、おいおいと泣いていた。

「いよいよだめかもしれない」

そう思い始め、やっとの想いで
「少しだけ休みたい」と職場に申し出たところ、
数日後には、会社を正式に休職することになってしまう。
今思えば、これは、
とてもとても正しい判断をもらったのだけど、
その頃のわたしには、何もかもが悲しかった。

わたしは、本当に仕事が好きだったし、
わたしが好きなのは、本当に仕事だけだった。

だけど、気がつけば10キロ以上体重は減り、
なんだか理想の体型にはなれたものの、
見渡せば、ブカブカのサイズの洋服で溢れて
部屋はこんがらがっていた。
よくよく考えれば、カーテンは
しばらく開けたことがなかったし、
ということは、窓をしっかり開けたことも、
もちろんなかった。
いつだったか、
「月が見えないか」と小さく覗いたり、
「花火が見える」とひとりはしゃいだことはあったけれど、
部屋の空気を入れ替えるようなことは、
思いもつかなかったのだ。
もしかすると、この部屋へ越してから
「換気」だなんてしたことは、
1度もしたことがなかったかもしれない。
見えはしないだけで、部屋の空気は
本当はドヨドヨと淀んでいるのだろうか。

思いつきで休日の朝、
早起きをして料理をすることはあったけれど、
それもとうの前の話だ。
秋が始まれば、
「仕事をしながら、片手で食べられるものをつまむ」か、
「そういえば、今日は何も食べていなかったなあ」
という日ばかりが続くようになっていた。
「朝ごはんだけでも良いものを食べるように」
と友人からも教わっていたのに、
奮発して買った、ゴリゴリと豆を挽くコーヒーミルだって、
気がつけば、考えごとをするときにカラカラと回す、
オモチャになってしまって暫くが経つ。

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わたしはぼんやりと
「バケツの水のようだなあ」
と考えていた。
ここ数年で、少しずつ少しずつチョロチョロと注がれて
溜まり続けていたものが、
最後の1滴のようなひと押しで、
途端にダーッと溢れ出てしまって、
そこからはもうお構いなしに、
ただただ床まで濡らし続けてしまうような、
ジメジメとして取り返しのつかない惨状。
なんだか、そんな具合に思うのだ。

わたしは、ついに故障してしまったんだろう。
そして、いちばん大事にしていたものを
失ってしまうのかもしれない。

病院では、やさしい口調で先生が、

「いちばん拘っているものを、一旦忘れてみましょう」

と案の定言うものだから、
とにかく仕事のことを、一生懸命に頭の中から
無理やりに追い出すことになってしまった。
これには大変な苦労が必要だったけれど、
スマホにはたくさんの便利な機能があることを
このとき初めて知って、
仕事に関するものは目に入らないように
徹底することにした。

イモムシの体勢で腰も痛めてしまったから、
徐々に、遠くの薬局まで歩いてみたり、
マンションの近くのベンチで凍えながら本を読んだり、
「腰を休ませるポーズ」で、
気になっていたドラマを最終話まで
見れるようにもなってきた。

奈良県でひとり暮らす父は心配症だから、
もう少し元気になってから連絡することにして、
「休職することになったよー」
と親しい友人たちに連絡してみたら、
なぜだか、
「本当に良かった!!」
と皆同じようなことを言って、
あちらこちらから、たくさんのおいしいものを届けてくれた。
久々にキッチンに立って、
もらった大きいウインナーと白菜だけの
質素なポトフを作ってみたら、
あたたかいものを食べるのさえ久々だったからか、
とてもとてもおいしかった。

数日おきに、
「どんな具合?」
と連絡をくれる友人が何人かいて、
「今日は、『凪のお暇』を全話見たよー」
「今日は、1駅分を往復したよー」
と、何気ない調子で返していたけれど、
まさかこんなに優しくしてくれるとは思わなかったから、
本当はいつも泣きながら文字を打っていた。
はたして、いつかお返しのウインナーを
わたしが送れる日は来るのだろうか。

そしてもうひとつ。
同じくらい救いになったのは、「お笑い」だった。
病院の帰りに、久々に新宿の劇場に足を運んだら、
その90分間だけは全てを忘れて、
わははは!と涙を流して本当によく笑った。
なんだか臓器が、
正しい位置にグイッと戻される気がするのだ。
わたしは、漫才が特に好きだ。
それからは、家でもお笑いの動画をたくさん見て、
お笑いのラジオもたくさん聞いた。
そうすると、臓器がグヌヌと動いて、
ちゃんとお腹が減ってくる。

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だけれど。
仕事もしていない。何とも戦ってもいない。
そんな自分を怠け者のように
なじりながら過ごす毎日の中で見る、
2020年の『M-1グランプリ』は、なんだか格別に辛かった。
「この人たちは、こんなに頑張っているのに」
と比べてもしようがないことを比べては、
たいそう苦しんでしまう。
けれど、もう長い間ずっと、「報われればいいのになあ」と
劇場でよく見ていたコンビがチャンピオンに輝いて、
最後に、
「最下位取っても優勝することがあるんで、
みなさん諦めないでください!」
と、「本当のこと」を話している人の目で
力強く言っていたから、
もしかすると“挽回”は、まだ残されているような気もして、
「そうだといいなあ」
と、しばらくうずくまって泣きやむことができなかった。

年末も近づけば、
薬をしっかりと飲んでいれば、仲の良い友人となら、
数時間のお茶ぐらいは行けるようになった。
親しい先輩と出かけた帰り道、
神楽坂の赤城神社に寄ったから、
ちょっとお願いをしておきます、と言って、

「来年、わたしは‥‥生まれ変わりたいです」

と小さく、それでもぎゅっと力を込めてお願いをした。

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あとで調べてみれば、
良縁や安産のご利益がある神様だったけれど、
そんなことは、
この時はちっとも知らなかったものだから、
なんだか少しだけ勇気が出て、

「会社からちょっとお暇をもらうことになりました。
お父さんと電話で喋る元気はまだないけど、
貯金も少しはあるから、だいじょうぶ。
また何かあったら、報告します」

とだけ、父に連絡をした。

父との電話は、1時間以上かかるうえに、
毎回知らない人の名前が10人ほど出てくるから、
本当はたとえ元気があっても、
とてつもなく大変なのだけど。

すぐに、

「わかった、ご苦労さん。
野菜と魚も食べや。定期的に連絡するように。」

とやけにあっさりとした返事がきた。
電話がかかってこなくてよかった‥‥。

とにもかくにも、そんなふうにして、
わたしの暫くの「お暇(いとま)」が始まった。
残念ながら、ジュースはまだ出てこない。

(つづきます)