このお話は、当初、“『畑deしぼり』というジュースを
紹介するコンテンツ作り”について
お話をいただいたところから始まったものでした。
ご紹介するには、実際にジュースを
飲んでみなければいけませんから、
冷凍したものをクール便で5袋ずつ分けていただくことに。
おいしく飲み終わり、やがて自分で買い足したり、
「いえいえ送りますよ」とまたいくつか頂戴したり、
自分で買い足したり‥‥、
そんなことを繰り返している間に、
季節は冬の終わりから春の終わりに変わって、
そして、わたし自身に
とても大きな大きな変化が訪れていました。
せっかくですから、「ジュースのお話」と一緒に
「わたしの特別な6ヶ月間のお話」も
読んでもらえればと思います。

▶︎中前結花(ほぼ日の塾 第4期生)さんのプロフィール
イラスト:ちえ ちひろ


第1回 わたしの「お暇(いとま)」。
2021-07-06-TUE
第2回 「新しいわたし」と約束。
2021-07-07-WED
第3回 足りなかったものは。
2021-07-08-THU

第3回 足りなかったものは。

本格的な春を迎える頃、
そろそろ自分の中で「決めてしまいたいな」と
思うことがあった。

「以前の自分に戻る」という選択肢は、
なんだか自分の中で「きっと違う」と
わかっていたから、
本当に仕事は好きだったけれど、
遅かれ早かれ会社は辞めてしまうしかないと、
やっぱり感じた。

どうなるかはわからないけれど、
自分のペースで、自分が感じたことを
書き物にしていくのが、
わたしの性分には合っているのではないかと考えたのだ。
ちょうど良いタイミングで、
エッセイのコンテストで賞をもらうことができたから、
そのことが綴られた新聞と一緒に、父には
「しばらく書くことだけを頑張ってみたいです」
と手紙で伝えた。
「そうか、わかった。野菜と魚も食べや。」
という、またも、
どこかで1度見たような返事をもらう。
野菜は食べているし、ジュースまで飲んでいる!
と思うと、わたしは妙に誇らしかった。

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それからも、毎日よく眠って、
窓を開け閉めして、ジュースを飲んで。
毎日毎日ハンコを押した。

お店で飾られていた、
古い型番の「バルミューダ」のトースターを、
格安で譲ってもらってきたから、
その日からは、ジュースとふかふかのパンが
朝ごはんになった。
「おいしい朝ごはんが待っている」
というのは、何よりもわたしを元気に起こしてくれた。

人に勧められた土井善晴さんの本に、
「料理するということは自立なんです。」
「料理をしておいしいまずいということよりも、
料理という行為をとにかくするということは自立。」
(『料理と利他』)
と書いてあって、それがいたく気に入ったものだから、
器用な料理はできないけれど、
気分の良い日は、食べたいものを自分で作って食べた。

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別に、サボり気味の日があったって、
自分で食べるだけなのだから一向に構わない。

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自分が好きなものを選んで取り入れて、
自分を少しでも嫌な気持ちにさせるものは次々と手放した。
それを真面目に淡々と続ける。

そうして日に日に顔色は良くなり、
日に日にできることも、
ある程度「健康」に見栄えする程度には
体重も増えていった。
それと同時に、着実に「退職」の日は近づき、
また「手術」の日も同じように近づいていた。

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思えば、全身麻酔をすることも初めてだったし、
ひとりで病院へ行って、手術を受ける、
ということも本当はずいぶん恐ろしかった。
「あんなに手術ばっかりしてたお母さんも、
ひとりで手術に行ったことはなかったで」
と数年前に亡くなった母を思い出しながら
父が言うものだから、
なんだか余計に不安になってくる。
眼球の裏の筋肉を切る、というのは
何度説明を受けても鳥肌が立った。
大袈裟なわたしは、
「万が一のことがある」
と思いはじめて、
友だちや特にお世話になった人にはなんとなく、
「いつも、ありがとう」
というような旨を混ぜ込んで、
数日前に連絡をしたりした。

「いいなあ」と思う彼とは、
毎週末お昼ごはんや映画に出かけたり、
観光地のような人の多いところは避けながら、
海を見に行ったりして、
相変わらずぼんやりと一緒に過ごしたりしていた。
「言い残してはいけないな」
と思ったから、
その日、これまでのお礼とこれからのことを
ちゃんと話そうと思ったけれど、
「言わなければいけない」
と思えば緊張してしまうし、
「明後日には手術だ」
という、おっかない気持ちで、
どうにも動転してしまって、
慣れないお酒を久々に飲んでしまった。
結局、ただただ酔いが回って、恥ずかしくて、
何も言えずにとぼとぼと帰ってきた。
それだけならまだ良かったのだけれど、
そのせいでスマホをどこかに置き忘れてきて
しまったものだから、
これが本当に困った事態になってしまった。

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待ちきれず、まだ薄暗い明け方には、
交番に「紛失届」を出しに行ったものの、
「見つかったとしても、お姉さんの場合
ご連絡する先がないから困りましたね」
と言われてしまう。その通りだ。
ひとりで暮らしで、会社にも通っていない。
ごく近所に、知り合いがいるわけでもない。
そんなわたしはスマホがなければ
社会と断絶されてしまうのだ。
外は、久しぶりの大雨で、
壁やポスターに風と雨が一緒になって
激しく打ち付けられていた。

幸い自宅にパソコンはあるけれど、
持ち歩けるポケットWi-Fiは解約してしまったし、
落とした携帯の電源が切れているのか、
在処を探索しても昨晩の位置情報から
更新されていなかった。
平日は友人だって、みんな仕事をしている。
助けを求めると言っても、
どうすればいいのかわからない。
何より、手術は明日に迫っていた。
よくよく考えれば、
明日の手術の時間の詳細や受付場所さえ、
携帯電話がなければわからないのだ。
それに「無事に終わったよ」という連絡も
父にしてあげることができない。

思えばこの数ヶ月、
自分に足りなかったものを
一生懸命補ってきたつもりだった。
気持ちのいいものを、たくさん手に入れた。
これからは会社を離れ、頑張っていかなければいけない。
わたしは、もう「大丈夫」に
変わり始めているのだとばかり思っていた。

だけど、相変わらずわたしは、
とても無力で、とてもひとりだった。

スマホひとつ無いだけで、わたしは手も足も出ない。
ひとまず、誰かに使われぬよう使用停止してもらい、
パソコンから気安く連絡できる友人にだけ、
きっと仕事中とはわかりつつも、
「携帯電話がない!どうしたらいいんだろう!」
といくつか送ったけれど、
部屋をうろうろとうろついた後、
「やっぱり今日中に必要だ」
と大雨の中、またスニーカーを履いて
携帯ショップに駆け込んだ。

事情を相談し、その場で機種変更をすることになる。
特に望んでいなかったけれど、
スマホは最新の機種へとアップグレードされた。
やむを得ず、少し高めの金額は払ったけれど、
かろうじて保存されていたデータだけが
手元に戻ってきて、
わたしは心底ほっとした。
すぐに写真の大切なフォルダを確認したら、
母の写真はちゃんとそのまま無事だった。
「こまめにバックアップをとって、
アプリのメモ帳にだけメモするのは
辞めた方がいいかもしれませんね」
とショップのお兄さんは教えてくれた。
わたしは、またひとつ賢くなって、
「はい、もう絶対にしません。あと、もう無くしません‥‥
ありがとうございました‥‥」
と頭を下げて家に帰った。

ずぶ濡れで帰宅すると、パソコンに、
「新宿の警察に電話しようか?」
「タクシー会社に当たってみようか?」
という提案や、
「警察に言うとき、この番号使っていいよ」
と自分の番号をすぐに差し出してくれる
友人の連絡が届いていた。

どうして「ひとりだ」なんて思ったんだろう。

わたしは急に安心して、疲れてその場でくたくたと眠った。
激しい雨音をうっすらと聞きながら、
目覚めたなら、あの甘くてやさしい、
オレンジ色のジュースをたっぷり飲みたいと考えていた。

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そして翌日。
全身麻酔とは本当に呆気なくて、
手術はあっという間に終わり、
しばらく痛みは続いたけれど、
数日もすれば日常生活が送れるようになっていた。

1週間後、経過を病院で診てもらったところ、
何度も手術した日にちを確認しながら、先生に
「あれ、傷口の回復がこんなに早いのって珍しいですね」
と言われたけれど、
わたしは、特に驚くことはなかった。

毎日よく寝て、心地のいい部屋に風を通して。
日がな、日向ぼっこをしたり、
好きなラジオと音楽だけを聞いた。
色の濃い野菜を絞ったジュースを毎日飲んで、
魚もお肉も卵も食べた。
これまでよりも、ずっとずっと自分を
大事に丁寧に扱っていたから。

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きっと1年前のわたしに、何がいちばん重要か?
と問えば、「仕事だ」と即答したろうと思う。
食べものだって、部屋だって、時間だって、
ただ「あればいい」とばかり思っていたのだ。
体に入れるもの、出ていくもの、について
深く考えたこともなかったし、
わたしがもう持っているもの、持っていないもの
についても、まるでわかっていなかった。

「仕事がたのしい!たくましく生きていこう!」

と揚々と息巻いていた。
だけど、体を壊して、心が少し故障して、
わたしは自分の身勝手さと無関心さにようやく気づく。

心配してくれる人がいて、
手を差し伸べてくれる人がいて。
何かあれば必ず連絡しなければいけない人もいる。

どうして気づかなかったのだろう。

経済的に不安なとき、
食べものをせっせと送ってくれる友人や、
おいしいごはんを御馳走してくれる友人もいた。
数日おきに連絡してくれる友人も、
「この番号使っていいよ」と
迷わず番号を貸してくれる友人も、
父に送るための「エッセイコンテスト受賞」の
新聞記事を一生懸命一緒に探してくれた人もいた。
「頼みたい仕事があるからね」と安心させてくれた人も、
おいしいジュースを送ってくれる人もあった。
父は、祖母の介護で大変な合間を縫って、
やっぱり「野菜を食べなさい」という手紙を添えて、
少しのお金を送ってくれた。

ちっとも、ひとりでなんて生きていないし、
もう、たくさんのものを持っていた。
必要なのは、「挽回」ではなく、
どうやら「気づくこと」だったらしい。
ひとりじゃ何もかも、足りないところばかりだけれど、
「そんなわたしでも、わたしはとても大切なものである」
ということが、本当に本当によくわかった。

わたしはもう、自分を放っておかない。

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今日も窓を開けて、白いカーテンのリボンをぎゅっと絞る。
パンを焼きながらジュースを飲んで、
お気に入りのラジオを小さく流す。
ふふふと笑えば幸せになるけれど、
臓器はそれぞれ自分の正しい行方がわかって
落ち着いたのか、
それぞれの場所で今日も一生懸命役割を全うしている。
大恋愛の行方だけは、いまいちよくわからないけれど、
それは、しばらくまあいいか。

今日は、大好きな漫才コンビの取材だ。

今日もしっかりとハンコを押すことができる。
ずいぶん上出来の1日になりそうだ。

(おしまい)