市原真「病理医ヤンデルの、医療とおちつけ。」
新型コロナウイルスの影響がまだまだ続いています。
慌ててしまうときや、感情的になりかけたとき、
自分に言い聞かせたいことばが「おちつけ」。

おちついていられない病院に勤めながら、
適切な医療情報を発信しつづけていた
「病理医ヤンデル」こと市原真さんに
リモートでお話をうかがいました。

職場の壁に飾られた「おちつけ」掛け軸には、
どんな効果があったのでしょうか。
担当は「ほぼ日」の平野です。
(1)医療の現場で「おちつけ」。
──
ヤンデル先生が「やさしい医療」
リモート出演されていたのを拝見したのですが、
後ろに飾られている「おちつけ」の掛け軸が
ずっと気になっていました。
ご愛用いただき、ありがとうございます。
市原
こちらこそ、ありがとうございます。
「おちつけ」の企画を最初に目にしたとき、
掛け軸だったことが実はすごくよくて。
画面越しでもおわかりになると思いますが、
ぼくは職場の壁にいろいろなものを貼っています。
大体はぼくと縁がある方だとか、
好きなアーティスト関連のものですね。
「おちつけ」のある場所に、
以前は別の掛け軸を貼っていたんですよ。
これなんですけど。
──
あ、かわいいダルマ。
市原
そうです。
でも、なぜ買ったのか由来を覚えていなくて。
ぼくが大学1年か2年の頃ですかね、
どこかの雑貨屋さんで見つけた掛け軸です。
それから勉強机や、仕事机にも飾っていました。
ところがですね、職場の机のそばに
お気に入りの写真が並ぶようになってくると、
このダルマの掛け軸だけ、
なぜ貼っているのかわからなくなってきまして。
デスクのそばに掛けられるものはないかなと
ちょうど探していたときに、
「おちつけ」を知ったんです。
──
「おちつけ」ということばは、
石川九楊さんと糸井の対談で発表しました。
「おちつけ」ということばには、
どのような印象を持っていましたか。
市原
「なるほど、そういう切り方があるのか」と。
今まで20年ほど「ほぼ日」を見てきましたが、
「おちつけ」なんていう4文字に
いまさら何を背負わせられるんだろうと思って
対談の企画を読ませていただきました。
そうしたら、本当にいい話で。
石川九楊さんは「おちつけ」の左側に
余白を持たせるように書いておられるんですよね。
なんて素晴らしい意味の込め方をするんだろうと
惚れ込んでしまいました。
ありふれている「おちつけ」ということばを
芸術にしてしまっていること、
しかも日常使いができるということ。
まあ、いいわねと思って即座に買いました。
──
そう言っていただけて嬉しいです。
あえて左側に余白を持たせているのは、
1回おちついてから、
その後で展開していくという意味が
込められているそうです。
市原
はい、かっこいいなと思いました。
似たようなアイディアを見たことはあるんです。
たとえば、言葉の最後に読点を書いて
「◯◯◯、」でその後に何も書かないという
デザインやキャッチコピーは見たことがあります。
でもそれには上品さがないといいますか。
あとは「‥‥」と続かせて、
その先を想像させるような文章もありますよね。
中にはかっこいいものもありますが、
それはまあ、想像がつくわけです。
けれど、まさか書のデザインで、
無意識のうちに左側の余白に
その先を考えさせるなんていうものは、
なんて上級なんだろうかと感心しました。
かっこいいなと思ったのを覚えてます、ほんっとに。
──
ヤンデル先生のお仕事は、
つねに大きな責任を伴うものだと思います。
ご自身が病理診断医であるということと、
「おちつけ」のことばを結びつけたときに
何かいい影響はありましたか?
市原
おちつくメリットはいっぱいありますよ。
まず、「診断」という作業は、
その病気の名前を決めて程度を推し量ることです。
ある病気があったとしますよね。
それに罹ったというだけではなくて、
からだの中でどのくらい悪さをしているのか、
どれぐらい広がっているのかを
決めるところまでが診断なんですよ。
この診断という作業だけ見ても、
おちつくことの効用は非常に多いです。
──
「おちつけ」の効用、
どんなことでしょうか。
市原
わからないものを決めにいくのが
診断という作業の特徴だと思うんです。
ですが、自分の気持ちが盛り上がった状態で
病気かどうかを決めにいってしまうと、
つい通り越してしまう可能性があります。
過剰に思い入れを与え過ぎたがために、
「A」という診断でよかったはずなのに、
「A´」まで突き抜けてしまう。
感情が先入観をどんどんドライブしてしまうんです。
顕微鏡を覗いて細胞をパッと見たときの第一印象で
「これだ!」となって気持ちが盛り上がると、
他が見えなくなるんです。
──
ああ、冷静でいられなくなる。
市原
これは診断の極意のひとつですが、
本当に冷静に診断をしたいなら、
ある細胞を見たときに「A」か「Aじゃない」か
という診断ではダメなんですよ。
「A」「B」「C」「D」という選択肢を
頭の中にイメージしながら、
「A」の確率が何%、「B」の確率が何%、
というように頭の中でボヤーっと
『マリオカート』で順位を争うように考えます。
先頭はいまこの辺かなってイメージして
レースをしてもらう感じです。
──
ということはレースの途中で
順位が入れ替わることもありますよね。
市原
診断をしている最中に、
自分の熱意が『マリオカート』の先頭にいる
マリオだけに着目してしまうと、
後から追っかけてきている他の者に
気づけなくなってしまいます。
そういったことはすごく陥りがちなので、
「これかな?」と思ったときには、
顕微鏡から一瞬すっと離れて、
周りに目をやることがとても大事なんですよ。
──
あ、自然と「おちつけ」が目に入ってくる。
市原
そうなんです。
今、「おちつけ」の掛け軸が
ぼくの後ろに貼ってありますけれど、
画面に写ってない場所には、
漫画家の末次由紀先生の描いたポスターや
幡野広志さんの写真が貼ってあります。
ぼくが顕微鏡から目を離して、
「本当にこれでいいのかな?」と思った先に、
自分をおちつかせるものがあるんですよ。
自分の目がそこに向かうことが
わかった上で配置していますから、
一旦おちついて、自分を高みからパッと見る。
今のレース展開はこういう状態だよと
リセットする時間が、診断ではとても大事です。
これがぼくにとってのおちつく効用ですかね。
じぶんで勝手にノリノリで決めてしまわないように。
──
病理医の先生が診断をされているときは、
みなさんヒートアップするものですか?
市原
しますね。しなければ嘘じゃないですかね。
でも、ハイになりすぎないように。
冷静すぎてもうまくいかないと思いますが、
この診断でこの患者さんの人生が、
この先どう対処していくかが決まるんです。
──
その診断が、人生にも影響しますよね。
市原
「人生が決まる」というところまで
おこがましいことは言えませんが、
ぼくの診断によって患者と周りの医療者が、
二人三脚、三人四脚、
あるいは十人十一脚ぐらいで走りはじめます。
ぼくはそのスタートの号砲を、
バーンッと鳴らすような役割なんです。
そこから皆が頑張って人生を変えていきます。
──
つまり病理医の先生は
医療のスターターなんですね。
市原
おっしゃるとおりです。
医療の最初の部分を担当するときに、
病理医があまりにサイエンスサイエンスしていると、
正直、持たないんじゃないでしょうか。
その後の想像ができていないと診断も弱いです。
想像力が足りないと、本当に欲しているところまで
辿り着けなかったりするので、
人としてちゃんと熱くならなければなりません。
熱くなることのメリットはあるのですが、
段々とデメリットに変わっていくタイミングで
スッとおちつかなきゃいけないんですよ、うん。
(つづきます)
2021-02-19-FRI
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