『太陽の塔』は、大衆に太郎の思想を届けるメディアです。
メッセージは多層的で、大きく二つのレイヤーがある。
最初のレイヤーは
「万博の価値観なんか信じるな!」です。
万博は19世紀半ばに欧米ではじまりました。
産業革命が実を結び、
西欧列強が工業化を競いはじめた時代です。
ジャンルとしては新技術や新製品をアピールする
産業見本市だけど、
想定する観客はあくまで一般大衆で、
あえてB to Bにしなかった。
彼らの啓蒙がミッションの柱だったからです。
当時は農村社会で、農民たちは
中世のメンタリティをひきずっていました。
工業社会に転換するためには、
彼らの意識改革が必要だった。
まずは技術や産業の進歩を願う気分です。
万博は、それを大衆に植えつける啓蒙装置で、
いわば「国家によるプロモーション」なんですね。
万博は、大衆に近未来を疑似体験させて、
「こんなに便利で、豊かな未来が待っている」
と訴えます。
「産業技術が進歩すれば、
人は幸せに、社会は豊かになる」
というコンセプトを植えつけるためです。
これが万博の思想です。
モダニズムですね。
21世紀のいまも、まったく変わっていません。
でも、太郎はそんなこと、これっぽっちも考えていない。
だから『太陽の塔』なんですよ。
万博会場がキラキラ・ピカピカしたものであふれ、
技術礼賛、進歩主義一色に染まることがわかっていたから、
あえて真逆の精神を体現する異物を
会場のド真ん中に投げ入れたんです。
万博思想の体現者である大屋根に穴を開けてね。
「未来都市」と言われた万博会場にあって、
ひとりだけ太古からそこに居たような風情で
ヌッと立っている。
あの〝土偶のお化け〟みたいな風体は、
どうみても「進歩」や「発展」とは正反対でしょう?
あの感覚、あの造形はあきらかに
「進歩は善であり、正義である」
という考え方に対するアンチですよね。
それをメインゲートの真正面にもってきた。
入口で、いきなりカマそうとしたわけです(笑)。
それだけじゃありません。
『太陽の塔』の地下に、壮大なテーマ館を作りました。
テーマ展示は<いのち>からはじまるんだけど、
ここでは「DNA」とか「タンパク質」とか、
血の中の話をしています。
そして多彩な生命誕生のシーンへ。
要するに、
「自分の血に刻まれているものはなにか」
を問うところから、 話をはじめているわけですね。
次のゾーン<ひと>では、
旧石器時代の闘争のドラマを描いています。
空間全体を使ったインスタレーションで、
オペラの一場面みたいになってる。
「狩猟民族だったころ、われわれは
自然を畏(おそ)れながらも、
自然と溶け合い、誇らかに生きていた」
そういうメッセージだと思います。
つづく<いのり>は、
世界から集めた仮面と神像が中空に浮かんで
観客を包み込む呪術的な空間です。
神や精霊など、ひとの精神に働きかける
目に見えないものがテーマでした。
そこからいよいよ
『太陽の塔』の胎内に入ります。
中心は高さ45mの「生命の樹」。
一本の樹に、生物の進化の過程を表す
292体のいきものが、
びっしり張りついているという
巨大なオブジェです。
一番下に単細胞生物がいて、一番上が人間。
でも、アメーバは下等で、人間が一番上等だ
なんてことを言ってるわけじゃありません。
逆です。
「人間もアメーバも同じだ。足元をみてみろ。
根っこは同じ、根源はひとつ。
人間が偉いなんて思うな」
おそらくそれがメッセージでしょう。
じっさい太郎は、
「一番大切で、見てもらいたいのは単細胞だ」
と言ってます。
これが太郎が作ったテーマ館です。
テーマプロデューサーとしての太郎の仕事は、
大阪万博のテーマ「人類の進歩と調和」を
わかりやすく解説することだったはずなのにね(笑)。
『太陽の塔』も、テーマ展示の一部です。
だからテーマ展示と『太陽の塔』は
セットで考えないといけない。
全体を通して、ひとつの物語を紡ごうとした
わけですからね。
それが二つ目のレイヤーです。
「縄文の精神を呼び起こせ!」。
それが中核のメッセージだったと
ぼくは考えています。
「お前の血の中に眠っている
狩猟民族の誇りを思い出せ!
根源的な情熱を取り戻せ!」
ってね。
万博には160年の歴史があるけれど、
こんな展示は後にも先にもこれだけです。
なにしろ万博の務めは、近未来をよきものとして
プレゼンテーションすることですから。
『太陽の塔』もテーマ館も、あきらかに
〝万博史の異物〟です。
『太陽の塔』はメインゲートの前に立ちはだかるし、
テーマ展示もぜんぜん
「人類の進歩と調和」の説明になってない。
これ、いわば万博に対する
反逆みたいなものですよね。
(つづきます)