新生活に捧ぐ「おちつけ」のことば。石川九楊さんインタビュー

「おちつけ」。
たった四文字で冷静さを取り戻せる、
力強くも穏やかさのあることばです。
糸井重里が大切にしている「おちつけ」の思想を
見事な書で表現してくださった石川九楊さん。
ほぼ日手帳2020 springで、
手帳カバーとweeksの2種類が2月1日より仲間入り。
「おちつけ」のことばと暮らす新生活のはじまりに、
書家の石川九楊さんが若者に語りかけます。
急がないこと。居直ること。自分を取り戻すこと。
自分が主人公であること。そして、おちつけ。
訊き手は、ほぼ日の平野です。

1「おちつけ」と「居直れ」。

ーー
「おちつけ」のほぼ日手帳が登場します。
ここまでメッセージが前面に出たデザインは、
過去のほぼ日手帳カバーを見ても、
まったく初めてのことです。
石川
さあ、吉と出るか凶と出るか。
ーー
ぜひとも、吉が出てほしいですねえ。
ほぼ日の「おちつけ」グッズは
2018年の2月に誕生したものですが、
最初に掛け軸とピンバッジが出たときは、
ほぼ日ストアですぐに完売になってしまいました。
ほぼ日手帳の「おちつけ」、
完成品をご覧になっていかがでしょうか。
石川
ああ、デザインだけで見ていましたが、
仕上がりもいいんじゃないですか。
墨の色もきれいに出ていますし、
「おちつけ」の位置も堂々としている。
ちょっと高めにあるのがいいですね。
ーー
「おちつけ」と書かれたこの手帳、
こういうふうに使ってもらいたい、
と想像されることはありますか。
石川
まず、おちつくのは大事なことですよね。
本当に、みんな忙しすぎるんだから。
たとえば職場の机ですとか、
目に留まる場所に置いたらどうか。
掛け軸は場所を選ぶかもわかりませんが、
手帳なら、立て掛けておくだけで
軸の代わりにもなりますから。
ーー
ほぼ日手帳は持ち歩きやすいので、
「おちつけ」ということばも、
より身近な存在になれるかなと思います。
石川
ぼくの周りにも「おちつけ」グッズが
ほしかったっていう人はいっぱいいますよ。
発売した当初、出遅れたとか売り切れたとか、
ぼくに伝えてくる人がいましたね。
ーー
九楊さんの書を持ち歩ける、というグッズを
みなさん待ち望んでいたのでしょうか。
ここに、九楊さんに書いていただいた
「おちつけ」の現物もご用意しました。
石川
生「おちつけ」やね。
ーー
生「おちつけ」です、まさに(笑)。
時折、質問を受けることがあるのですが
「おちつけ」という字は真ん中ではなく、
すこしだけ右に寄せて書いていますよね。
「おちつけ」の書における位置関係は、
どのように意識されているのでしょうか。
石川
左側に余白を持たせていますよね。
縦書きは右から左へと進んでいきますから、
左を空けておくことで展開していくんです。
逆に、「おちつけ」の字を左に置けば、
展開を堰(せ)き止めることになりますよね。
「おちつけ」はあまりギシッと緊張させず、
少し緩めて、開かせているんです。
ーー
まずは一旦おちつかせて、
そこから展開させるものだと。
石川
「おちつけ」という意味を紐解けば、
しっかり言わなければいけないけれども、
あまりに強すぎるのはいけない。
ふにゃふにゃしすぎてもいかん。
まずは、「おちつけ」。
そこからまた次へと開いていくような
感じにしたいからすこし右に寄せてあるんです。
ーー
なるほど。
見た目の美しさ以上に、
意味があって寄せているものなんですね。
すみません、素人なもので。
石川
軸で「おちつけ」が真ん中にくると、
当然すぎて、それこそ野暮になってしまう。
ただ、この手帳のサイズで考えると、
真ん中に置くことで堂々たる感じになりますね。
高さも、下の方をすこし広くした分、
座りがよくなっているんですよ。
この手帳の余白について簡単に解説すると、
堂々と「おちつけ」と言っている配置です。
「何をバタバタしてるんだ。
せまい日本、そんなに急いでどこへ行く」
ということですね。
ーー
九楊さんご自身がおちつかない時、
つまり、感情的になってしまうことや
焦ってしまうこともあるのでしょうか。
石川
いい歳だから、最近はあまりないですけど、
おちつかないこともなくはないですね。
たとえば、締切に追われているとか。
ーー
連載も抱えていらっしゃいますもんね。
おちつかない時、どのように抑えますか。
石川
居直るだけですよ。
ーー
「居直る」ですか。
石川
居直る。
悪いことをしたなとは思いつつ、
慌てて騒いだところで仕方がないんです。
原稿の締切が間に合わなくても、
道路渋滞で待ち合わせに遅れるにしても、
心配と迷惑をかけるだろうから、
すみませんと素直に謝るけれど、
あとは居直るしかありません。
ーー
焦れば急げるものでもないですし。
居直るという境地に至ったのは、
いつ頃からでしょうか。
石川
やっぱり若い時はおちついていませんでした。
独立して仕事をはじめた頃なんか大変で、
そこで時計を捨てたんです。
ーー
時計、捨てちゃったんですか。
石川
時計を手から外すとね、
自分は馬鹿だったんだなと思いましたよ。
どうしてこんな時計、時間に操られて
生きていたんだろうかと。
1回やってみられたらいいですよ。
ーー
ぼくらの世代は、
スマートフォンに縛られている気はしますね。
石川
ならば、携帯を捨てるんです。
ーー
捨てる。
石川
スマートフォンがないと
仕事にならないでしょうから難しいでしょうけど。
ぼくの若い頃、30歳代の1年間は、
時計をなるだけ身につけないようにしました。
そうしたら、精神の在り方が見事に変わるんです。
ぼくは今もスマホを持たずに生活しています。
みなさんのようにスマホを持って生活していたら、
まったく違う精神性を生きていたと思います。
ーー
いつでもつながれる一方で、
つねに見張られているようなものでもあるし。
石川
そうそうそう。
ぼくは大学で講義を持っていますが、
講義中は携帯・パソコン禁止です。
すると、一部の学生が非常に喜ぶんですよ。
あの先生の講義中なら、
「既読」がつかなくてもいいから
責められないんだって(笑)。
いつでも誰とでもつながれる時代なんだけど、
非常に異様な部分もあるわけで。
仕事では必要不可欠なのでしょうけれど、
少なくとも休みの日、あるいはアフター5は、
もう捨ててしまおう、スマホ。
私生活ではもう使わないでいい。
そうすると生活の密度がちょっと高くなりますよ。
そこだけでもだいぶ、おちつくんじゃないですか。

(つづきます)