1「おちつけ」と「居直れ」。
- ーー
- 「おちつけ」のほぼ日手帳が登場します。
ここまでメッセージが前面に出たデザインは、
過去のほぼ日手帳カバーを見ても、
まったく初めてのことです。
- 石川
- さあ、吉と出るか凶と出るか。
- ーー
- ぜひとも、吉が出てほしいですねえ。
ほぼ日の「おちつけ」グッズは
2018年の2月に誕生したものですが、
最初に掛け軸とピンバッジが出たときは、
ほぼ日ストアですぐに完売になってしまいました。
ほぼ日手帳の「おちつけ」、
完成品をご覧になっていかがでしょうか。
- 石川
- ああ、デザインだけで見ていましたが、
仕上がりもいいんじゃないですか。
墨の色もきれいに出ていますし、
「おちつけ」の位置も堂々としている。
ちょっと高めにあるのがいいですね。
- ーー
- 「おちつけ」と書かれたこの手帳、
こういうふうに使ってもらいたい、
と想像されることはありますか。
- 石川
- まず、おちつくのは大事なことですよね。
本当に、みんな忙しすぎるんだから。
たとえば職場の机ですとか、
目に留まる場所に置いたらどうか。
掛け軸は場所を選ぶかもわかりませんが、
手帳なら、立て掛けておくだけで
軸の代わりにもなりますから。
- ーー
- ほぼ日手帳は持ち歩きやすいので、
「おちつけ」ということばも、
より身近な存在になれるかなと思います。
- 石川
- ぼくの周りにも「おちつけ」グッズが
ほしかったっていう人はいっぱいいますよ。
発売した当初、出遅れたとか売り切れたとか、
ぼくに伝えてくる人がいましたね。
- ーー
- 九楊さんの書を持ち歩ける、というグッズを
みなさん待ち望んでいたのでしょうか。
ここに、九楊さんに書いていただいた
「おちつけ」の現物もご用意しました。
- 石川
- 生「おちつけ」やね。
- ーー
- 生「おちつけ」です、まさに(笑)。
時折、質問を受けることがあるのですが
「おちつけ」という字は真ん中ではなく、
すこしだけ右に寄せて書いていますよね。
「おちつけ」の書における位置関係は、
どのように意識されているのでしょうか。
- 石川
- 左側に余白を持たせていますよね。
縦書きは右から左へと進んでいきますから、
左を空けておくことで展開していくんです。
逆に、「おちつけ」の字を左に置けば、
展開を堰(せ)き止めることになりますよね。
「おちつけ」はあまりギシッと緊張させず、
少し緩めて、開かせているんです。
- ーー
- まずは一旦おちつかせて、
そこから展開させるものだと。
- 石川
- 「おちつけ」という意味を紐解けば、
しっかり言わなければいけないけれども、
あまりに強すぎるのはいけない。
ふにゃふにゃしすぎてもいかん。
まずは、「おちつけ」。
そこからまた次へと開いていくような
感じにしたいからすこし右に寄せてあるんです。
- ーー
- なるほど。
見た目の美しさ以上に、
意味があって寄せているものなんですね。
すみません、素人なもので。
- 石川
- 軸で「おちつけ」が真ん中にくると、
当然すぎて、それこそ野暮になってしまう。
ただ、この手帳のサイズで考えると、
真ん中に置くことで堂々たる感じになりますね。
高さも、下の方をすこし広くした分、
座りがよくなっているんですよ。
この手帳の余白について簡単に解説すると、
堂々と「おちつけ」と言っている配置です。
「何をバタバタしてるんだ。
せまい日本、そんなに急いでどこへ行く」
ということですね。
- ーー
- 九楊さんご自身がおちつかない時、
つまり、感情的になってしまうことや
焦ってしまうこともあるのでしょうか。
- 石川
- いい歳だから、最近はあまりないですけど、
おちつかないこともなくはないですね。
たとえば、締切に追われているとか。
- ーー
- 連載も抱えていらっしゃいますもんね。
おちつかない時、どのように抑えますか。
- 石川
- 居直るだけですよ。
- ーー
- 「居直る」ですか。
- 石川
- 居直る。
悪いことをしたなとは思いつつ、
慌てて騒いだところで仕方がないんです。
原稿の締切が間に合わなくても、
道路渋滞で待ち合わせに遅れるにしても、
心配と迷惑をかけるだろうから、
すみませんと素直に謝るけれど、
あとは居直るしかありません。
- ーー
- 焦れば急げるものでもないですし。
居直るという境地に至ったのは、
いつ頃からでしょうか。
- 石川
- やっぱり若い時はおちついていませんでした。
独立して仕事をはじめた頃なんか大変で、
そこで時計を捨てたんです。
- ーー
- 時計、捨てちゃったんですか。
- 石川
- 時計を手から外すとね、
自分は馬鹿だったんだなと思いましたよ。
どうしてこんな時計、時間に操られて
生きていたんだろうかと。
1回やってみられたらいいですよ。
- ーー
- ぼくらの世代は、
スマートフォンに縛られている気はしますね。
- 石川
- ならば、携帯を捨てるんです。
- ーー
- 捨てる。
- 石川
- スマートフォンがないと
仕事にならないでしょうから難しいでしょうけど。
ぼくの若い頃、30歳代の1年間は、
時計をなるだけ身につけないようにしました。
そうしたら、精神の在り方が見事に変わるんです。
ぼくは今もスマホを持たずに生活しています。
みなさんのようにスマホを持って生活していたら、
まったく違う精神性を生きていたと思います。
- ーー
- いつでもつながれる一方で、
つねに見張られているようなものでもあるし。
- 石川
- そうそうそう。
ぼくは大学で講義を持っていますが、
講義中は携帯・パソコン禁止です。
すると、一部の学生が非常に喜ぶんですよ。
あの先生の講義中なら、
「既読」がつかなくてもいいから
責められないんだって(笑)。
いつでも誰とでもつながれる時代なんだけど、
非常に異様な部分もあるわけで。
仕事では必要不可欠なのでしょうけれど、
少なくとも休みの日、あるいはアフター5は、
もう捨ててしまおう、スマホ。
私生活ではもう使わないでいい。
そうすると生活の密度がちょっと高くなりますよ。
そこだけでもだいぶ、おちつくんじゃないですか。
(つづきます)