新生活に捧ぐ「おちつけ」のことば。石川九楊さんインタビュー

「おちつけ」。
たった四文字で冷静さを取り戻せる、
力強くも穏やかさのあることばです。
糸井重里が大切にしている「おちつけ」の思想を
見事な書で表現してくださった石川九楊さん。
ほぼ日手帳2020 springで、
手帳カバーとweeksの2種類が2月1日より仲間入り。
「おちつけ」のことばと暮らす新生活のはじまりに、
書家の石川九楊さんが若者に語りかけます。
急がないこと。居直ること。自分を取り戻すこと。
自分が主人公であること。そして、おちつけ。
訊き手は、ほぼ日の平野です。

2書けば、思考が流れ出る。

ーー
「おちつけ」のほぼ日手帳は4月はじまりです。
春から新生活がはじまる方は
期待と不安が入り混じっていると思うので、
「おちつけ」ということばは、
ぴったりなメッセージだと思うんです。
縛られずに過ごしなさい、
というお話は身が引き締まる思いです。
石川
ぼくは、なるべく予定を入れないんです。
みんな、すぐに予定を入れてくるでしょう?
ぼくの記憶だと1990年代ぐらいかな、
バブルが終わった頃から
若い人たちが手帳を持つようになった。
そして予定をどんどん入れるようになったんです。
ぼくも、ほぼ日手帳を愛用させてもらってますけど、
全然使ってはいないです。
ーー
「愛用しているけれど、使っていない」
というのは、どういうことでしょう。
もしよろしければ、
手帳の中を見せていただけませんか。
石川
使っているのは、ほぼ1ヶ所だけ。
「こんなので先生、よくわかりますね」
とまわりからは言われます。
ーー
うわあ、年間カレンダーにびっしり!
スケジュールはすべて、
ここで管理されているんですか。
石川
忘備録。
まずは、展覧会の日程ですね。
大学へ行く日、稽古に行く日、講演に行く日、
予定なんてこれだけなんですよ。
あとはすこしだけ貼り込んだりもするけれど、
手帳のほとんどは空白なんです。
スペースが広いから便利に使ってますが、
一番はカレンダー、ここが命。
ーー
展覧会みたいに数ヶ月間をかけて取り組む予定は、
一覧になっているとわかりやすいですね。
石川
そう、一見できてね。
他の人が見たときに、
これでわかるのかと訊かれますが、
あんまりわからんのです。
ーー
あ、わからないですか(笑)。
石川
自分でも何だったかなと思うんだけど、
一応何かがあるということはわかる。
ーー
今日も「ほぼ日」と書いてくださって。
石川
「ほぼ日」って書いてあるね。
ほとんど使っていないけれど、
革のカバーは気に入っているし、
重さもちょうどいいし。
カバーにポケットが多いから、
持ち歩きたいものを入れておけます。
ーー
手帳という機能に縛られることなく、
自由に使っていただき、ありがとうございます。
ほぼ日手帳は使い方が決まっていないので、
これからもぜひ、
使いやすいように使ってください。
普段の文字や原稿を書かれる時には、
どんな文房具を使っていますか。
石川
普段使うのは鉛筆、シャープペンと、ボールペン。
これ(三菱鉛筆/シグノ太字 1.0)で
原稿を書きますが、これが非常に書きやすい。
「宛名書き用」と書いてあって、
インクがどんどん出てくるわけです。
引っ掛かりが少ないおかげで、
思考がすっと流れ出てきます。
油性のボールペンはちょっと粘りますし、
ある程度の圧をかけないといけない。
インクがすらすらと流れ出てきますから、
原稿を書くのに非常に向いているわけです。
ーー
シグノの宛名書き用のペン。
真似したい人がいると思います。
石川
これはいいですよ。
河東碧梧桐の連載はこのペンで書きました。
第1回目は今まで通り2Bの鉛筆でしたが、
ちょっと引っ掛かりが強いのが気になった。
ーー
九楊さんが糸井と対談をされた時に、
「このペンが好きだな」というところから
書ははじまっているというお話が印象的だったんです。
ゲルインキのボールペンに辿り着くまでにも、
いろいろ試されてきたのでしょうか。
石川
書いていると具合が悪く感じることがあって、
なんとかならないかと考えるわけです。
何かの機会でいいペンを知り、試します。
専用の原稿用紙は三菱製紙のハイグレード書籍用紙。
滑りのいい紙に書いているんですけど、
2Bの鉛筆がどうも滑りが悪く感じたんです。
毎月の連載で原稿用紙40枚ぐらいとなると、
引っ掛かりが気になって仕方がない。
このゲルインキのペンは、
案内状の宛名書きに使っていたんですが、
コート紙なんかにもすっとインクが乗りますから。
油性のボールペンだと紙に埋まってしまうし、
万年筆だとインクが流れてしまう。
このペンは定着率がちょうどよかった。
原稿を書き出したら、非常に都合がよくて、
おかげで河東碧梧桐が書けました。
このペンなんて、安いもんですよ。
ただね、唯一の欠点があって、
インクがあっという間になくなってしまう。
替芯を3ケースぐらい買って、いつも置いてます。
ーー
一方で、筆を持って書に向かう時には、
どのような心持ちで
向き合っていらっしゃるのでしょうか。
石川
書は、間違えられないんです。
原稿なら、間違えたら塗り潰せばいい。
原稿の場合は、最初はともかく
頭の中にある考えを早く出すようにします。
もちろんセレクトしながらですけども、
未成熟でもいいからそのまま出す。
校正でもう少し深めればいいんです。
ところが、書は一発勝負。
緊張度がまるで違いますよね。
一点、一画がすべてなので、
やり変えるということはできません。
ーー
自分が書いている作品がいいものか、
あるいは反故にすべきものか、
その見極めはどこでされているのでしょうか。
石川
最初に筆を下ろした時、
あるいは一画、二画ぐらい書けば大体わかります。
ダメな時は、その時点でわかってしまう。
だって、そこから展開していって
作品ができてくるわけですから。
最初のひと書きが、ちょっとでも違っていたら、
自分の考えとの間にずれがあるということ。
やっぱりうまく展開していかないですね。
最初のところでうまく書けていれば、
途中でちょっとした齟齬があっても、
そのミスは吸収できるわけです。
書は人生みたいなものだから、
多少の間違いは、あとから取り戻せます。
だけど最初から失敗していたら、
そのまま書き進めてもまずいですよね。
ーー
その緊張感というものは、
表現にとってプラスに働いてくれるものですか。
石川
その緊張感が快感にならない人に、
書はできないですね。
ーー
経験とともに緊張は強くなるものですか。
あるいは、慣れていくものでしょうか。
石川
緊張感は習慣によって変わってきます。
ぼくの場合、集中の度合いなんかも
若い頃と比べたら、今は全然違う。
若い頃の書がいかにアバウトだったか。
要するに、集中している時というのは
何も聞こえなくなるわけです。
周囲の音は、自分の中で勝手に処理されるから、
聞こえているけれど、聞こえていない。
この間、名古屋の古川美術館というところで
公開制作というものをやったんです。
1日2時間ずつで3日間、
そこに残業の4時間で合計10時間ほどの
時間をかけて書きました。
集中は、今でも2時間はもちます。
その時は、この世のものでもないような、
結構いい顔をしていたんじゃないですかね。
ーー
この世のものでもない集中力。
ぜひ一度、拝見してみたいです。

(つづきます)