新生活に捧ぐ「おちつけ」のことば。石川九楊さんインタビュー

「おちつけ」。
たった四文字で冷静さを取り戻せる、
力強くも穏やかさのあることばです。
糸井重里が大切にしている「おちつけ」の思想を
見事な書で表現してくださった石川九楊さん。
ほぼ日手帳2020 springで、
手帳カバーとweeksの2種類が2月1日より仲間入り。
「おちつけ」のことばと暮らす新生活のはじまりに、
書家の石川九楊さんが若者に語りかけます。
急がないこと。居直ること。自分を取り戻すこと。
自分が主人公であること。そして、おちつけ。
訊き手は、ほぼ日の平野です。

3若者は、絶望からはじめよ。

ーー
九楊さんに「おちつけ」を
書いていただいたおかげで、
いろんなグッズが生まれました。
掛け軸、ピンバッジ、キーホルダー、マグカップ、
そして、ほぼ日手帳が仲間入りです。
これまでやり取りを重ねてきた中で、
グッズにできるものとNGなものが
はっきりしていた印象がありました。
石川
「おちつけ」でグッズにできるかどうかは、
ぼくではなく、女房が決めていたんです。
要するに、粗末に使われたり、
捨てられたりすることが前提のものはダメ。
大事にされることが、女房の基準でしたね。
手帳だとか日記だとかいうものは
非常に大事なものです。
ぼくも手帳はほぼ日手帳に限らず、
どんな手帳でも捨てることなく残しています。
ーー
九楊さんにとっての手帳も、
大事なものだったんですね。
石川
手帳には、日記の要素があります。
東アジアにおける手帳というものは、
日記でもあって、大事にされてきたものなんです。
西洋の文学においては、
日記や手紙は文学ジャンルに入りません。
ところが東アジアでは、
森鴎外でも夏目漱石でも誰でも、
全集には日記と手紙の書簡編、両方があるでしょう?
東アジアでは、漢字の誕生とともにある日記と
書の誕生とともにある書簡とは、
最も大事な文学のジャンルです。
しかもほぼ日手帳には、
毎日、言葉が書かれていますよね。
ぼくはこれを読むのが好きでね。
ーー
ほぼ日手帳の「日々の言葉」を
たのしみにしていただけているんですね。
ありがとうございます。
そういえば、九楊さんと糸井の対談は、
「日々の言葉」を選ぶ時にも
つい載せたくなると言われたことがあります。

ほぼ日手帳2019の「日々の言葉」

石川
そうですか。
現代文の試験にもよく出ますので(笑)。
ーー
なるほど(笑)。
九楊さんがいま「おちつけ」と
言ってあげたいような人っていますか。
石川
「みんな、なんでそんなに急ぐのよ」
とは思っています。
ぼくらが教わったことばで言うとね、
「慌てる乞食はもらいが少ない」と。
みんな、パッ、パッて、早いもんです。
ビジネスやってる人は、すぐに決めてしまう。
1回受けとめて、少し考えてから返事せえよ。
ーー
忙しすぎるのでしょうか。
石川
ことばじゃなく、ほとんど反応で決めてしまう。
条件反射みたいな段階に入ってきているのかな。
だから1回、スマホを捨てなさい。
少なくとも生活の場面では捨ててみて、
ゆったりとした、自由な、無限とも思えるような
時間の流れがあることを知った方がいい。
その方が人間らしい生活であると
気づくかもしれないから。
あと、若い人たちを見ていて思うのが、
みんな、ハウツーばかりを知りたがる。
ーー
ハウツーですか。
石川
大学で先生方から話を聞いているとね、
みんな、ハウツーの対応なんですよ。
「こういうケースではこうしましょう」
という答えを、みんなで学んでいるんですよ。
そうじゃないだろう。
大事なことは、もうひとつ下にあるんです。
何のためにそれをやっていて、
何が大事かということがわかれば、
どうすべきか、問題に対する違う答えだって
いくらでも見つかるでしょうよ。
ところが若い人たちはみんな、
こういう時にはこう、こういう時にはこうって、
一つひとつ、ケースバイケースで
答えをほしがるんですよ。
テレビのコメンテーターとかいう人たちも、
ケースに応じてしか答えていない。
どこに問題があるか、
どこを直さなければいけないか、
根本的なところまで降りていかないで
答えてしまうんです。
ことばをもっとちゃんと自分の胸にしまって、
受け止めてはどうか。
ーー
なにか問題にぶつかった時、
すぐに答えを出そうとしてしまうんですね。
石川
休みの日もスマホで場所を探しながら、
目的地まで行って遊んで帰るだけじゃつまらない。
もうちょっとのんびり、
今日はどこへ行こうかなと考えるぐらいの
時間の流れを取り戻さないと、貧しくなります。
人間が生きるというのはどういうことか、
正面から向き合ってみたらどうでしょうか。
結婚するというのはどういうことなのか。
恋愛するというのはどういうことなのか。
家庭というものはどう考えるべきなのか。
子供を育てるとはどういうことなのか。
人間と人間が面と向かってどう生きるかを、
豊かに考えて、いっぱい考えて、
そして悔いのない生活をしましょうよ。
そこをベースに新しい技術が
できてこなきゃならないのに、
スマホが生活の中に無理矢理入ってきてしまうから、
生活がこんなにも歪められているんです。
歪められたものが正常な生活の姿だと思ってしまう。
ーー
自問自答が足りていないわけですね。
ぼくたちは今、
不自然な姿で暮らしているのでしょうか。
石川
はい、かなり不自然ですよ。
だから、もうちょっと自分を取り戻そう。
自分が主(ぬし)として、この世界に産み落とされて、
生まれ育ってきたわけですから。
自分自身が主人公としてどう生きていくのか、
というところから考えていくんですよ。
そういうものを取り返していかないと、
生涯、スマホからの指令に操られて、
歪められた世界でアタフタしているうちに、
知らない間に消えていくことになっちゃう。
だから「おちつけ」。
ーー
「おちつけ」。
石川
おちつくとは、自分を取り戻せということです。
ある意味では、居直るということです。
自分としては精一杯、ここまでやった。
これが自分のすべてだ、
という全力をみんなが出せるなら、
そういう社会はおもしろいじゃないですか。
ーー
おもしろくなりますね。
石川
そのためにも、自分を取り戻さないと。
人間というのは自分が生きていき、家族を作り、
さらにまた次の世代が生きていくために
仕事をしているわけです。
仕事をするためだとか、
経済的な成果を上げるために
生きているわけじゃないわけですよ。
とにかく生きればいいんです。
それぞれの人が、ちゃんと生きられればいい。
それが一番いい社会であって、
スマートフォンで繋がるとか繋がらないとか、
外国に行くとか行かないとか、
そういうところじゃないだろうと。
ーー
まずは、自分が生きることですね。
石川
自分を主としないといかん。
自分に自信を持って、自分を頼りにして、
自分が責任を持つんです。
そのためには要するに、
1回、絶望せないかんね。
ーー
えっ、絶望ですか。
石川
それはそうですよ。
ぼくらが大学の時、最初に出会ったのは絶望ですよ。
本当の意味での絶望です。
ーー
何への絶望でしょうか。
石川
生きることへの絶望、何もない、
何事でもないということです。
今の若い人も、いろんな問題に遭遇した時に、
何のために生きているんだろうかと
思い詰めることがあると思いますけど、
絶望が生きることの前提だということを知るべきです。
絶望が絶対的な出発点であるから、
あとは全部、儲けものなんですよ。
絶望の中での悲しみを抱きながら生きていくと、
一つひとつが有り難い、希有のことになります。
若い人というのは、1回絶望しないといかん。
絶望からしか始まらないんですよ。
絶望から出発すれば、あとはみんなプラスです。
ーー
絶望からが、スタート。
石川
最近は、就職活動中の学生さんも
みんなで同じようなリクルートスーツを着るのが
ルールみたいになっていて、
まるで横並びみたいじゃないですか。
そうじゃなしに、自分がこうやりたいからやる。
私はそんなことやりたくない、
と言える社会にしないといけませんよね。
それぞれが、それぞれの考え方を持つ。
他人と比較した差異じゃなくて、
自分の考え方、生き方を練り上げていく。
そういう人たちが集まったら、もっとたのしいです。
ーー
「おちつけ」の話をきっかけに、
生きるというところまでお話を伺えました。
この春から新生活を控えている方の
背中を押すメッセージとして伝われば嬉しいです。
どうもありがとうございました。
石川
いやいや、どうも。
つい、お爺さんからのことばになってしまいました。
ありがとうございます。

(おわります)