高知、仁淀川の源流域でつくりました。tretreトレトレの摘み草つみくさブレンドティー。

日本一のハーブティーをつくりたい。

高知、日本一の清流と言われる仁淀川の源流域。
勾配のつよい、山あいの土地で、
むかしから飲まれてきたお茶がありました。
もともとこの土地は、日本茶の名産地‥‥なのですが、
いまは仕事としてお茶農家をつづけているひとは減り、
それでもここに暮らす人びとは、
じぶんや家族のためにたいせつに育てた
おいしいお茶を飲み続けています。

この土地は気候条件がとてもよく、
交通量の多い幹線道路からも離れているので、
空気がとてもおいしいところ。
いわゆる緑茶の葉っぱからつくる
「煎茶」や「釜炒り茶」がポピュラーですが、
そのほかにも「摘み草」、
つまりいろんな山野草を採って、
それを乾燥させて飲む習慣がありました。
きっと「からだにいい、おくすり」のような意味も、
むかしの暮らしのなかにはあったのでしょうが、
いまでは「たのしみ」として飲まれることが多いようです。

いわば、ニッポンのハーブティーです。

そういうものは、いなか道をゆくと「道の駅」などで
「だれそれさんがつくったお茶」として
売られていたりもするのですが、
なかなか手に入るものでもありません。
なにしろ「じぶんたちのためにつくるお茶」ですから。

この摘み草のお茶のおいしさに感動した
仁淀に暮らす若い夫婦が、
じぶんたちで会社を興し、商品化したのが
「tretreの摘み草ブレンドティー」です。

「ほぼ日」がこのお茶の存在を知ったのは、
伊賀の土楽の福森道歩さんを通じてでした。
食通の道歩さんが「おいしいお茶がある」と
すすめてくださったのです。
そしてそれは、たしかにおいしいものでした。
ティーバッグになっているブレンドティーは、
マグカップに入れて熱湯をそそいで少し待つと、
空気のいいところで深呼吸をしているような
とてもすがすがしい香りがしました。
口にふくむと、こころがおちつくような、
でもとっても元気になりそうな、そんな味でした。
いろんな摘み草で、いろんなバリエーションのお茶を
季節ごとにつくっていると聞き、
これはぜんぶためしてみたい!
と思ったほどでした。

ところで、なぜ道歩さんがこのお茶を知ったかというと、
‥‥話はちょっとだけさかのぼります。

tretreを主宰するご主人の名前は
竹内太郎さんといいます。

竹内さんはもともと京都で
麺料理屋の仕事をしていたひとで、
土楽に竹内さんが土鍋を使いたいのだけれどと
相談に行ったことから、
道歩さんといっしょに商品開発をする仲間になりました。
(やがて、一緒に落語を聞きに行くような
遊び仲間にもなりました。)

仕事柄「いい食材」に詳しかった竹内さんですが、
約3年前、京都を離れ、故郷の高知への移住を決意します。
「山の暮らしの中から生まれる商品で会社を興したい」
と思ったのが理由だそうです。
実感のある暮らしのなかから商品を生み出したい、
そのためには都会と真反対の場所に行きたい、
だったら出身地の高知がいいのでは? と。
美しい海、山、川がある高知は、
ゆたかな食生活を送ることができるという
幸福があるということも知っていました。

高知ではどちらかというと町の子だった竹内さんですが、
京都時代に参加していた
デザイナー・梅原真さん主宰の「84会議」で
知りあった仲間が仁淀にいました。
その人びとと環境にすっかりほれ込んでいたのが理由で、
この山奥に移ることを決意しました。
べつの料亭で仕事をしていた奥さんは京都のひとですが、
ふたりでお休みの日には大原などの
自然の多いところを散策するのが趣味だったので、
「うんといなか」である
仁淀への移住も快諾してくれたのだそうです。

町役場の方たちの助けで、
家探しや引っ越しはうまくいきましたが、
40歳をすぎていたというのに、
「さて、なにをしよう? どんな仕事で生きていこうか?」
ということを決めずに移住したので
(その話を聞いたときは、びっくりしました!)
1年ほど、自然のなかで考え続けたそうです。

そこで最初の話に戻ります。
この空気のいい山あいの土地では
とてもおいしいお茶が飲まれていて、
それは、あまり、知られていないということに、
竹内さんは気づきました。

竹内さんたちは、近隣の、
もう仕事はリタイアしているけれど、
ちゃんとじぶんたちで野菜をつくりお茶をつくり、
ゆたかに暮らしているひとたちのところを
訪ねてまわりました。
土地のみなさんは(とくに年齢が上のみなさんは)
「こんな若い夫婦が越してきて大丈夫か」と心配しながら、
摘み草のお茶や、山茶のことを教えてくれました。
なかには自宅の庭や農園で山野草を育てているひともいて、
「ブレンドティーをつくりたい」
と考える竹内さんのことを
応援してくれるまでになったのです。

竹内さんにも考えがありました。
摘み草をあつめることを、ちゃんとした仕事として
この土地のみなさんに還元したいということです。
そのためにはきちんと
「ビジネス」を成功させねばなりません。
このあたりが京都の料理業界で鍛えられたところで、
竹内さんはあらゆる摘み草をあつめ、
それを標高や日当たりなど環境でひもづけし分類、
お茶にしたときの味を分析し記録、
さらに、0.1グラム単位でブレンドして、
「ブレンドティー」としてちゃんとおいしいものを
つくる努力をつづけました。
じぶんで農園もつくり、
山野草のいい株をわけてもらったら
そこで増やしながらまた摘んで、
品質の安定をはかりました。
努力の甲斐あって、
「おいしい」と思えるブレンドティーができていきました。

2016-10-25-TUE