うちは、明治の初めには酒屋を営んでいて、
祖母の時代には漬物屋さんもやっていていました。
もっと昔は、江戸時代創業のお酢屋さんでした。
なので屋号が「酢屋忠」です。
今は酒屋として販売をしていますが、
もういちど物づくりを始めたいという思いは
ずっともっていました。
日野祭りには子どものころから参加していました。
僕が高校生のときに父が亡くなったので、
お囃子は近所のお兄ちゃん、おじさんに教わりました。
自分はお祭りで父親とそこまで絡まなかったんですけど、
父親が亡くなってから近所の人に、
僕と同じくらいの歳のときに父ちゃんは〇〇やってたで、
みたいな話を聞くようになって、
亡くなってからも父の話を聞けるのはすごいなって。
祭りがあることで、お互いに見守る関係ができてます。
その祭りは人手不足などの問題を抱えていて、
祭りを未来に継承したいという強い思いがあります。
現在はヒノブルーイングの経営のほかに、
酒屋とコンビニエンスストアを経営して
店頭にも立っています。
ヒロアキのことは、お祭りで会うし、
酒屋を頑張る人としてずっと知っていました。
でも友達ではなかった。で、トムさんが日野町に来て、
トムさんの家でみんなで集まったときに、
ヒロと友達になったんです。
ヒロアキは基本的におとなしい人なんですけど、
お祭りのときは、熱いし、おかしな別人格になる。
それを見ていて、かっこいいな〜って思ってました。
ヒロアキの商売の仕方は、三方よしで、
みなさんがハッピーになる形にするんですよ。
ショーンと僕にとってそれがすごく心地よくて、
お金も大事だけど、それだけではなくて、
みんなが楽しくやっていれば、
なんとかなるだろうというマインドです。
ヒロアキは「歩く三方よし」なんですよ。