Mistletoe株式会社の孫泰蔵さんと、
糸井重里が対談をしました。
きっかけは孫さんがSNSで、糸井が尊敬する
岩井克人さんについて語っていたこと。
しかも孫さんの会社
「Mistletoe(ミスルトウ)」があるのは、
ほぼ日の事務所と同じビル。
そんな縁もあって、4月のある日、
ふたつの会社のメンバーが観客となった、
とくべつな公開対談がおこなわれました。
対談後、みんなが口々に
「おもしろかった!」と言い合った、
その日のトークをご紹介します。
- 孫
- やっぱりなんていうんですか。
僕の兄(孫正義氏)がね、ああいう方なので。
- 糸井
- ああいう方(笑)。
- 孫
- 良くも悪くもいろいろと影響を
受けているんです。
15歳離れてるので、一緒に暮らしたとかは
あまりないんですけど、
近いながら非常に客観的に
見ているようなところがありますね。
そして「すごいな」も「わけわからんな」も
両方あるんです。
- 糸井
- うんうん。
- 孫
- で、その兄に対して「どうしてもわからんな」と
思う部分があるわけです。
どこかというと
「ビジネスはゲームだ」というような
考え方のところで。
- 糸井
- はい。
- 孫
- 良くも悪くも言えるんですけどね。
良いほうとしては
「結局ゲームなんだから、
みんなでおもしろく楽しくやればいいじゃないか」
ということですね。
けれども逆に、ちょっとマネーゲームっぽく
見えてしまうところもあって。
そして僕はそっちの部分について、どうしても
「うーん」と思うところがあるんです。
- 糸井
- あぁー。
- 孫
- そこから自分が「うーん」と感じることについて
「どうしてモヤモヤするのかな?」
と考えるようになりました。
そしていろいろな本を読むうちに、
いわゆる私たちの普段の時間感覚を超えて
生きている方々の生きざまに
惹かれていったと言いますか。
- 糸井
- それは、自分が経営をはじめてからのことですか?
- 孫
- だと思います。
- 糸井
- 孫さんはお若い時から経営者でもありますよね。
- 孫
- そうですね。
いちおう23歳で会社を作りましたので。
- 糸井
- それ、すごいと思うんですよ。
- 孫
- いえいえ、そんな。
- 糸井
- いまさら言われてもという感じだと思うんですが、
自分が23歳くらいの頃を思うと
「自分が自由になりたい」ということばかり
考えていた気がするんです。
目的とか、目標達成のために自分を
コントロールしなきゃいけない状況から、
とにかく逃げたいとばかり思っていた。
だからその年齢で起業している人たちを見ると
「どうしてそんなめんどうなことを
早くから引き受けようとするんだろう?」
とか思うんです。
- 孫
- そういう意味でいえば僕は、
そういう人たちとはちょっと違った
はじまり方だったかもしれないですね。
- 糸井
- そうですか。
- 孫
- 僕の起業のきっかけはYahoo! JAPANの
立ち上げに関わったことなんです。
米ヤフーの共同創業者に
ジェリー・ヤンという人がいるんです。
僕が会ったのは彼が当時27歳で、
彼が米ヤフーを作って
1年くらいの頃なんですけど。
- 糸井
- はい。
- 孫
- すこし彼の話をすると、
ジェリーさんはスタンフォード大学電気工学科の
博士課程の学生で、友達とふたりで
インターネットにハマっていたんです。
ただ当時はブラウザもろくにない時代で、
検索もなく、すごく不便だったんですね。
行きたいページがあっても、リンクを辿るか、
URLを直打ちするかしかなくて。
- 糸井
- ええ、ええ。
- 孫
- それで彼は、友達とふたりで
「検索エンジンがあったら便利じゃない?」
と作りはじめたわけです。
お金がないので大学のサーバーを使って
「stanford.edu」というドメインの上に、
「akebono(曙)」と「konishiki(小錦)」って
名前のサーバーを立てたんです。
ジェリーさんたち、相撲ファンだったんです。
- 会場
- (笑)
- 孫
- それでその「akebono」と「konishiki」を
「ちょっと使ってみて」と公開したら、
ほとんど初の検索エンジンだったので
「めちゃくちゃいい」と評判になったんです。
当時はEmailの口コミで「akebono.stanford.edu」が
便利なリンクとして回ってたんですよね。
ただ、ある日大学の回線がパンクして、
大学側が「何事だ」と調べたら、世界中から
「akebono」にアクセスが集中してたんです。
- 糸井
- わぁ。
- 孫
- それでジェリーさんたちは先生に怒られて
「これを大学から出せ」って言われるんです。
だけどそんなお金はない。
それでジェリーさんは、たまたま
キャンパスの向かいのアパートに住んでたので、
インターネットのランケーブルを長く引っ張り、
家まで引き込んで、
しれっとやってたらしいんですよ。
そうしたら、また落ちて。
バレてついに切られて‥‥みたいな話もあって。
- 会場
- (笑)
- 孫
- だけど彼は当時から
「これは人類のために
絶対やらなきゃいけないことだから」
って言っていたんです。
そのときまだインターネットは
一部の研究者しか使ってない時代ですね。
だけど彼は
「将来、絶対にあらゆる知識や知恵が
ここに集まるはずだ。
そのときに検索ができなければ、
人々がその情報を得ることはきっとできない。
そのためにこれは必要なんだ」
と言っていたんです。
だから非常におもしろい言い方ですけど、
「これを使って、未来のニュートンの前で
リンゴを落とすんだ」
って彼は言ってたんです。
- 糸井
- かっこいいですね。
- 孫
- そうなんです。
そのとき僕が23歳で、彼が27歳。
僕はまわりのみんなが汲々としながら
就職活動をしているのを見て
「なんか就職とかしたくねえな。
けど何していいかわかんないな」
って感じだったんです。
そのときたまたまジェリーさんに会って、
ガビーンってショックを受けるんですね。
「未来のニュートンの前で、リンゴを落とす
‥‥めちゃくちゃかっこいい」
って(笑)。
それで「手伝いたい」って言ったんですね。
- 糸井
- はぁー。
- 孫
- それで「バイトとして手伝わせてくれ」
って言ったら、
「自分も忙しいから丸投げしていい?」
って言われて、
ジェリーさん、そのままアメリカに
帰っちゃったんです。
「よろしく」とは言われましたけど。
- 糸井
- (笑)ものすごいですね。
- 孫
- だけど「よろしく」って言われても、
何をすればいいかわからない。
そう思っていたらメールが来て
「契約とかしなきゃいけないんだよね」って。
それで「サークルでいいですか」って聞いたら
「だめだよ。会社作れよ」って言われて
「そうですか、わかりました。会社作ります」
って返事をして。
‥‥というのが実はきっかけなんですよ。
- 糸井
- この話を知ると、
孫さんを見る目が変わりますね。
- 孫
- いや、ただただ本当に
それがきっかけだったんです。
(続きます)
2018-05-18-FRI
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN