Mistletoe株式会社の孫泰蔵さんと、
糸井重里が対談をしました。
きっかけは孫さんがSNSで、糸井が尊敬する
岩井克人さんについて語っていたこと。
しかも孫さんの会社
「Mistletoe(ミスルトウ)」があるのは、
ほぼ日の事務所と同じビル。
そんな縁もあって、4月のある日、
ふたつの会社のメンバーが観客となった、
とくべつな公開対談がおこなわれました。
対談後、みんなが口々に
「おもしろかった!」と言い合った、
その日のトークをご紹介します。
- 孫
- そんなわけでジェリーさんから
Yahoo! JAPANの立ち上げを丸投げされて、
会社を作ることになったんです。
ただ、そのときの僕は23歳。
何もわからないので、親父に電話したんです。
戦後、裸一貫から自営業をはじめた
すごい人だったので。
「親父、会社ってどうやって作ると?」って。
そしたら返事が
「それはお前、登記すればいいったい」。
- 会場
- (笑)
- 孫
- だけど当時は有限会社でも300万円、
株式会社だと1千万円の資本金がないと、
会社を作れなかったんです。
調べたらそういうこともわかってきて
「300万か‥‥ないわ」と思って。
それでまた電話するわけですね。
「親父、300万要るっちゃけど」。
そしたら
「自分でなんとかせえ」って。
- 糸井
- (笑)
- 孫
- だけどYahoo! JAPAN立ち上げの
スケジュールは始まってるし、
会社がないと契約できないし、
丸投げはされてるわ、
もう、どうしようと思って。
- 糸井
- それは自分もやりたいわけですよね?
- 孫
- もちろん自分もやりたいんです。
ただ必要なお金がないだけ。
だから、どうすれば短期間で
お金を稼げるかを考えるわけです。
それでそのとき、
Windows95が出たばかりの頃でした。
世間的にも
「これからはサラリーマンも
パソコンを使えないとダメよ」
というムードだったんです。
そこで思いついたのが、
パソコンの家庭教師のマッチングサービスでした。
大学の理系の学生の子たちは
みんなコンピューターがうまいし、
「そうか。ここをつなげば絶対、
濡れ手に粟や!」と。
- 糸井
- なるほど。
- 孫
- インターネットがないから、
「FAXで受けつけます」って
呼びかけたんですけど(笑)。
- 糸井
- やるのは元手が要るからですよね。
- 孫
- そうです。
僕はパソコン家庭教師センターが
やりたかったわけじゃなく、
とにかく資本金を集めたかったんです。
- 糸井
- 逆に言えば、それほどお金がなかったと。
- 孫
- そうなんです。
当時の僕は自分のパソコンもなくて、
大学の経済学部の校舎に
20台だけあったパソコンをずっと使って
やっていた感じなんです。
まだダイヤルアップの時代で。
- 糸井
- つまり、大学でパソコンを使えなければ、
いまの孫さんはないんですね。
- 孫
- ないですね。だって当時は
ダイヤルアップも従量課金制で、
べらぼうな金額でしたもん。
そういうきっかけではじめたので、
特に「起業するぞ」っていう感じでは
なかったというか。
- 糸井
- じゃあ、その家庭教師センターは
うまくいったんですか。
- 孫
- けっこう申し込みがきたんですよ。
じゃんじゃんFAXが届きました(笑)。
それで「よっしゃー!」と思ったんですけど、
計算していくとやっぱり、
300万貯めるのには1、2年かかる。
それじゃ間に合わないんですね。
だから友達と、家庭教師センター自体は
ちゃんとやる体制を整えまして、
信用保証協会に駆け込みまして。
- 糸井
- つまり、貸金ですね。
- 孫
- はい。「こういうことをしております」と
借りに行ったりしたんです。
ただそれも
「審査に時間がかかります」と言われまして
「だめだ、これも間に合わない」。
それでまた父親に電話したんです。
- 糸井
- ええ。
- 孫
- 「親父、親父の言う
『自分で苦労するのが大事だ』というのはわかる。
ただ、それはそれとして、
知り合いの社長さんを紹介してくれない?」
と言ったわけです。
「なんでや」って当然聞かれますよね。
それで「いや、お金を出してもらえないか
説得しに行きたいから」と言ったんです。
僕は学生でそういう人を誰も知らなかったので。
- 糸井
- なんだかお兄さん(孫正義氏)の話と
そっくりですね。
- 孫
- そうですね(笑)。で、紹介してもらった、
ある社長さんのところにおうかがいしました。
それで言うわけです。
「あの、ちょっと説明しても
難しいと思うんですが‥‥
私はインターネットというものを
やりたいんです。
つきましては、一石三鳥プランを
持ってまいりました」って。
いかにも怪しい。
- 糸井
- 一石二鳥じゃなくて、三鳥。
- 孫
- 「しかもノーリスクで三鳥取れます」
と言ったんですね。
- 糸井
- 23歳の学生が。
- 孫
- もう必死だったんです。
相手の方も怪しさを感じてるとは
思ったんですけど、やるしかないというか。
それで「言うてみ」と言われて、
「ええと、僕は会社を作りたくって、
300万が要るんです。
そのために家庭教師センターをはじめまして、
受注もけっこう来ています。
だけど会社自体はすぐに作りたいから、
すぐに300万要る。
だから貸していただけないでしょうか。
ただ、出資とかされても困るんです。
いつ辞めるかわかんないから」
とお伝えして。
- 糸井
- ええ。
- 孫
- そして「もし貸していただければ、
一石三鳥の利益を提供させていただきます」
と言ったんです。
- 糸井
- つまり、相手の社長さんには
3つの得があるわけですよね。
- 孫
- そういうことです。
まずひとつめが
「5パーセントの金利をつけます」
ということですね。
「1年あれば家庭教師センターから
実入りがあるし、
Yahoo! JAPAN のプロジェクトも
それなりに収益が上がると思うので、
1年後に必ず5パーセントの金利をつけて
お返しします」ということで。
当時5パーセントって、
けっこういい金利だったんです。
とはいえ300万円の5パーセントですから、
15万でしょう?
最悪、土木作業でもすれば返せるなと
思ったんですよ。
だから「1年後にきっちり
315万円にしてお返しします」と。
- 糸井
- ああ、なるほど。
- 孫
- しかもノーリスクという理由は
「お金を貸していただければ、
私はこれで会社を作ります。
ですが、口座のハンコと通帳はお持ちください。
そうしたら300万円をロックできるから
使い込めないでしょう?
僕が一年後に15万円をお返しすれば、
それで済みますよね。
だから何のリスクもありません」と。
- 糸井
- はぁー、そうか。
会社を作るのに見せる金が必要だけど、
使う金じゃないから。
それ、思いつかないですね。
- 孫
- 必死で考えたんです。
だから相手はいちおうノーリスクで
15万円の金利が入る。
- 糸井
- すごいすごい。
- 孫
- 「‥‥で、二鳥目はですね」
- 会場
- (笑)
- 孫
- 「あのぅ、僕らがやろうとしてるのは、
インターネットっていう最新の技術でして。
たぶん将来、きっとホームページとか
作りたいって思われると思います」と。
‥‥「要らん」って言われましたけど。
- 糸井
- (笑)
- 孫
- 「いやいやいや、要りますよ。将来絶対。
そのときに我々が無償で、
最新のホームページを作ります。
やるならたぶん何十万かかかりますよ?
そこを私たちが無償でやりますから」
と言って。
‥‥っていうことで、二鳥目じゃないですか。
- 糸井
- はい。
- 孫
- そしてこれも僕らが頑張ればいいだけだから、
リスクもない。
最初にここまでは考えていたんですけどね。
- 糸井
- すばらしい、ここまででも。
- 孫
- だけど兄(孫正義氏)がよく
「交渉の時は、相手のメリットが
3個くらいないといかんぞ」
と言ってたんです。
- 糸井
- そうなんですか。
- 孫
- ええ。
「1個じゃ話にならん」
「でも2個じゃ相手と1対1くらいにしかならん」
「そのとき3個くらいあったら、
人はみんな喜ぶよ」って、
親父もよく同じことを言ってたので。
‥‥でも、その3個目がどう考えても
出てこなくてですね。
それで行ったときに
「3個目があります。
これはもう、僕はものすごいものだと思ってます」
と話しはじめたんですけど。
- 糸井
- ええ。
- 孫
- そしたら、そこまでで相手の社長さんが
「おもしろいな」と思ってくださって
「何だい? 3個目は何だい?」
って聞かれまして。
- 糸井
- なんだろう。
- 孫
- 「それはですね‥‥あの、
私とか、一緒にやる仲間が、一生感謝します!」と。
- 会場
- (笑)
- 孫
- 「考えてみてください。
一生感謝するって、なくないですか?」
- 糸井
- そうかもしれない。
- 孫
- 「ないですよ? もう僕ね、
本当に死ぬときに
『いやー、あの人のおかげでやれたわ』
と絶対思いますよ」と。
- 糸井
- いや、すばらしい。
いま僕はその社長になったような
気がしましたもん。
‥‥あぁ、金を出したい!(笑)
- 孫
- そしたらその方がこう言ったんです。
「あのね、あなたのお父さんとは
古いつきあいでいろいろ商売の取引を
させてもらったけど、
いや、孫家はおもしろいなぁ」って。
- 糸井
- わかる。
- 孫
- で、そのまま
「‥‥いや、あのね、君ね」と
言われてですね。
「やっぱり有限会社より、
株式会社のほうが箔がつくよ」と。
- 糸井
- 向こうからですか?
- 孫
- 向こうから。
当時はそうだったらしいんです。
「だけど株式会社って1千万以上必要ですよね」
みたいな感じで言ったら、
「いやいや、じゃあ1千万円ね、
私が出してあげるから株式会社にしなさい」
と言っていただいて。
- 糸井
- おぉ。
- 孫
- 「でも出資されても困るんです」って言ったら
「いやいや、そこは大丈夫。
そこはもう株式会社のほうがいいから」
って。
「‥‥だけど1千万出すから、
その代わりとして50万ね」
みたいな。
- 糸井
- (笑)向こうのほうが大人ですね。
- 孫
- そうなんです。
「ううっ。いや300万でいいんだけど」
とは思ったんですが、
50万くらいなら、みんなでやれば
なんとかなるかもしれないと思って
「じゃあ1千万で」
と言いました。
- 糸井
- それ、ちょっとドキドキしますね。
- 孫
- しますよ、やっぱり。
23歳で1千万を預かるというのは
「あっ」と思いまして。
でも「じゃあ1千万で」と握手させていただいて、
それで会社を作ったんですよね。
僕の最初のきっかけです。
(続きます)
2018-05-19-SAT
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN