Mistletoe株式会社の孫泰蔵さんと、
糸井重里が対談をしました。
きっかけは孫さんがSNSで、糸井が尊敬する
岩井克人さんについて語っていたこと。
しかも孫さんの会社
「Mistletoe(ミスルトウ)」があるのは、
ほぼ日の事務所と同じビル。
そんな縁もあって、4月のある日、
ふたつの会社のメンバーが観客となった、
とくべつな公開対談がおこなわれました。
対談後、みんなが口々に
「おもしろかった!」と言い合った、
その日のトークをご紹介します。
- 糸井
- でも大学で経済学部にいたら、
それなりに自分の将来を考えると思うんです。
そのとき孫さんがコンピューターの周辺を
うろうろしてたのには、
なにか理由があるんですか?
- 孫
- それこそ僕が小学校の4年生くらいのときの、
ファミコンなんですよ。
- 糸井
- あぁ、なるほど。
- 孫
- ですから僕はやっぱり‥‥。
今日もどうしても緊張してしまうのは、
もう糸井さんが作られた
『MOTHER』ですとか、神なんですよ。
僕にとって。
- 会場
- (大きな拍手)
- 孫
- だから、こんなふうに例えるのは
非常におこがましいんですけど、
自分が若手ミュージシャンだとして、
今日はボブ・ディランに会ってるみたいな
感じなんですよね。
- 糸井
- いやいやそれは‥‥とりあえずこの場に
うちの会社の人たちがいてよかったです。
- 会場
- (笑)
- 糸井
- もともとはゲームだったんですね。
- 孫
- ゲームです、もう絶対にゲーム。
NECのPC8801とかから始まり
『マイコンBASICマガジン』や
『LOGIN』を読んで育ちました。
ずっとゲームやコンピューターと育って、
大好きだったというのはやっぱりあります。
- 糸井
- つまり、昔でいえば小説を
たくさん読んで暇をつぶしていた青年たちが
物書きに憧れたようなことが、
その世界に移ったわけですね。
- 孫
- そうですね。
ファミコンやらなんやらは、
とんでもない洗礼でした。
- 糸井
- その頃に15歳上のお兄さん(孫正義氏)が
何をしてるかは、わかってたわけですよね?
- 孫
- もちろん知ってました。
ソフトバンクを立ち上げ、それこそ
コンピューター分野の出版をしていた時期ですね。
当時は「アスキーか、ソフトバンクか」くらいの
感じだったと思います。
- 糸井
- そうするとお兄さんとの間に
「98(PC-9800シリーズ)、余ってるのない?」
みたいな話はなかったですか。
- 孫
- そこは
「高いんだもん。お前にやるのは1台もない」
って言われました。
まぁ、高価だったんですよね。
中学生のときにおさがりを貰いましたけど。
- 糸井
- あ、おさがりを。
- 孫
- はい。dynabookっていう東芝の
ラップトップ(ノートパソコン)です。
とはいえ辞書くらいの厚みでしたけど(笑)。
当時は
「ラップトップ、すげー!」みたいな感じで。
- 糸井
- それはつまり普通の子ですよね。
- 孫
- 普通です、本当に。
- 糸井
- 普通に育って、ゲームが好きで。
途中、ゲーム廃人にもならずに?
- 孫
- ちょいちょいなりましたね。
- 会場
- (笑)
- 糸井
- まぁ、なりがちですよね。
- 孫
- あと、音楽にはまった時期もありました。
中学生のときに
「イカ天(三宅裕司のいかすバンド天国)」
ブームだったんです。
- 糸井
- あ、「イカ天」ですか。
- 孫
- はい。全国的なそのバンドブームがあって、
佐賀の田舎に住んでた自分も
バンドをはじめるんです。
- 糸井
- 担当楽器はなんですか?
- 孫
- 最初はキーボードでした。
ビートルズが好きだったんですよ。
でも当時中学生でビートルズを
やりたいという人はあまりいなくて、
みんなBOØWYとかをコピーしてたんです。
で、探したらビートルズが好きなメンバーも
見つかったんですけど、
そこはすでに4人揃ってたんですよ。
- 糸井
- もう入る余地がないという。
- 孫
- はい。でもどうしてもやりたくて。
そしてビートルズって実際は
5人いないとできないんですね。
キーボードの要る曲があったりしますから、
- 糸井
- そうですね。
ビリー・プレストン(キーボード奏者)が
必要ですね。
- 孫
- もしくはジョージ・マーティン
(ビートルズのプロデューサー)か‥‥
って、聞いてる人たちに伝わらないですね(笑)。
- 糸井
- とにかくそれでキーボードから始めたと。
- 孫
- ええ。別にピアノをやってたわけでもなく、
独学でやりはじめました。
- 糸井
- それはつまり、ひとりでコンピューター言語を
学ぶのと同じような感覚で。
- 孫
- そうですね。
それで、バンドの中で曲の音を膨らませる
役割を担当してたんです。
ビートルズってやっぱり一曲ずつ
本当に粋を尽くしてレコーディングしているので、
4人だけだとライブでは
必要な音の厚みが出ないんです。
そのあたりをなんか
いろいろやるって感じの人でした。
- 糸井
- それ、「お前役に立つな」って言われますよね。
- 孫
- 「すごい役に立つ」って言われました(笑)。
だから結局いろいろやってましたね。
パーカッション的なこともやってましたし。
- 糸井
- 器用なんですか?
- 孫
- うーん、器用かどうかは
自分ではよくわからないですね。
- 糸井
- でも、できちゃうわけでしょ?
- 孫
- まぁ、好きだから一生懸命やったという。
- 糸井
- その一生懸命さは、もう子供の頃からなんですね。
- 孫
- そうですね。
好きなことにはやっぱり一生懸命です。
だけど嫌いなことはやりたくなかったんですよ。
- 糸井
- でも孫さんが音楽でそういうことを
やっていたというのは、自然な話に聞こえますね。
ゲームやコンピューターの話と
どこかつながる感じもあって。
- 孫
- ただ、音楽自体はテクノとかじゃなく
古いものが好きだったんです。
70年代とか60年代とかに興味を持って、
ずっとさかのぼっていってましたから。
(続きます)
2018-05-20-SUN
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN