ジャパネットたかたの創業者である髙田明さんと、
糸井重里が対談することになりました。

生まれた年も日も近いふたりが、
「ものを売ること」「伝えること」について、
それぞれの考えを語り合います。

自分の売りになることは何か? 

アイデアを出すにはどうすればいいのか?

失敗を乗り越えるには?

決して「うまいことを言わない」、
ベーシックでぶれないヒントに満ちた全10回です。

※この記事は日経MJ2017年8月7日号のために
収録された対談を、ほぼ日が編集し、掲載するものです。

糸井
「衝動買いした」って、
よく言われる言葉ですよね。
髙田
ぼくは、衝動買いは否定しません。

衝動買いの悪いところって、つまり、
商品が届いたときに、
支払ったお金とものの価値が釣り合わないことです。

そういうときに
「衝動買いした、しまった」

と思うのです。
ものが届いて
「よかったな」「支払った額に合ってるな」

と思ったら、衝動買いはおおいに結構なことです。
ですから、その商品がもたらす価値を
まずは売る側がきちんと感じていなければなりません。

そうでないと、よさが伝えられないのです。

どう伝えるかは
テクニックの問題もあるんでしょうけど、
基本は、自分でちゃんと感じるところから
スタートします。

私たちの場合はおもに「商品を選ぶところ」からです。

糸井
そうですね。すごく簡単に言うと、
「売れるに決まってるものじゃないと売らない」

ということがベースにあると思います。
ほぼ日は自分たちで商品を作ってるわけですが、
「これは売れないかもしれないけど作るべきだ」

というものも、ときどきあります。

売り上げの多寡ではなく、
うちはそれをやんなきゃだめだ、という商品です。

ですから、売れれば必ず勝ちかといえば、
果たしてそんなことはない。

でも、売るだけの理由がはっきりないものは、
売ったら後悔します。
髙田
ぼくたちが扱うべきものはたくさんあります。

でも、まだまだそれを見つけられていないし、
伝えきれていないということが、あるように思います。
ぼくはテレビショッピングの出演を辞めて
2年半になりますが、
いまもテレビに出てやっていることが
ひとつだけあります。

「髙田明のいいモノさんぽ」というんですけどもね。
たとえばある月は、
岡山県の井原市に行きました。

井原は、デニム生地で有名なところです。

シェア7割を誇った産地ですが、
いまはちょっと弱くなってしまっているそうです。

実際にデニムを見て、気に入って、見て歩くと、
そこにはすばらしい技術と歴史がありました。

「これはちょっと伝えたほうがいいな」と思いました。
伝えることの根本にあるのは、
ものを発掘することです。

自分たちが心でいいと感じるものを
世の中に出していくことが、
ぼくたちも、買う人も、産地も、
元気にしていくんじゃないかと思います。
糸井
それは、髙田さんが、
まずはお客さんになって
ごらんになってますよね。
髙田
はい、そうですね、立場はお客さんです。
糸井
おそらく最初の動機は、
作り手じゃなくて、
受け手として立ちあがるものですよね。
ぼくが「ほぼ日」をはじめたのは19年前なんですが、
その頃、雑誌やテレビは、歌番組でもなんでも、
ベストテンの10個を紹介していました。

お客さんは10位以内のものを買い、
当然それらが流行っていきました。
それがいまはもっと差がつく時代になって、
「1位だったら間違いないだろう」と、
みんなが1位を買うようになりました。

2位は売れないんです。
そうなると、1位の取り合いになります。

「うちに来てください」

「うちで売らせてください」

ということになっちゃいます。

だけれども、3位も充分にいい歌なんですよ。

58位も、いいんです。

髙田
ああ、そのこと、よくわかります。
糸井
ところがいまは、
58位の歌を紹介するメディアがないんです。

ぼくは、自分がいいと思ったら、
58位であろうが87位であろうが、
300位であろうが、紹介すればいいと思っています。

そういう気持ちもあって、うちは商品の紹介を
読みものとしてはじめることにしました。

そうしたら、通じる人がだんだん増えてきて、
「あそこで紹介されたものは、
1番や2番のものじゃないけど、よかったよ」

というふうに言われるようになりました。
さきほど髙田さんがおっしゃった、
地方で見つけた質のいいものづくりもそうです。

「順位は何番?」と訊かれても
「順位や点数はわかんないけど、
実際おいしかったんだよ」
と答えるしかない。

それを正直に紹介されて、生活の範囲に入ってきたら、
「食べておいしかった。また食べてもいい」

と思ってくれる人はいるわけです。

とはいえ2万番ぐらいの下位にいるものに対しては
「それは改良したほうがいいだろうな」

と思うことがありますけれども。
髙田
ぼくがテレビやラジオに出ていたとき、
たとえば‥‥炊飯器のごはんを食べる企画が
あったとしましょう。
三菱の炊飯器のごはんを食べる。

「おいしいですね」

次にパナソニックの炊飯器。

「おいしいですね」

次に東芝‥‥
最後にどれがおいしいかと訊かれる。

こういうことがよくありました。
ぼくは、みんなおいしいんですよ。
1番はひとつだけではありません。

1番は100個あっていいんです。

見る人が見たら、いいものは100通りあると思います。
人間の性格だって、
短気もおれば、そうじゃない人もいます。

だけど短気は悪いわけじゃない。

炊飯器も同じです。

そのものが持つ、使う人に訴えるものを、
ぼくらが100パーセント伝えればいいと思います。

糸井
それは髙田さんのテレビを見るぼくたちが
そのまま感じ取っていたものですね。

「この髙田さんという人は、
思ったことを言ってるんだろうなぁ」

という信頼がありました。

「衝動買いはおおいに結構」で、
「間違わせた覚えがないぞ」と思ってらっしゃった、
その積み重ねが大きいのではないでしょうか。
髙田
ありがとうございます。
糸井
たとえばぼくがグルメリポーターだったとすると、
「あ、おいしい」と放送で言ったら失格です。

「『おいしい』をお前なりの別の表現で言え」

と言われます。

でもぼくは、それが
いいレポートの条件とは思いません。

誰だって「おいしい」と言うし、
松尾芭蕉でも、
おいしいときは「おいしい」と言うと思います。
何を言うかよりも、
俺が言った「おいしい」を、
信じてもらえるかどうかが大事です。
髙田
そうですね。
糸井
こねくり回した言葉を考えることを
コピーと呼ぶのではなく、
「俺のおいしい」を信じてもらえるようにすることが、
ぼくの活動だと思います。
髙田
「おいしい」っていうのは、
長崎では「うまかー」って言うんです。

ぼくは、なまりをなくそうとがんばったけど、
結局、なくせなかった人間です。

なんだかけっこう、
なまりがあったようなんですよね(笑)。
一同
(笑)
髙田
でも、いま考えたら、
なまったままの自然体で素を出すから
伝わることもあったんじゃないかと思います。

これはすごく大事なことで、
非言語の、出てしまった素の自分が
表現している部分がおおいにあるのです。
テレビに出る人は、表情を作っているかもしれません。

けれども、テレビを観ている人たちは、
夫婦でも子どもでも、
対極的に、いつも自然の顔にふれているわけです。

人が「出しているもの」を人は感じる。

そのことを、自分も表現者として
忘れてはならないと思うようになりました。
糸井
髙田さんがもし別の表情でやっていたら、
また違う効果になったろうと思います。

しかし、もっと上手にやれてたら、もしかしたら
信頼関係は作れなかったかもしれないですよね。

(明日につづきます)

2017-08-18-FRI