平野レミさんと、和田誠さんのことを話そう。 平野レミさんと、和田誠さんのことを話そう。
イラストレーター、映画監督、
グラフィックデザイナー、そしてエッセイストとして、
さまざまな活躍をした和田誠さんが
2019年10月に逝去されました。

糸井重里もほぼ日も、
和田さんにはとてもお世話になりましたが、
思い出を大きく語ることをしませんでした。
ご家族をはじめまわりのみなさんもほとんど、
そうしていたのではないかと思います。

あんなに偉大な仕事を数多くのこし、
憧れている人も感謝している人も山ほどいるのに、
みんなを大袈裟にさせない「和田さん」って
いったいどんな人だったの? 

いま、たっぷり話したいと思います。
平野レミさんといっしょに、和田誠さんのことを。
第3回 俺のことは心配しなくていい。
糸井
和田さんのお墓、ですか。
レミ
和田事務所って3階建てでしょ? 
あそこに和田さんの作品やコレクションが
つまってたんです。
それをこのたびぜんぶ多摩美(多摩美術大学)に
寄贈することになりました。
だけど私には、あの3階建てのビルから
和田さんの魂がなくなっちゃうんだなぁ、
さみしいなぁ、という思いがありました。



和田さんが元気なときに、よく言ってたんです。
「亡くなったら、和田さんのお墓、どうしようか」
そしたら和田さんはいつもこう答えたの。
「骨なんか庭にぶん投げちゃえばいいよ」
糸井
(笑)
写真
レミ
そういうわけにはいかないと思って、
坊さんに訊いたら、
やっぱり坊さんはダメだっていうの、
そういうことやっちゃ。
糸井
そりゃ坊さんはダメだって言いますよ(笑)。
レミ
それで困っちゃった。
3階建ての事務所からも和田さんはいなくなるし、
お墓はどうしよう、どうしようって、
悩んじゃったの。



それで、思い返してみると、
うちの父と和田さんって、
とってもなかがよかったんです。
じゃあ、うちの父のところに入れちゃおうか、
ということになりました。
糸井
そうか、平野威馬雄さんがいるところにね。
レミ
横浜の外人墓地です。
うちの父が亡くなったときに、
和田さんが父のために
すーごくかっこいい墓石を
デザインしたんですよ。



和田さんがデザインした、
「平野威馬雄」と書いてある石の横っちょに、
今度は「和田誠」って入れました。
身内みんなで納骨に行って、
「イェーイ」ってピースして
「あー、和田さんも中に入っちゃったね」
なんて言って、写真撮ったの。



そしたらば、率のとこのお嫁が、
石に彫ってある生まれた日の文字を見て、
「あれ?」なんて言うわけ。



「1936年の? 
和田さんの誕生日は、
4月10日じゃないですか? 
4月4日‥‥じゃないですよね」



「ええ!?!?!?!」



みんなでよーく見たら、
石に彫った日付は4月4日になってたの。
びっくりして、みんなで「どうしよう!」と言って、
お墓の事務所の人に訊いたら、
「こんなまちがいはこれまで一度もありません」
って。
糸井
(笑)
生誕日の誤植です。
父のお墓に、最大の誤植が
彫り込まれてしまいました。
糸井
彫り込ま‥‥(笑)。
写真
レミ
こんなに深ぁーくね、
大理石に彫っちゃって。
元々の原稿を作ったのがぼくで、その内容は、
事前に何度も何度も家族で確認したんです。
でも誰も気づかず‥‥。
責任を感じてそれから2、3日
ショックで寝込みました。



台風でテレビの特集がなくなって、
3月3日の囲む会はコロナでなくなって、
作品は寄贈して事務所からなくなっちゃって、
お墓もまちがえちゃって。
糸井
いやはや(笑)。
レミ
「ああー」と思って、
その日はなかなか眠れなかったし、
明け方暗いうちに目が覚めてうつらうつらしてたら、
うちの猫のちーちゃんがニャーニャー鳴くもんだから
ごはんをあげに行きました。



そしたらね、聞いてくださいよ。
和田さんはミッキーマウスが大好きで、
色鉛筆で描いたミッキーの絵が
キッチンの壁に飾ってあるのね、
鋲で1センチくらい壁にグググっと刺さってて、
ぜったい抜けるもんじゃないのに、それが鋲ごと、
とんでもない場所に落っこってたの! 
写真
糸井
猫のちーちゃんが呼んで、
落ちない絵が落ちてた! 
レミ
そのとき、私はこう思いました。



これは、和田さんが言ってるんだ。
「レミ、俺のことはいいよ。
なんにも心配しなくていいから」
そういうサインかな、と思いました。
糸井
「心配しなくていいから」か。
そうだね、きっと和田さんはそう言うだろうね。
レミ
なんにも心配しなくていい、俺のことはいい、
そう言うでしょう。
ミッキーが落っこって、私もやっと気づきました。
でもやっぱり、
お墓だけは4月10日にしたいと思って、
ついこのあいだ正しい日付でできあがりました。
糸井
それ、上から修正したものを
貼ったりはできないんですか。
レミ
貼ろうと思いましたよ、最初は。
写真
上から立派なプレートを貼るつもりで、
今度は体じゅうの全神経を「日付」に集中させて、
デザインを起こしました。
でも最終的に母が「プレートは、ちがう」と。
レミ
だって、何十年も何百年も経ったら、
絶対ぽろっと取れちゃうもん。
糸井
(笑)
レミ
そうすると
4月の4日に戻っちゃうから。
糸井
(笑)でも‥‥ここまでのところでも、
すごい流れですね。
和田さんがおもしろがりそうなことばっかりです。
レミ
そうなの、そうなの。
ほんとにそうなんです。
糸井
威馬雄さんのお墓に入るというのも、
うすうす「そういうこともあるかもしれない」と
和田さんは思っていた気もします。
レミ
思ってたのかなぁ、和田さん。
とにかく洋画が大好きだったし、
外国人に囲まれてよろこんでるかもなぁ。
糸井
そんな気もしますね。
写真
レミ
しかも納骨日は墓地の都合で11月11日になって、
それが偶然、父の命日だったんですよ。
父が呼んだのかもしれない。
それくらい、和田さんと父は、なかよかったんです。



和田さんがうちの両親をはじめて訪ねたとき、
つまり私のこともらいにきた日ですよ、
そのとき和田さんは革靴履いて、
背広着て、ネクタイしてました。
糸井
和田さんが。はい。
レミ
あとから父が、こう言ってました
「和田くん、あのときはつらかっただろうなぁ。
あんな格好で来ちゃって」
糸井
ふだんとはずいぶんちがうから。
レミ
結婚して、何回か引っ越して
最後に家を建てたときに、近所の人が、
「和田誠さんの家に、
書生さんとしてはちょっとみすぼらしい人が
出入りしてるけど、あの人は何かしら?」
と噂してたんですよ。
糸井
本人のことを。
レミ
あっはっは、
ほんと、和田さん、ぜんぜん構わないから、
ずるずるだからね。
糸井
それを亡くなっても通してますね。
レミ
(笑)
糸井
そんな名人いないですよね。
レミ
あ、名人なんだ。
糸井
名人でしょう。
生き方の名人です。
写真
(明日につづきます)
2020-09-03-THU
和田誠さんの「ほぼ日手帳2021」
2021年のほぼ日手帳のラインナップには
和田誠さんのイラストレーションをデザインした
カバー「時を超える鳥」と
weeks「星座を抱いて」が仲間入りしています。



「時を超える鳥」は、
和田さんが1977年より描きつづけている
「週刊文春」の表紙絵の第1作。
コンセプトは「表紙は読者へのおたより」です。
写真
「星座を抱いて」は、
2002年11月7日号の表紙絵。
和田さんが400年前の星座図を参考に
描いたものだそうです。
写真
和田誠さんのほぼ日手帳について、
くわしくは「ほぼ日手帳2021」のページ
ごらんください。

また、40年以上にわたって描かれている
「週刊文春」の表紙絵の初期作品をあつめた画集
『特別飛行便』も、ほぼ日ストアで販売しています。
※『特別飛行便』は完売いたしまして、再販売はございません。
(9月2日追記)
和田誠さんの
メッセージカードが届きます。
このコンテンツへの感想や、
和田さん、レミさんにむけたメッセージを
ぜひ「往復はがき」でお寄せください。
返信はがきに和田誠さんのスタンプ
(生前にご自身で作られたものと、
今回のために和田さんのイラストレーションで
和田さんのご家族とほぼ日が作成したもの、
ふたつのスタンプを捺します)
の返信はがきをお送りいたします。
写真
※往復はがきとは、
往信と返信がつながったはがきです。
必ず「往信」と「返信」の両方の宛先をご記入ください。
返信の宛先が未記入の場合、
スタンプを捺したはがきはお手もとに返ってきません。
ポストに投函するときには、
往信の宛名が外側になるようにふたつ折りにしてください。
往信はがきの裏面には、ぜひコンテンツの感想や
和田さん、レミさんへのメッセージをお書きください。
<ご注意>返信はがきの裏面には何も書かないでください。



※いただいたはがきの内容は、
平野レミさん、ご家族、ほぼ日が拝見します。
ほぼ日刊イトイ新聞で内容を公開することがあります。
返信はがきに記載された個人情報は、
はがきを返信するためにのみ使用します。



※返信はなるべくはやめに
お出しするようにいたしますが、
みなさまからいただく数によっては
時間をいただくことがあります。
また、郵便事情等による不配につきましては、
責任を負うことはできかねます。
どうぞご了承ください。
往信の宛先:

107-0061

東京都港区北青山2-9-5-9階

株式会社ほぼ日

平野レミ様



返信の宛先:

ご自身の住所、お名前



締め切り:

2020年10月7日消印有効