平野レミさんと、和田誠さんのことを話そう。 平野レミさんと、和田誠さんのことを話そう。
イラストレーター、映画監督、
グラフィックデザイナー、そしてエッセイストとして、
さまざまな活躍をした和田誠さんが
2019年10月に逝去されました。

糸井重里もほぼ日も、
和田さんにはとてもお世話になりましたが、
思い出を大きく語ることをしませんでした。
ご家族をはじめまわりのみなさんもほとんど、
そうしていたのではないかと思います。

あんなに偉大な仕事を数多くのこし、
憧れている人も感謝している人も山ほどいるのに、
みんなを大袈裟にさせない「和田さん」って
いったいどんな人だったの? 

いま、たっぷり話したいと思います。
平野レミさんといっしょに、和田誠さんのことを。
第6回 ああ、そう。
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レミ
和田さんは365日、
毎日怒らないで、笑って家に帰ってきました。
いつもニコッとしてドアを開けました。
糸井
へぇえ。
レミ
絶対に、笑って帰ってくる。
疲れた顔を一度も見たことがありませんでした。
糸井
うちの娘はよく、道を歩いてる和田さんに
偶然会ってたみたい。
ぼくが「和田さん、機嫌よかった?」と訊くと
いつも「すっごくよかった」って言ってた。
レミ
ああ、そうなんだ。よかった。
糸井
なんだかいいなぁと思ってた。
道でバッタリ会う人のことまでしあわせにする、
和田さんってそういう人でした。
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レミ
うん、そうみたい。
糸井
でも、実際には、
厳しい面がないはずがない人で。
レミ
あ、それはほんとにそうなの。
お仕事で関わった人たちからは、
和田さんはとにかく怖くて厳しいって聞きました。
私はそんな面を見たことがない。
糸井
ないどころか‥‥(笑)。
レミ
はっはっは、ほんとよ。
家で和田さんが一所懸命
ワインを探してたことがあって、
「お父さん、さっきからずっと何やってるの?」
って訊いたら
「ここにおいしいワインを置いといたんだけど、
ないんだよね」
って言ったんです。
「ないの? どこどこ」
「あそこんとこに置いといたんだけど」
「あっ!」
糸井
あっ!
レミ
「それ、植木屋さんに、あげちゃった」
そのワイン、ロマネ・コンティだったんですって。
糸井
わはははは(涙)。
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レミ
でも和田さんはぜんっぜん、怒らなかったんです。
「ああ、そう」って、それだけ。
私はロマネ・コンティってのが
高いワインだとも知らないし、
焼酎のつもりで、
「はい、植木屋さん、どうぞ」
ってあげちゃった。
糸井
夫婦ふたりとも、
何かが起こっちゃったらもう、
戻らないからあきらめる。
そこがすばらしいですね。
レミ
戻らないものですね、たしかに。
糸井
「ロマネ・コンティだったから返してください」
ってわけにはいかないじゃないですか。
レミ
そうよね。
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糸井
さっきレミさんは
和田さんは変わらない人だからあきらめる、と
おっしゃったけど、そこのところで
「じゃあ自分は何しよう」という気に
なったでしょう。
つまりレミさんも、
すごく前向きで、あきらめがいい。
レミ
夫婦ともどもなのよね。
それに似たエピソードがもうひとつあって‥‥、
和田さんの誕生日って、
さっき言ったように4月10日なんですけど、
たまたま私が街を歩いているときに画廊で見た
ピカソ作品の壺に、
ピカソの字で、1953年4月10日と書いてあったの。
「これは和田さんにあげなくっちゃ」
と思って、買って、うちに持って帰って、
袋からぱっと出して
「はい、お父さん、これプレゼント!」
と言って、あげたんです。
糸井
ピカソの壺を。
レミ
「何これ?」
「ピカソ、ピカソ、ピカソ!
お父さんの誕生日に、
ピカソが作った壺!」
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糸井
びっくりするよね。
レミ
そしたら、いつものように静かにひと言、
「ああ、そう」って。それだけ。
私はあの頃、
自分の口座からお金を出さないで‥‥
糸井
あ‥‥。
レミ
和田さんのところからお金を
出しちゃって‥‥はっはっは、
ピカソの壺を買ってあげちゃったの。
糸井
自分で自分の高額な誕生日の品を。
レミ
でも、ヘーキ。
壺の値段も聞かないし、
誰のお金かも聞かないし、
いつも「ああ、そう」って。
糸井
うーん、いいなぁ。
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レミ
和田さんはね、いい人でしたよ。
糸井
その壺はいま、
どこかにあるわけですね。
レミ
泥棒に狙われたら大変だから、家にはないの。
今日はそこから持ってこようとしたけどね。
糸井
それは持ってこないほうがいい(笑)。
レミ
和田さんは、高級品とかお金とか
そういうのになーんにも興味ない。
でも、おもしろいことと仕事は大好きでした。



家族で海外旅行したとき、
帰りの飛行機のなかで、
和田さんがなんだかそわそわしてたんです。
いっぱいしゃべってとても元気だった。
「お父さん、元気だね」って言ったらさ、
「明日から仕事ができるよ」なんて言うんだから、
やんなっちゃうでしょ、ほんとに。
旅行よりか仕事が好きなんですよ、和田さんは。
はぁーーぁ、と思っちゃいました。
糸井
絵を描いたり、考えたりするのが
好きなんでしょうね。
レミ
和田さんにはいろんな人たちとの
グループがあったんですよ。
ジャズのグループ、映画のグループ、俳句のグループ、
絵のグループ、いっぱいあって、
おつきあいのあるいろんな人たちが
和田さんのことを私に教えてくれるんです。
ほんとうに知らないことばっかり。



うちに帰ってきたらば、いいお父さんだけど、
私は和田さんのこと、ほんとに知らないの。
いや、だからさ、
お父さんは自分のことをぜんぶ本に書いてるから、
それを読みなって。
母は「和田さん和田さん」言ってるわりに、
父の著書を一冊も読んだことなくて(笑)。
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レミ
そう! それで、いま読んでるんです。
『お楽しみはこれからだ』って本も
おもしろくってね。
グレン・ミラー物語って映画のなかで、
ジェームス・ステュアートが五線譜に音符を
もののみごとに書くシーンがあるんですって。
うまいなと思ったんだけど、
よく見るとうすーく下描きしてあった。
なーんてことを、和田さんが見つけちゃうって話で、
おもしろいの。
糸井
それが『お楽しみはこれからだ』に
書いてあるんですね。
レミ
そう、出てくるの。
知ってたら和田さんとそういう話が
いっぱいできたのにね。
なんにも話ししないまんま、
和田さんは死んじゃった。
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(明日につづきます)
2020-09-06-SUN
和田誠さんの「ほぼ日手帳2021」
2021年のほぼ日手帳のラインナップには
和田誠さんのイラストレーションをデザインした
カバー「時を超える鳥」と
weeks「星座を抱いて」が仲間入りしています。



「時を超える鳥」は、
和田さんが1977年より描きつづけている
「週刊文春」の表紙絵の第1作。
コンセプトは「表紙は読者へのおたより」です。
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「星座を抱いて」は、
2002年11月7日号の表紙絵。
和田さんが400年前の星座図を参考に
描いたものだそうです。
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和田誠さんのほぼ日手帳について、
くわしくは「ほぼ日手帳2021」のページ
ごらんください。

また、40年以上にわたって描かれている
「週刊文春」の表紙絵の初期作品をあつめた画集
『特別飛行便』も、ほぼ日ストアで販売しています。
※『特別飛行便』は完売いたしまして、再販売はございません。
(9月2日追記)
和田誠さんの
メッセージカードが届きます。
このコンテンツへの感想や、
和田さん、レミさんにむけたメッセージを
ぜひ「往復はがき」でお寄せください。
返信はがきに和田誠さんのスタンプ
(生前にご自身で作られたものと、
今回のために和田さんのイラストレーションで
和田さんのご家族とほぼ日が作成したもの、
ふたつのスタンプを捺します)
の返信はがきをお送りいたします。
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※往復はがきとは、
往信と返信がつながったはがきです。
必ず「往信」と「返信」の両方の宛先をご記入ください。
返信の宛先が未記入の場合、
スタンプを捺したはがきはお手もとに返ってきません。
ポストに投函するときには、
往信の宛名が外側になるようにふたつ折りにしてください。
往信はがきの裏面には、ぜひコンテンツの感想や
和田さん、レミさんへのメッセージをお書きください。
<ご注意>返信はがきの裏面には何も書かないでください。



※いただいたはがきの内容は、
平野レミさん、ご家族、ほぼ日が拝見します。
ほぼ日刊イトイ新聞で内容を公開することがあります。
返信はがきに記載された個人情報は、
はがきを返信するためにのみ使用します。



※返信はなるべくはやめに
お出しするようにいたしますが、
みなさまからいただく数によっては
時間をいただくことがあります。
また、郵便事情等による不配につきましては、
責任を負うことはできかねます。
どうぞご了承ください。
往信の宛先:

107-0061

東京都港区北青山2-9-5-9階

株式会社ほぼ日

平野レミ様



返信の宛先:

ご自身の住所、お名前



締め切り:

2020年10月7日消印有効