平野レミさんと、和田誠さんのことを話そう。 平野レミさんと、和田誠さんのことを話そう。
イラストレーター、映画監督、
グラフィックデザイナー、そしてエッセイストとして、
さまざまな活躍をした和田誠さんが
2019年10月に逝去されました。

糸井重里もほぼ日も、
和田さんにはとてもお世話になりましたが、
思い出を大きく語ることをしませんでした。
ご家族をはじめまわりのみなさんもほとんど、
そうしていたのではないかと思います。

あんなに偉大な仕事を数多くのこし、
憧れている人も感謝している人も山ほどいるのに、
みんなを大袈裟にさせない「和田さん」って
いったいどんな人だったの? 

いま、たっぷり話したいと思います。
平野レミさんといっしょに、和田誠さんのことを。
第9回 責任持たなくていいから紹介して。
糸井
和田さんは、家から会社まで、
通勤は歩いてましたね。
レミ
そうそう。乗り物が苦手でしたからね。
うちから会社まで、50分間ぐらいかかります。
和田さん、毎日歩くのね。
帰りは電話がかかってきます。
「いま東郷神社だよ、もうすぐ帰るからねー」
その電話から30分ぐらいしたら、
いつも家に到着してました。
父にとって「行きの時間」は、
その日描くものを決める、
大切な時間だったらしいです。
写真
糸井
それは習慣として
和田さんに組み込まれてたんですね。
レミ
そうか、
あれは仕事のことを考える時間で、
だから、歩ってんだね。
無駄がないんだ、和田さんって。
そして、時間も無駄にしたくないから、
歩くのが異常に速い。
レミ
そうよね。
和田さんと結婚したときに、
「静かな人だなぁ」と思ったけど、
なんだか慌ただしかったの。
何もしゃべらないんだけど、
うるさいのよ。
一同
(笑)
糸井
そうですか。
写真
レミ
静かそうにしてるけど、
ざわざわざわざわ、
なにかしら、やってたな。
糸井
頭の中が動いてるんですね。
ほぼ日
無駄がないといえば、
和田さんは事務所で、
めがねの鎖がいつもタコ糸でした。
レミ
知らない、知らない。
あ、ほんとに?
ほぼ日
はい。手作りなさってて。
バッグはいつも紙袋でした。
レミ
週刊文春の手さげ袋ね。
いつでもどこへ行くときも持ってました。
でも、めがねはタコ糸だったんだ。
ほぼ日
タコ糸がよれよれするから、
事務所の人に怒られるんだよ、
とおっしゃってました。
レミ
あっはっは。
めちゃめちゃだね。
めちゃめちゃなのは母も同じで、
母の財布はジップロックです。
レミ
そうだね。中が透けて見えるからとっても便利。
写真
一同
(笑)
糸井
それ、遺伝したんですか。
レミ
血がつながってるのかな、和田さんと。
糸井
あ‥‥! 
お母さんは、お父さんの遺伝をするんですよ。
レミ
えっ! お母さんは、お父さんの遺伝を!
夫婦で?
糸井
この前「ほぼ日の学校」
ダーウィンの授業で
ぼくもはじめて知ったことなんです。
お母さんって、妊娠中に
胎盤とやりとりするじゃないですか。
胎盤というものは、
お父さんの遺伝子を送ったから、
できるものですよね? 
レミ
うん、うんうん。
写真
糸井
子どもはお父さんとお母さんの合体です。
つながっている胎盤というのもそう。
そこにお母さんが行ったり来たり
やりとりしてるわけだから、
お父さんの部分がお母さんに入るんです。
レミ
あら、あら、あら、あら!
すごい、すごい、すごい!
ええ!?
糸井
なるほど、でしょ?
子を持つ妻は夫に似るんです。
レミ
タコ糸とジップロックね。うつちゃった。
私の中に和田さんが入ってるんだ。
そうか、私は和田さんなのか。
糸井
一部ね。
しかし旦那のほうは、なんの関係もない。
写真
レミ
じゃあ、私は得しちゃったのかな。
糸井
でも和田さんは、もともと
自分に似た人を選んだのかもしれないですよ。
レミ
ほんとうにね、
なんで私だったのかな、という謎が
いつまで経ってもありますよ。
和田さんのまわりは
すてきな女の人がいっぱいいたのに、
何を間違えたんだかねぇ。
糸井
直感的に決めたんでしょう。
レミ
会って1週間で結婚しましたからね。
でも、その前に、
1年かかってるんですって。
糸井
え? そうなんですか。
レミ
私ね、流行しない流行歌手を
ちょっとやってたことがあるんですよ(笑)。
コロンビアでシャンソンのレコードを
出すことになってたんだけど、
シャンソンは売れないから、
まずは流行歌にしてって。



あるとき、生放送で歌わなくっちゃいけなくて、
突然声が出なくなって、バンドの人たちに向かって
「待って! 最初っからやり直して! 待って!」
と、私が言ってたらしいんです。
そのテレビ番組を観て
「おもしろい歌手がいるなぁ」と
和田さんは思ってたんですって。
糸井
へぇーー。
レミ
そこから1年後、
私は久米宏さんのラジオ番組に出演してました。
久米さんと和田さんはもともと麻雀仲間で、
和田さんは久米さんに
「一緒にやってる平野レミってのをぼくに紹介して」
と頼んだんです。
そしたらば、紹介してくんなかったんですって。
写真
糸井
久米さんが。
レミ
そう、久米さんが私のこと好きだったから。
うそうそ、そんなことない。うそですよ〜。
糸井
(笑)
レミ
久米さんが自叙伝に書いてることなんだけど、
「ぼくがあんな女を和田さんに紹介したらば、
和田さんは人生を棒に振りますよ」
って言ったんですって。
その後、あんなになかよしの夫婦になるとは、
夢にも思わなかったって、
久米さんの本には書いてあるの。
糸井
久米さんがだめで、
和田さんはどうしたんだろう。
レミ
久米さんがどうしても紹介してくれないもんだから、
今度はTBSの別の人に頼んだんですって。
その人も、こうなのよ。
「紹介してもかまわないけど、
ぼくは責任持ちませんよ」
糸井
ことごとく(笑)。
レミ
「いいです、
責任持たなくていいから紹介して」
と和田さんは言って、
やっと連絡つけてもらったんですって。
糸井
どうしてもレミさんがよかったんだ。
すごいですねぇ。
レミ
その翌日、TBSで永六輔さんに言われたの。
「和田さんの似顔絵って、
余分な線を全部とっぱらって、
本質だけを見て描くでしょ。
和田さんはそうやって、
レミちゃんの本質も見抜いたんだよ」
って。
写真
(明日につづきます)
2020-09-09-WED
和田誠さんの「ほぼ日手帳2021」
2021年のほぼ日手帳のラインナップには
和田誠さんのイラストレーションをデザインした
カバー「時を超える鳥」と
weeks「星座を抱いて」が仲間入りしています。



「時を超える鳥」は、
和田さんが1977年より描きつづけている
「週刊文春」の表紙絵の第1作。
コンセプトは「表紙は読者へのおたより」です。
写真
「星座を抱いて」は、
2002年11月7日号の表紙絵。
和田さんが400年前の星座図を参考に
描いたものだそうです。
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和田誠さんのほぼ日手帳について、
くわしくは「ほぼ日手帳2021」のページ
ごらんください。

また、40年以上にわたって描かれている
「週刊文春」の表紙絵の初期作品をあつめた画集
『特別飛行便』も、ほぼ日ストアで販売しています。
※『特別飛行便』は完売いたしまして、再販売はございません。
(9月2日追記)
和田誠さんの
メッセージカードが届きます。
このコンテンツへの感想や、
和田さん、レミさんにむけたメッセージを
ぜひ「往復はがき」でお寄せください。
返信はがきに和田誠さんのスタンプ
(生前にご自身で作られたものと、
今回のために和田さんのイラストレーションで
和田さんのご家族とほぼ日が作成したもの、
ふたつのスタンプを捺します)
の返信はがきをお送りいたします。
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※往復はがきとは、
往信と返信がつながったはがきです。
必ず「往信」と「返信」の両方の宛先をご記入ください。
返信の宛先が未記入の場合、
スタンプを捺したはがきはお手もとに返ってきません。
ポストに投函するときには、
往信の宛名が外側になるようにふたつ折りにしてください。
往信はがきの裏面には、ぜひコンテンツの感想や
和田さん、レミさんへのメッセージをお書きください。
<ご注意>返信はがきの裏面には何も書かないでください。



※いただいたはがきの内容は、
平野レミさん、ご家族、ほぼ日が拝見します。
ほぼ日刊イトイ新聞で内容を公開することがあります。
返信はがきに記載された個人情報は、
はがきを返信するためにのみ使用します。



※返信はなるべくはやめに
お出しするようにいたしますが、
みなさまからいただく数によっては
時間をいただくことがあります。
また、郵便事情等による不配につきましては、
責任を負うことはできかねます。
どうぞご了承ください。
往信の宛先:

107-0061

東京都港区北青山2-9-5-9階

株式会社ほぼ日

平野レミ様



返信の宛先:

ご自身の住所、お名前



締め切り:

2020年10月7日消印有効