平野レミさんと、和田誠さんのことを話そう。 平野レミさんと、和田誠さんのことを話そう。
イラストレーター、映画監督、
グラフィックデザイナー、そしてエッセイストとして、
さまざまな活躍をした和田誠さんが
2019年10月に逝去されました。

糸井重里もほぼ日も、
和田さんにはとてもお世話になりましたが、
思い出を大きく語ることをしませんでした。
ご家族をはじめまわりのみなさんもほとんど、
そうしていたのではないかと思います。

あんなに偉大な仕事を数多くのこし、
憧れている人も感謝している人も山ほどいるのに、
みんなを大袈裟にさせない「和田さん」って
いったいどんな人だったの? 

いま、たっぷり話したいと思います。
平野レミさんといっしょに、和田誠さんのことを。
第11回 ちょっと頼みたいことがあるんだ。
写真
レミ
3日前ぐらいに、
土屋郁子さんとごはん食べたんですよ。
糸井
あ、郁子さん。お元気でしたか。
レミ
とっても元気でしたよ。
私も土屋耕一さんの話して、
郁子さんも和田さんの話して、
お互いの夫の話で小川軒で盛り上がっちゃって。
糸井
ぼくは『土屋耕一のことばの遊び場。』という
本を作ったときに、
郁子さんに小川軒でおごってもらいました。
レミ
そのとき、和田さんも一緒だったんですって?
糸井
そう、そう。あれはうれしかったなぁ。
あの本はね、和田さんが
「頼みがあるんだ」といって
話をもってきてくださったんですよ。
ぼくはもう、そのことがうれしくってね。
レミ
へえぇ、そうでしたか。
糸井
和田さんは、人から頼られることは多いけど、
人にお願いごとをするって、
あんまりなかったんじゃないかな、と思います。



ところがあのときは、和田さんのほうから
「ちょっと頼みたいことがあるんだ。
土屋耕一さんの本を出したいんだよ。
俺、なんでもするからさ、やってくんない?」
と、話をしに事務所にいらっしゃいました。
そう言われたときのうれしさは、もう、
たまんなかったです。
写真
レミ
あら、そうなんですか!
糸井
あの頃はちょうど出版というビジネスが
むずかしくなってきたと
言われはじめた時期だったんですよ。
だからいくら和田さんであっても
いろんな出版社で企画が通りにくい。
ぼくはもちろん土屋耕一さんを好きでしたし、
和田さんはそれを見越して
ぼくのところへいらっしゃったんです。



話を聞いて、これはやるしかないと思ったし、
「和田さんが頼んでくれたということが、
ぼくはすごくうれしいです」
と、ご本人にも言いました。
あの本については、
和田さんはデザインだけじゃなく、構成もしました。
「和田誠/糸井重里・編」となってます。
編集は松家仁之さんがやってくれて。
いやぁ、あんな仕事は二度とないなぁ。
レミ
それは和田さんがよろこびます。
いいことを聞きました。
糸井
関わったみんな、
とてもたのしかったです。
写真
レミ
和田さんが寝る枕元にはいつも、
土屋さんの本がありましたよ。
あと、もう一冊‥‥。
糸井
伸坊とぼくがしゃべってる
『黄昏』っていう本があるんですけど。
レミ
そうそう、それも! 枕元にありましたよ。
糸井さんと南伸坊さんの、
ふたりの写真が表紙の本でしょう。
糸井
「何度も読んでるんだよ」って
和田さんに言われてました(笑)。
伸坊もそれ聞いてよろこんでたなぁ。
レミ
和田さんが病気になって、
伸坊さんとずいぶん長いこと
話した日があったんですよ。
伸坊さんはそのとき、
「イラストレーター」という言葉を
最初の最初に使ったのは和田さんですよ、と
教えてくれました。
糸井
伸坊は『私のイラストレーション史』という、
本をまとめましたからね。
和田さんがいなかったら
伸坊はイラストレーターにならなかったって。
レミ
ええ、そうおっしゃってました。
それってほんとなんですか?
写真
糸井
伸坊は昔、和田さんと
そっくりの絵を描いてたんですよ。
伸坊だけじゃない、湯村輝彦さんだって、
安西水丸さんだって、
あの頃の絵を描く人たちはみんな
和田さんがベースです。



和田さんの絵は、みんなが「真似していい」と
思ってたんじゃないでしょうか。
まるで書道のお手本のような人なんですよ。
「一度和田さんになっちゃう」という方法を
みんながとっていました。
レミ
三谷幸喜さんが描く絵も、
和田さんに少し似てますよね。
糸井
ああ、三谷さんが描く絵ね! 
もちろんあれも和田さんですよ。
みうらじゅんもそうです。
みうらが学生の頃に描いていたのは、
和田さんのまったくの真似で、
ガロに持ち込んだときに、
「和田誠になりたいの?」
と言われたそうですよ。
レミ
あっははは、そうなんだ。
糸井
山ほどいますよ、そんな人。
みんなそうです。
和田誠がいなかったら、いないですよ。
レミ
はぁぁぁあ、そうですか。
なんだかうれしい。ありがとうございます。
いいお話聞いちゃった。
糸井
みんなが和田さんを
お手本と思って真似したように、
和田さんにもたくさんの、
尊敬するお手本が
あったんだろうと思います。
あ、そうですね。
ベン・シャーンも好きでした。
昔のラフスケッチを見ていると、
かなりインスパイアされていたんだな、と思います。
それがだんだん自分のスタイルに
なっていくんですけれども。
写真
(明日につづきます)
2020-09-11-FRI
和田誠さんの「ほぼ日手帳2021」
2021年のほぼ日手帳のラインナップには
和田誠さんのイラストレーションをデザインした
カバー「時を超える鳥」と
weeks「星座を抱いて」が仲間入りしています。



「時を超える鳥」は、
和田さんが1977年より描きつづけている
「週刊文春」の表紙絵の第1作。
コンセプトは「表紙は読者へのおたより」です。
写真
「星座を抱いて」は、
2002年11月7日号の表紙絵。
和田さんが400年前の星座図を参考に
描いたものだそうです。
写真
和田誠さんのほぼ日手帳について、
くわしくは「ほぼ日手帳2021」のページ
ごらんください。

また、40年以上にわたって描かれている
「週刊文春」の表紙絵の初期作品をあつめた画集
『特別飛行便』も、ほぼ日ストアで販売しています。
※『特別飛行便』は完売いたしまして、再販売はございません。
(9月2日追記)
和田誠さんの
メッセージカードが届きます。
このコンテンツへの感想や、
和田さん、レミさんにむけたメッセージを
ぜひ「往復はがき」でお寄せください。
返信はがきに和田誠さんのスタンプ
(生前にご自身で作られたものと、
今回のために和田さんのイラストレーションで
和田さんのご家族とほぼ日が作成したもの、
ふたつのスタンプを捺します)
の返信はがきをお送りいたします。
写真
※往復はがきとは、
往信と返信がつながったはがきです。
必ず「往信」と「返信」の両方の宛先をご記入ください。
返信の宛先が未記入の場合、
スタンプを捺したはがきはお手もとに返ってきません。
ポストに投函するときには、
往信の宛名が外側になるようにふたつ折りにしてください。
往信はがきの裏面には、ぜひコンテンツの感想や
和田さん、レミさんへのメッセージをお書きください。
<ご注意>返信はがきの裏面には何も書かないでください。



※いただいたはがきの内容は、
平野レミさん、ご家族、ほぼ日が拝見します。
ほぼ日刊イトイ新聞で内容を公開することがあります。
返信はがきに記載された個人情報は、
はがきを返信するためにのみ使用します。



※返信はなるべくはやめに
お出しするようにいたしますが、
みなさまからいただく数によっては
時間をいただくことがあります。
また、郵便事情等による不配につきましては、
責任を負うことはできかねます。
どうぞご了承ください。
往信の宛先:

107-0061

東京都港区北青山2-9-5-9階

株式会社ほぼ日

平野レミ様



返信の宛先:

ご自身の住所、お名前



締め切り:

2020年10月7日消印有効