平野レミさんと、和田誠さんのことを話そう。 平野レミさんと、和田誠さんのことを話そう。
イラストレーター、映画監督、
グラフィックデザイナー、そしてエッセイストとして、
さまざまな活躍をした和田誠さんが
2019年10月に逝去されました。

糸井重里もほぼ日も、
和田さんにはとてもお世話になりましたが、
思い出を大きく語ることをしませんでした。
ご家族をはじめまわりのみなさんもほとんど、
そうしていたのではないかと思います。

あんなに偉大な仕事を数多くのこし、
憧れている人も感謝している人も山ほどいるのに、
みんなを大袈裟にさせない「和田さん」って
いったいどんな人だったの? 

いま、たっぷり話したいと思います。
平野レミさんといっしょに、和田誠さんのことを。
第12回 糸井ってやつの、あれはいいね。
いわゆる「和田誠フォント」と呼ばれるような
父の文字、ありますよね?
糸井
ああ、和田さんの描き文字。
あれもとりあえずみんなが真似したなぁ。
ぼくもしてますよ。
写真
むかし父が、あれを写植にしてみなさんに
提供しようと思っていたことがあるそうです。
ひらがなやカタカナは数に限りがありますが、
無数にある漢字も数千個かな? 作ったらしいです。
で、いろんな言葉を「縦組み」「横組み」で
組んでみたところ、
「これは絶対にできない」ということに
気づいたそうです。



というのも、
父は隣に並ぶ文字によって、
文字の大きさを1%小さくしたり、
上下左右に微妙にずらしたりして、
全体のバランスや美しさを追求していたんです。
そこは譲れない部分だから、
他人にさわらせるわけにはいかない、と。
糸井
和田さんがデザインに関わってた時代は、
写植を規則性なくツメていましたね。
あの時代にデザインを習った人たちは
ただ文字を並べていくだけの組版は嫌がります。
いまのDTPじゃ、そうはいかないよね。
そうですね。父は全部手作り。
自分が作ったものは、
いちばん美しい状態で世に出したい。
これは父のゆずらないところです。
だから「和田誠フォント」も
公開を断念したという話がありました。
写真
糸井
惜しいなぁ。
レミ
それ、なんとかできないの?
よろんでくれる人はたくさんいると思うよ。
でもお父さんは、
フォントも自分の作品だって言ってたから、
それを他人が勝手にいじったら怒るでしょ。
糸井
和田さんは、そこは絶対に
自分でやりたいですよね。
写真
そうなんです。
雑誌から「表紙に絵を描いてください」という
仕事が来たとしても、父はいつも、
「題字まで書かせてください」と言っていました。
レミ
週刊文春の題字も、和田さんが作ったんだもんね。
そうそう。
イラストだけをパーツとして
バラ売りすることは嫌いだった。
これをいま、ぼくが判断して、
みなさんに説明するのは、とても大変です。
糸井
和田さんはいつも「面で」仕事していましたね。
だから本にバーコードが入っちゃダメなんだ。
そういうバラ売り的な注文は、
亡くなってからもひっきりなしにあるでしょうね。
そうなんです。
判断に悩むときは、
家に飾ってある親父の写真を見ながら、
よく親父と対話しています。
糸井
いない人との対話だね。
大変だけど、やんなきゃできないですね。
写真
レミ
和田さんの『装丁物語』って本、
ずっと読んでたらばさぁ、
最後のほうにバーコードのことが出てくるの。



いまは宇宙や、月の世界にまで
人間が行っちゃう世の中なのに、
バーコードのことぐらい
絶対にできないわけない、って
和田さんは書いてるんですよ。



インクを透明にしといて、
機械でパッとやれば値段が出てくるとか、
そういう時代が絶対に来るって。
だからバーコードはくだらないって。
糸井
さらに進化すれば、きっと
バーコードの役割そのものが
なくなっていくでしょう。
その途中の段階で、
デザインがこういう被害にあっちゃう、
ということなんですね。
レミ
ねぇ。
すごくやさしい親父なんだけど、
みなさんがおっしゃるように
「厳しい」と感じるところがありました。
たとえば父は、1960年に
たばこの「ハイライト」
パッケージデザインをしましたが、
時代が移って、パッケージに
注意喚起の文言が入るようになって。
レミ
20歳未満の喫煙はどうのこうの、ってやつね。
あれが入った瞬間に、親父は、
「これは俺の作品じゃない」
と言いました。
レミ
言ってた、言ってた。
スーパーのレジ横にハイライトを見つけて、
私が「お父さんのあるある!」って言ったら、
「俺のじゃない」って。
写真
糸井
引っ込みがちな人だけど、
作品はいい伝わり方をさせたい。
それが和田さんだったと思います。
その努力は惜しまなかったし、
ここまでつらぬいてうまくいったというのは、
ほんとうにすごいことです。



そのあたりのことについても、
感謝している人が山ほどいると思います。
ライトパブリシティで後輩だった篠山(紀信)さんも、
生意気でみんなから除け者にされてた時期に、
和田さんだけが見ててくれてたって。
和田さんの77歳のパーティーで、
そういってあいさつしてたでしょう。
あれ、俺泣いたもん。
レミ
そうね。
「ぼくを有名にさせてくたのは、和田誠さんだ」
って。
糸井
あのあいさつは立派だと思いました。
篠山さんの才能に対するいじめって、
並大抵じゃなかったと思いますよ。
「コノヤロー」って、みんなが思ってた。
和田さんは、人を認める目がちゃんとあった人です。



横尾さんも、篠山さんのようにではないけど、
変な人だったわけですよ。
田中一光さんがデザインの主流だったときに、
「ヨコオちゃん」という、才能はあるんだけど
どうしていいかわかんないような人がいるぞ、
なんていう状況だった。
そんなときに和田さんは『話の特集』の創刊号を、
横尾さんの表紙ではじめたんですからね。
写真
レミ
和田さんが、横尾さんを‥‥そうかぁ。
糸井
それでいうと、ぼくも、
『話の特集』に文章を書いたことがあって、
「あれはいい」と最初に言ってくれたのは、
和田さんなんです。
レミ
あら!
たいへん。
すごい。ほんとに?
糸井
湯村輝彦さんに手伝いを頼まれて、
たいしたことないコピーライターとして、
ほんとうにちっちゃい文章を書きました。
すると、
「糸井ってやつの、あれはいいね、って
和田さんが言ってたよ」
と教えてもらいました。
和田さんが見ててくれたんだ、と思って
うれしくなったし、
急に自信がついちゃったんですよ。
つまり「ああいうのは、いいんだ」と
確認できたんです。
「あれだったら俺は書けるよ」と自分で思えた。



和田さんが言ってくれたからです。
26、7歳のことでしたが、
とても印象に残っています。
レミ
これは今日帰ったら、
和田さんに言わなくちゃいけないね。
うれしい。
すごく、うれしい。
写真
(明日につづきます。
明日は最終回です)
2020-09-12-SAT
和田誠さんの「ほぼ日手帳2021」
2021年のほぼ日手帳のラインナップには
和田誠さんのイラストレーションをデザインした
カバー「時を超える鳥」と
weeks「星座を抱いて」が仲間入りしています。



「時を超える鳥」は、
和田さんが1977年より描きつづけている
「週刊文春」の表紙絵の第1作。
コンセプトは「表紙は読者へのおたより」です。
写真
「星座を抱いて」は、
2002年11月7日号の表紙絵。
和田さんが400年前の星座図を参考に
描いたものだそうです。
写真
和田誠さんのほぼ日手帳について、
くわしくは「ほぼ日手帳2021」のページ
ごらんください。

また、40年以上にわたって描かれている
「週刊文春」の表紙絵の初期作品をあつめた画集
『特別飛行便』も、ほぼ日ストアで販売しています。
※『特別飛行便』は完売いたしまして、再販売はございません。
(9月2日追記)
和田誠さんの
メッセージカードが届きます。
このコンテンツへの感想や、
和田さん、レミさんにむけたメッセージを
ぜひ「往復はがき」でお寄せください。
返信はがきに和田誠さんのスタンプ
(生前にご自身で作られたものと、
今回のために和田さんのイラストレーションで
和田さんのご家族とほぼ日が作成したもの、
ふたつのスタンプを捺します)
の返信はがきをお送りいたします。
写真
※往復はがきとは、
往信と返信がつながったはがきです。
必ず「往信」と「返信」の両方の宛先をご記入ください。
返信の宛先が未記入の場合、
スタンプを捺したはがきはお手もとに返ってきません。
ポストに投函するときには、
往信の宛名が外側になるようにふたつ折りにしてください。
往信はがきの裏面には、ぜひコンテンツの感想や
和田さん、レミさんへのメッセージをお書きください。
<ご注意>返信はがきの裏面には何も書かないでください。



※いただいたはがきの内容は、
平野レミさん、ご家族、ほぼ日が拝見します。
ほぼ日刊イトイ新聞で内容を公開することがあります。
返信はがきに記載された個人情報は、
はがきを返信するためにのみ使用します。



※返信はなるべくはやめに
お出しするようにいたしますが、
みなさまからいただく数によっては
時間をいただくことがあります。
また、郵便事情等による不配につきましては、
責任を負うことはできかねます。
どうぞご了承ください。
往信の宛先:

107-0061

東京都港区北青山2-9-5-9階

株式会社ほぼ日

平野レミ様



返信の宛先:

ご自身の住所、お名前



締め切り:

2020年10月7日消印有効