松本 |
谷川さんの子ども時代の写真で、
模型飛行機を飛ばしてるのがありますよね。
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谷川 |
ああ、はい。
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松本 |
あれはプロの方が撮った写真なんですか?
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谷川 |
いや、プロじゃないと思いますよ、あれは。
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松本 |
ふつうの記念撮影なんですか?
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谷川 |
うーん、どうなんでしょうね、
なんか、あのころの写真って
誰がどう撮ってるのか、よくわからない。
写真機なんか、誰が持ってたのかね。
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松本 |
写真を撮ること自体が
少し特別なころですよね。
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谷川 |
そうですね。いまみたいな感じではないです。
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松本 |
じつは、絵本の最初に出てくる少年は、
あの模型飛行機を持った
谷川さんの子ども時代の写真を見て
イメージしながら描いたんです。
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谷川 |
ええー(笑)。
▲自宅の庭で、1942年頃。
出典『ぼくはこうやって詩を書いてきた―谷川俊太郎、詩と人生を語る』
(山田馨との共著、ナナロク社)
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── |
それは、完全にモデルにっていうことでもなく?
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松本 |
そうですね。
あんまり似せると企画物っぽくなってしまうので、
なんとなく、イメージしながら。
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谷川 |
そうですか‥‥。いや、でも、
どう言っていいんだかわかんないな(笑)。
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松本 |
なんか、手がかりみたいなものが
ほしかったんですよね。
あの写真の谷川さんが、
ちょうど、絵本のなかの少年と、
同い年くらいに見えたので。
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谷川 |
あの写真は5年生ぐらいですね。
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松本 |
ちょうど同じくらいですね。
写真をずっと見てて思ったんですが、
あの谷川さんって、子どものころから、
世界を知ってるような顔をしてますよね。
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谷川 |
ええっ(笑)。
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松本 |
なんていうのかな、子どもなんだけど、
世の中のことをすごくわかってますよ、
っていう顔をしてるんですよ、
写真のなかの谷川さんは。
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谷川 |
ぜんぜんそんなことないんですけどね。
ぼく、すごく人見知りする人だったから、
親しい友だちって、いなかったんですよ。
というより、友だちをつくる必要が
ないって思ってたかな。
そういう感じだったから、
いじめられたりはしましたけどね。
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松本 |
なんかね、顔の造作が
きれいだからなのかもしれないけど、
特別な感じがするんですよ。
たとえば、ぼくの子どものころの写真って、
もっとすごくバカっぽい顔して写ってるんです。
ダンボールに入ってスイカ食べてたりとか。
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一同 |
(笑) |
谷川 |
それは、子どものころのあなたが
自分でやった演出でしょ(笑)?
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松本 |
いえ、そういうんじゃなくて、
なんていうんだろう、ぼくなんかはもっと、
雑に生きてた感じがするんですよね。
だから、写真を眺めながら描いてたときに、
「谷川さんと同じクラスにいたら、
ぼくと口きいてくれるかなぁ」
とか思ってました。
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一同 |
(笑)
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谷川 |
はっはっは。
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松本 |
谷川少年を見ていると、被写体なのに、
ファインダーの向こうからこっちを見てる、
みたいな印象があるんですよ。
ほかの子たちはみんな、
ボーッとした顔してるんだけど、
やっぱり谷川少年だけ、違うんです。
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谷川 |
それはなんか、深読みがすぎるんじゃない?
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松本 |
そうですかね。でも、なんだろう、
そういうふうに感じさせる
なにかがあるような気がするんです。
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── |
実際に似せて描いていないとはいえ、
やっぱり、谷川さんと、絵本のなかの少年は
似ているところがあるような。
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松本 |
そう、あらためて見てみると、
ときどき、すごく似てるんですよね。
みんなのなかで真面目にしてる場面とか。
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── |
谷川さんはご自分でいかがですか?
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谷川 |
うーん、まぁ、似てるかもしれないけど、
俺、こんないい子じゃねえやっていう気も(笑)。
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松本 |
(笑)
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谷川 |
そういう意味では、変な言い方ですが、
自分のいやな面が出てるって感じもする。
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── |
どういうことですか?
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谷川 |
なんか、
利口そうな顔してるじゃん(笑)。
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松本 |
利口そうな顔してますよね。
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── |
利口そうに見えるのがコンプレックス、
ということでしょうか?
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谷川 |
なんか、子どものころの写真見てると、
そんなつもりはないのに
どれも利発な子みたいに写っててさ、
自分としては、それがちょっと気に食わない(笑)。
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松本 |
そっかぁ。
ぼくとまったく逆ですね。
ぼくはほんとに勉強ができなくて、
特殊学級(特別支援学級)とかに入るんですよね、
学校行くと。
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谷川 |
ふーん、うん。
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松本 |
それが自分でうまく受け入れられなくて。
たぶん、授業の邪魔をするようなことを
してたんだと思うんです。
授業中にうるさかったりとか。
なんか、あんまり記憶にないんですけどね。
こう、みんなが列に並んでるときに、
棒を見つけちゃ振って、
そのまま列から離れて
どっか行くような子だったんです。
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谷川 |
そのころはお母さんとは一緒に?
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松本 |
一緒には住んでないですね。
だから、当時は、そのことを
母親に言われるのだけはいやだったんです。
「そんなんしとったら、お母さんに言うぞ」
って言われるのだけはいやだった。
知らないでいてくれ、って思ってた。
実際に、そういう自分を知ってたのかどうか、
話し合ったことはないんですけどね。
ぜんぶ知ってるよ、って言われるかもしれない。
最初に入れられた施設からも
ほかに移されてしまったりもするから、
たぶん、そうとうひどかったんだろう
とは思います。
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── |
いまの大洋さんと、その時代の大洋さんが
つながってる気がしないんですけど。
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松本 |
そうですよね(笑)。
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── |
どこで、どう変わったんですか。
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松本 |
どこで変わったんだろう。
たぶん、大きい施設に移されたときじゃないかな。
ちっちゃい家庭的な施設から、
わりと大きなところに入って、
なんか、圧倒されたんですよね。
中学生も高校生もたくさんいて、
ちっちゃい施設でイキってた自分が、
大勢の半端ない人たちのなかに急に入れられて、
そこで変わった気がします。
あんまりつっぱってると
ぶっ飛ばされそうだったし。
それで、少しずつ、ちっちゃい子にも
気をつかうようになったし。
だから、そこを出るころには、
ずいぶんおとなしくなってたと思います。
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谷川 |
そこを出るのが何歳ぐらい?
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松本 |
中学生です。
その後、親戚のおばさんのところで、
1年間暮らすんですけど、
そのときはまだ少し荒れてて、
母と暮らしたときには、もう、だいぶ、
いい子だったんじゃないかと思います。
施設にいたときは、
悲しいこともいっぱいあったけど、
たのしいこともたくさんあったはずで、
そういうことをぜんぶ漫画にしてみようと思って、
『Sunny』を描きはじめたんですけど、
やっぱり、さっき谷川さんが
おっしゃった話じゃないけど、
悲しい話ってドラマとして落とし込みやすくて。
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谷川 |
はい。
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松本 |
悲しい経験をベースにすると、
手札がワンペアぐらいそろってるとこから
描けるようなところがあるので、
もう、トンとひと押しすると話ができてしまう。
それに、悲しいほうに振ったほうが、
読んでる人の反応もよかったりして。
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谷川 |
うん、うん。
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松本 |
ばかみたいにたのしかっただけで終わる、
子どものころの思い出とか、
話にしたいって思って描こうとするんですけど、
それだけで1話もたせることって、
やってみると案外難しくて。
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谷川 |
それ日本人独特の感じ方かしら。
悲しいほうがつくりやすいとか、
反応がいいとかってね。
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松本 |
ああ、そうかもしれないですねぇ。
(つづきます) |