2015年5月。田附勝は「対岸」に立った。
2011年3月11日から2年をかけて
広い海を漂流したのち
アメリカの港町ニューポートにたどり着いた
「大久喜の笠木」を見るために。
この、不定期すぎる連載の第3回は、
今年の5月に田附さんが「対岸」で過ごした
7日間のできごと&後日譚を、
田附さんの記憶と
良き相棒・田丸尚稔さんの詳細なメモを基に
レポートしていきます。
対岸。何に対する、どこから見た「対岸」?
ともあれ、はじめます。
2015年5月11日。深夜、ボストン着。
空港からUberを使い、
事前にAirBnBで確保していた宿へ向かう。
古いけど、こぎれいなアパートメント。
腹が減っていたので近所をうろつくと
薄暗い照明の、
あまりこぎれいではないカフェを発見。
- カフェのおじさん
-
何か探してるのか?
- 田附
-
まだ、食べることはできる?
- カフェのおじさん
-
大丈夫だよ。
- 田附
-
タバコは?
- カフェのおじさん
-
そりゃダメだ。
- 田附
-
じゃあ、吸ってから入るよ。
なんとなく油っこいサンドイッチで
真夜中の空腹を、とりあえず満たす。
あくる日、5月12日。ボストン美術館。
荒木経惟さん、ホンマタカシさん、
川内倫子さん、畠山直哉さんらも出展した
「In the Wake」展へ。
田附さんの作品は、ぜんぶで4点。
震災後、300部という極小部数で発行した
『その血はまだ赤いのか』から1点、
木村伊兵衛写真賞を受賞した『東北』から1点、
当時の最新作『おわり。』から2点。
会場内をぐるーっとひとめぐりしたあと、
今回のキュレーターである
「ふたりのアンさん」と、しばらく話す。
- アン・ハヴィンガ
-
日本に関する企画展のなかでは
今まででいちばん、集客数が多いです。
あの地震のこと、津波のことは、
アメリカでも
いまだに多くの関心を集めていますし、
忘れてはならない記憶として、
私たちも、改めて、展示をしています。
- 田附
-
私は、東北を撮り続けていますが
日本という言葉から喚起されるのは
東京のイメージかもしれません。
でも私は、
東北みたいな「エッジ」に立つことで
東京のことや、日本のことが
よりよく見えてくるんじゃないかと
思っています。
- アン・モース
-
なるほど。どうしても
「津波」や「放射能」というワードに
関心が寄せられやすいですが、
これからは
より深い現代の日本を紹介することに
大きな意義を感じています。
‥‥というような感じの対話を交わし、
再びUberでボストン空港へ。
運転手は介護の仕事をしているという、
若いお母さん。
「子どもを学校へ送ったあと、
仕事へ向かうまでの時間にできるから、
Uberを愛しているのよ。
思いついた人は、本当に天才だわ!」
日付は変わって5月13日の深夜零時、
ポートランド着。
街灯が少ない道。交差点にまぶしい光。
セブンイレブン。日本みたいだ。
さて、今回の話の主役である「笠木」とは、
1970年代から80年代にかけて
青森県の大久喜に建立された鳥居の一部分。
より正確には、田附さんが
ずっと通い詰めて「魚人」を撮っていた
八戸の中心部からほど近い、
大久喜漁港に立つ鳥居の笠木だったのだ。
震災の津波によって鳥居は倒れ、
数年ののち、
遠い遠い海の向こうの「対岸」の港町に、
その笠木は、流れ着いた。
- 田附
-
はじめて笠木を見たときは‥‥
なんだろう、なんか変な感覚だった。
すげぇ驚いたってわけじゃない。
でも、やっぱり、よく見ると、
ところどころ腐ってるし、
貝とかもくっついてるし、
地震からの時間の経過を感じるわけ。
- ──
-
驚くようなものでは、ない?
- 田附
-
驚きはしない。
ただ「たどり着くんだ」ってことのほうに
感心した。
俺ら人間だって、この笠木みたいに、
何万年だか知らないけど
地球上を、どんどん流れてったわけじゃん?
流れ着くことで、つながっていく。
そういうことに、なんか、感心したな。
- ──
-
笠木に色は残ってましたか?
- 田附
-
残ってたよ。
でも、アメリカ人にしてみたら、
絶対、何だかわかんなかったはずだから
他の流木や木っ端みたいに
処分されたり
燃やされたりしても、おかしくなかった。
でも、誰もそんなことしないで
どこの何だか調べて、
きちんと屋根のあるところに保管して、
連絡してくれた。
それは、一見ただの「木の柱」が、
鳥居の笠木として積み重ねてきた時間や
海を流れてきた時間を、
感じたからなんじゃないかと、思ったな。
実際、少なくないガレキが漂着する土地。
しかし、発見した人たちは
「ただのガレキではなさそうだ」と思い、
ポートランドの日本庭園で
ガーデン・キュレーターの代表を務める
内山貞文さんの元へ連絡を入れた。
それが「鳥居の笠木である」ということは
内山さんだからこそ、わかったこと。
でも、どこから流れてきたものなのか?
内山さんは、笠木に刻まれていた
「高橋利巳」という奉納者の氏名から
「八戸、大久喜」へ、たどり着く。
- 田附
-
俺はさ、そういうことのだいたいを
ヤフニュー(Yahoo!ニュース)で知って、
もう、それだけで
どうしても現地へ行きたくなっちゃって。
面識もない内山さんに連絡して
「すいません、
笠木、見に行きたいんですけど」って
お願いしたら、「いいよ」って。
- ──
-
らしい展開です。
- 田附
-
それまで、俺は、
何年も東北から日本を見てきたんだけど、
笠木のところに自分が行くことで
今度は
「対岸」から日本を感じられるかなって、
そういうふうにも思った。
- ──
-
対岸。どうでしたか?
- 田附
-
まだ、わかんないな。
- ──
-
撮影はできたんですか?
- 田附
-
できたよ。次の日(5月14日)に
内山さんに、
笠木を保管してくれている人の家まで
連れてってもらった。
みんなでガレージから笠木を出して、
太陽の光で、しばらく撮ったよ。
1日戻って、5月13日。
笠木を見た日の前日、オレゴンの海岸へ。
車で1時間半、キャノン・ビーチは
オフシーズンで人の気配がほとんどない。
ジェームスという男と彼の犬に出会う。
- 田附
-
このあたりに住んでるの?
- ジェームス
-
ああ、歩いて5分くらいのところ。
- 田附
-
もう長い?
- ジェームス
-
最近、オステリアから引っ越してきたんだ。
俺はサーファーだから、
このビーチをとても気に入っていて、
海に入ったり、
こうして犬の散歩をしに来たりしてるよ。
- 田附
-
数年前にあった地震と津波のせいで、
このあたりに
日本からいろんなものが漂着してることは、
知ってる?
- ジェームス
-
何かの記事で読んだことがあるな。
- 田附
-
地元の人たちは、どう思っている?
- ジェームス
-
そうだね‥‥放射性物質がどうだとか、
ガレキが流れ着いただとか、
問題だと思ってる人がいるのは知ってる。
でも、そうなった原因は自然の力だろ?
それじゃ仕方ないし、
俺たちには、どうにもできないことだよ。
サーフィンやってて、
サメに出くわすのが仕方ないようにさ。
- 田附
-
うん。
- ジェームス
-
じゃあ、そろそろ行くよ。
- 田附
-
ありがとう。
- ジェームス
-
あ、日本から来たんだっけ?
- 田附
-
そうだよ。
- ジェームス
-
俺の息子が、日本語を勉強してるよ。
- 田附
-
へえ、なんで?
- ジェームス
-
さあ、やりたいから、じゃないかな?
よくわかんないな(笑)。じゃあね。
そして再び5月14日。別の海へ。
笠木が流れ着いたニューポートの海岸。
漁船の集まる場所をうろついていると、
ふたりの若者に出会った。漁師だった。
- 田附
-
何を獲ってるの?
- ダニエル
-
いまのシーズンは、エビだよ。
2日くらいかけて
漁場に網をしかけて帰ってきて、
少ししたら
また2日くらい、海へ戻るんだ。
明日の朝かな、出発は。
その日の天気で、キャプテンが決める。
- 田附
-
なんで漁師になったの?
- レナード
-
電話がかかってきて、
「釣りは好きか?」って聞くから
「好きだよ」って答えた。
そしたら
「漁をやってみる気はないか?」
って言うから「やる」って。
- 田附
-
仕事は好き?
- レナード
-
好きだよ。魚も釣りも好きだし、
金もいっぱいもらえるしね。
- 田附
-
その金で何を買うの?
- レナード
-
やっぱ車かな。
5月15日、疲れが出てきたので小休止。
街の本屋をめぐることにする。
パウエルズ・シティ・オブ・ブックスという店で
『東北』を発見、少しアガる。
5月16日、また別の海。
腐りかけた船ばかりがプカプカ浮かぶ、
墓場のような船着場を見た。
5月17日、最終日。
今回の旅でどれだけ飲んだかわからない
スタンプタウン・カフェへ向かう。
が、マラソン大会で道が封鎖、たどり着けず。
帰りの飛行機は、時間通りに飛んだ。
それから、5ヶ月。
2015年10月3日。大久喜。
2011年3月11日に
津波で破壊され、何年も太平洋を漂い
数千キロ彼方の「対岸」へ漂着した笠木は
多くの人の手を経て、
4年半ぶりに「元いた場所」へ戻った。
青森県八戸市、
大久喜漁港にあった神社の一部が
2011年3月11日に流され、
2年後にオレゴン州の浜にたどり着いた。
今年の10月に、
オレゴン州から大久喜に戻り、
鳥居のかたちに戻って、今日の日を迎える。
僕は残念だけど、現場にはいない。
でも嬉しい。
対岸ってなんだろうか?
海を渡っていくことってなんだろうか?
信仰ってなんだろうか?
ー2015年12月15日に投稿された
田附勝さんのFacebookよりー
田附勝『魚人』刊行。
2014年から約1年かけて撮影してきた
青森県八戸の沿岸部の人々や、その暮らし。
魚、台所、灰色の空、海、漁師の顔。
アメリカで撮った、大久喜の笠木の姿も。
彼らが魚を捕り、毎日ではないにしろ魚を食べ、
海と寄り添い海を感じながら暮らす姿を見た時、
私は彼らの事を「魚人」だと確信した。(本文より)
田附勝さん6作目の写真集となる本作は、
「2冊で1組」です。
三脚に据えて撮った大判の写真と
手持ちカメラで撮った35mmの写真とで
2冊にわけています。
出版元である
T&M PROJECTのページから購入可能。
取り扱いのある書店のリストは、こちら。
田附勝『魚人』¥6,480
<いつかの第4回に、つづきます>
2015-12-21-MON