手で書くことについて ぼくらが考えたこと。
 
第2回 何を書きとめておくか。
糸井 ぼくの話をさせてもらうと、
さきほどうかがった、
松浦さんの若いころの
「メモなんていらない」という考えは
ぼくも同じでした。
だけど、自分が考えたことって
あまりにもとっちらかっているので
どうしても忘れちゃうんです。
それで、今は書くようになったんですけど、
書きとめているのは、
ほとんど自分の考えですね。
西田 人の話を書きとめることは?
糸井 ほとんどないです。
ものの名前なんかを忘れないように
書くことはあるかもしれないけど、
それは忘れても、また調べればいいだけなので
別に書かなくてもいいんです。
だけど、自分の考えはメモしますね。
お風呂に入っているときに思いついたら
そのままバスタオルを巻いて書きに行きますよ。
西田 へぇー!
糸井 体重を書く紙を置いている場所があるので、
そこで書く場合もあるし、
居間まで走って行って書く場合もあるし、
ベッドでいい考えが浮かんだときは
起きて居間まで行くときもあります。
でも、ベッドサイドに書くものを
置いておくってことはしないんです。
なぜかっていうと、「目的」になっちゃうから。
松浦 そうですね。
ぼくも、普段の生活で感じる
「なんかいいな」とか「悲しいな」というような
いろんな種類の感覚を
そのままにしておきたくないという気持ちがあります。
「言葉にするとしたら、どういう言葉なのかな」
と考えていると、
あるとき、ふっと誰かが教えてくれたり、
何かの瞬間にパッと言葉がでたりするんですけど、
それはすぐに書きとめておきたいなと思いますね。
糸井 編集者になるために
生まれてきた人ですねぇ。
松浦 あと、ぼくが書いているのは、
「わからないこと」と「わかったこと」。
その2つが多いです。
西田さんも糸井さんも、
いわゆるメディアを作っているんですけど、
「わからないと思ったこと」というのは
「関心を持ったこと」でもあると思うんです。
糸井 そうですね。
西田 松浦さんって、
「なんでだろう」と思ったものを
情報カードに書いて、2つ折りにして
きれいな瓶の中に入れているんですよ。
糸井 オシャレだね(笑)。
松浦 人と話したときや
新聞や雑誌を読んだときに
わからなかったことをどんどん
カードに書いていきます。
糸井 あぁ、いいですね。
松浦 そして、そのカードがある一定量
溜まったときに
目の前にザッと出すんです。
西田 物理的に、目に見える形で。
松浦 はい。物理的にそれが見えるということだけで、
もうぼくらの仕事の
半分はできているように思います。
糸井 その「わからない」のカードは、
いくつあってもいいわけですよね。
網羅することはできないし、
ゼロにすることもできないという、
中途半端な数がいつでもあるわけですね。
それが脳味噌だから。
松浦 そうですね。
あと、自分で書いているものって、
「あれ、なんでここ白紙なんだろう」
というページがありますよね。
西田 あります、あります。
松浦 ぼくも、カードには書くスペースが
たっぷりあるのに、
一言しか書いてないときがあって。
「その余白が一体何だったのか」
ということを考えます。
糸井 「ほぼ日手帳」でいうと、
震災のあった3月11日のページが白紙で、
「あとで書き込みました」という人が
いっぱいいたんですよ。
それは、自分もそうだったし、
みんなが「それどころじゃなかった」
ということが、
白紙のページからすごく伝わってくるんです。
松浦 それはたしかに
白紙のすごみを感じますね。

(つづきます)
2013-10-07-MON
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