山田 |
セキュリテのファンドでは
「出資」の持つ意味が
とても、大事だと思っているんです。
たとえば、おなじ「1万円」を考えたときに
1万円の「寄付」なのか、
1万円の「出資」なのか、
それとも「出資と寄付の半々」なのか、
お金を出す側としては、気になると思うので。
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小野寺 |
どこへ行くかわからない義援金よりは
「見えるかたちで関わり合えるお金を」
という考えかたを
山田さんから聞いたときに、
あ、この人は天才だなと思ったんですが‥‥。
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山田 |
いえいえ(笑)。
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小野寺 |
でも、震災から丸1年を経て
もうすでに
人々の関心は、薄くなっていると感じています。
被災地以外の土地へ行くと
被災地の現状が、あまり気にならないというか、
気にしなくても生きていける状態に
なっています。
私は、それは当然だと思っています。
なぜかというと
ずっと辛いと思いながら生きていくというのは
被災地の人間にとってもきついから。
我々だって
笑いながら生きていきたいと思っているし。
ですから、
被災地以外の土地で生きている人たちは
なおさら、
そう思って当たり前だと思います。
でも、今回の出資で、
我々は、お金を返していかなければなりません。
そして、我々が、そう努力することで
みなさんが、我々に
10年間の関心を向けていただけるのは、
本当にありがたいことです。
何千人という方が
我々に10年間、関心を向けてくれる。
立ち上がっていく道のりを、一緒に歩んでいける。
本当に、すごい仕組みだなあと思います。
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猪尾 |
八木澤商店さんは、
テレビで取り上げられたということもあって、
寄付のお金も
届いていると思うんですが、いかがですか。
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河野 |
今、やっちくんも言っていたように
長期的に見ていただける
このファンドの仕組みは、素晴らしいです。
寄付のお申し出もいただきますし、
本当にありがたいのですが、
長くつながることのできるファンドでのご支援を
お願いしています。
でも、外には見えていない部分で
すごいなと思うのが、
ミュージックセキュリティーズさんが
経営再建計画書を
一緒になってつくってくれたことなんです。
東京から新幹線に乗って、土日を返上して。
「八木澤商店、
これで本当に大丈夫ですか?」みたいな話を
金融機関の担当者と、
私たち経営者と、ファンドのマネージャーが
額を付きあわせて
お休みの日の夜遅くまでやっている。
その情熱が、ちゃんと国を動かしましたからね。
金融庁を、動かしたんです。
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小松 |
今の「金融庁を動かした」というのは
債務超過の問題のことです。
今回、みなさまに参加いただいたファンドで
集まったお金が、一定の条件を満たせば
資本と見なされるようになったんです。
そのぶん、
債務超過の数字を減らすことができるので、
金融機関も、お金を貸しやすくなるんです。
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山田 |
以前の考えかたですと、
被災地応援ファンドで出資してもらったお金は
「負債」です。
でも、ミュージックセキュリティーズさんが
金融庁に働きかけたことによって、
個人からの出資金が
「資本」と見なされるようになった。
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小松 |
そうなんです。
※出資金が「負債」でなく「資本」として
扱われるようになったことについて
詳しくはミュージックセキュリティーズのレポートを
ご覧ください。
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山田 |
土地も建物も流されてしまっている状態ですから、
銀行としては、どう考えても貸せない。
でも、応援ファンドで出資していただいたお金を
資本として見なすことができれば、
銀行もお金を貸すことができる。
あまり報道されていませんが、
これは、本当に、革新的なことだと思います。
銀行との関係で言うと、話は少し変わりますが、
斉吉商店の和枝さんは
ファンドに参加された直後から、こう言っていました。
銀行の担当者と話すとき、
これだけの個人の方が応援してくれるという事実は
何よりの、信頼性の担保になるって。
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和枝 |
はい。私たちは、こういう方法で
お金を集めることができているんです、という
事実そのものが
金融機関さんにとっては、信頼となりますよね。
被災後の「ゼロもしくはマイナス」の状態から
どうやって商売を再開できるか、
私たちも心配ですけど
金融機関さんは、もっと心配なんです。
ですから、
応援してくださってる方がいるということ自体、
銀行にとって
大きな安心材料になることは、間違いないです。 |
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猪尾 |
満額となった斉吉商店さんのファンドは
金額は「1000万円」でしたが、
和枝さんは「金額以上のものをいただいた」と
おっしゃっていました。 |
和枝 |
本当に、たくさんのものをいただいてます。
私どもは
小さくリスタートするという計画を立てたので、
募集金額も比較的小さく、
ありがたいことに
短期間で、満額に達することができました。
募集期間に間に合わなかったということで、
私どものところにまで
お出かけくださるお客さまもいらっしゃって、
そのお気持ち、
私たちは、じゅうぶんに頂戴していています。
本当に、気持ちの通いあう関係を
築かせていただいているなと思っています。
気仙沼の外へ行商に行くと
会いに来てくださる方が、たいへん増えました。
ですから、売り場には
必ず斉吉の人間が行くようにしています。
なるだけ、自分たちが売り場に立つように。
「ありがとうございます」
という言葉を
心をこめて、かけさせていただいています。
その感動も
お客さまにお伝えしなくちゃということで、
せっせと
ツイッターやフェイスブックやホームページで
情報を出すようになったら、
それを見てくださったお客さまが、
また、斉吉商店の状況に関心を持ってくださる。
ご出資いただいたお客さまはもちろん、
そうでないお客さまとも
深くつながることができてるなと感じています。
今年の3月11日、
私たち絶対働いていたいと思ったんです。
ですから、東京の百貨店さんに、
「この日、来ないか」と言っていただけたので
ふたつ返事で「行きます!」と答えました。
そして、その日、被災した同じ時間、
お客さまが
私たちと一緒に、黙祷してくださったんです。
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猪尾 |
山内さんからは
地域みんなで復興するという話がありました。
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山内 |
商人というのは、
つい、楽で儲かればいいやという考えを
持ってしまうんですよね。
でも、この仕組みがありがたいなと思うのは、
いつでも緊張感があるということ。
そして、
お客さまと長くお付き合いできること自体が
私たちの励みになります。
私たちの南三陸町は、本当にちっちゃいですが、
私ひとりが駆け回っても
町のためには、ぜんぜん役に立たないんですよ。
でも、南三陸町を、水産の力で引っぱって、
いち早く復興したい、
そういう強い気持ちを、持っているんです。
それにはやはり、全員一緒です。
タッグを組んで、みんなで復興するんです。
そのことを旗印にしてやっておりますし
そのこと自体が、
南三陸に人を呼ぶ力になるんじゃないかなと
信じております。
まあ、人間はすぐに安心してしまいますけど
それでは、だめですよね。
ですから、みなさんにお願いしたいのは
ぜひ、私たちに、刺激を与え続けてほしいと。
刺激が、支援だと考えています。
<つづきます> |