猪尾 |
工場ができれば「ひと安心」というような
印象がありますけれど、
どうやら、そうではないようです。
お金が集まって、工場が完成したとしても
そこから先が
実は「本当の試練」だとうかがっています。
陸前高田の八木澤商店さんでは、
震災以前、
「水産加工会社への売上」が「5割」を
占めていました。
今後、順調に自社工場ができたとしても
同様に、取引先の会社さんにも
復活していただかなくてはなりません。
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河野 |
はい、そのとおりです。
私どもの会社は、売上では「半分」が、
お客さまの数にして「8割」が、
この地域の水産加工会社さんでした。
でも、震災から1年が経った今、
八木澤商店とコラボレーションして
商品を出そうと
おっしゃってくださるお取引先が増えています。
みなさん、立ち上がろうとして
必死になって、やってらっしゃいます。
私ども、そうです。
であるならば、
新しい価値を創造していかなきゃならない。
いろんなところに
可能性は秘められていると思います。
たとえば、一関市にアーク牧場といいまして、
豚肉を加工してネットで売る
すごく売れているソーセージ屋さんが
あるんですけど
先日、そこへうかがって
味噌とソーセージでなにかできないかな、と
話していたんです。
で、そのときに、
そういえば、どっかのコーヒー屋さんが
おいしいサンドイッチを出してたな、と‥‥。
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会場 |
(笑)
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河野 |
あのコーヒー屋さんでは
フランスから
クオリティーの高いパンを輸入しています。
そこで、すぐに電話したんです。
そのコーヒー屋さんの、誰かさんに。
そしたら
その誰かさんも「今から行きます!」と。
まあ、頼みかたはかなり勇み足だったと
思うんですけれど(笑)、
話を振ったらすぐ反応してくれる仲間がいて
一緒にチャレンジしながら
世の中に商品を出していくことができる。
だから、新しい可能性は、
いろんなところに、秘められているんです。
三陸、気仙沼という地域を
新しくブランド化してゆく可能性を
追求していきたいと思います。
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猪尾 |
コーヒー屋さんとお醤油屋さんの
コラボレーションって、
これまで、震災の前には、あったんですか?
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河野 |
ないです。
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小野寺 |
ないです。
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猪尾 |
じゃあ今回、コーヒー屋さんのやっちさんが
やってみようと思われたのは?
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小野寺 |
ま、電話がかかってまいりまして、
その方、いきなり
「ソーセージサンドのパン、
売ってくださいよ!」
と、こう、おっしゃるんですよ。
私どもアンカーコーヒーでは
基本的に「卸」はしないという考えがあって、
これまで
「B to B」をやってこなかったのですが、
でも、勢いづいた、その方を納得させるには
どうしたらいいかなぁ‥‥と思った末、
「じゃ、うちで売ります」と。
それなら、社内的にも、お客さん的にも
納得してもらえますし、
単純に
「味噌の入ったソーセージ、
食べてみたいな」という思いもあって。
味噌の入ったソーセージのサンドイッチ、
何だかおもしろそうじゃないですか。
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山田 |
石渡商店さんは、8月くらいから
新しい工場を稼動されるということですが、
生産能力的には
震災の前とくらべると‥‥?
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石渡 |
施設の規模は同じぐらいですが
新しい建物、新しい機械が入ることにより
過去の問題が一掃されて、
プラスになると考えています。
また、従業員のモチベーションも
かなり高まっています。
以前から熱心な従業員ではあったんですが
震災後は
みんなの士気が、特に高いです。
全国的に「気仙沼=フカヒレ」という
イメージもあると思いますが、
地元の気仙沼の人が食べているかというと、
食べいてないんですね。
ですから、今はコラボレーションしやすい
状況でもあるので
新しい商品開発を進めていきたいです。
やっちさんのところと
フカヒレとか‥‥。
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小野寺 |
やりましょう。
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会場 |
(笑)
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石渡 |
ありがとうございます。
とにかく今は、いろんな可能性があるので、
夜も眠れないくらい
頭の興奮している状態が続いています。
気仙沼の水産加工会社どうし、
あるいは異業種どうしで協力し合うことが、
とても大切になると思います。
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猪尾 |
水産関係の現場については、
震災前は「あまり希望がなかった」という話も
聞いています。
ですから、
「今、眠れないほどわくわくしている」
という言葉を聞いて、すごいなと。
そのエネルギー、どこから生まれるんでしょう。
震災前と後で、どういう変化がありましたか?
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石渡 |
私自身、仕事に対する意識が変わりました。
震災後に
まず「気仙沼のフカヒレ」という
大きな看板が頭に浮かんだんです。
踏ん張って、この看板を掲げ続けなければ
気仙沼の水産は復活できないと思いました。
一企業としての力は小さいですが、
精一杯やってみようと
気持ちを切り替えて、進んできました。
フカヒレは
とても景気に左右される商品です。
震災前の日本といえば、
景気がどんどん、落ちていたときですから、
私自身、とても悩んでいたんです。
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猪尾 |
そんな中、震災に遭われて、
「気仙沼ブランドを背負っていかなければ」
と思った石渡さんは
同業者さんと連携したんですよね?
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石渡 |
はい。震災後に
「気仙沼ふかひれブランドを守る会」
を立ち上げました。
実は‥‥フカヒレ業界というのは
これまで、あまり仲よくやってこれませんで、
震災前は
お互いに一切、仕事の話をしなかったんです。
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猪尾 |
そうなんですか。
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石渡 |
個々の業者が、それぞれに
伝統、独自の技術を築き上げていたという
状況だったんです。
でも、再建していくには
協力してブランドを守っていかなければ
ならないと思いました。
私が「守る会」の構想を考えついたとき、
自分と同年代で
後継者にあたる息子さん、娘さんなど
30代の方に声をかけてみたんです。
そうしたら、
みなさん、思っていることが一緒でした。
「ぜひ、協力してやっていきたい」と。
やはり、
1社だけでは再建していけないんだなと
そのとき、思いました。
<つづきます> |