宇野祥平さん(花札仲間の「村上」役)
みんなでお酒を飲みながら
花札をやっているシーンに出演。
筑豊の街のセットに本当に驚いたとか。
撮影後の嬉しい思い出も語ってくれました。
松岡達矢さん(監督助手)
現場では監督助手という役割で
「カチンコ」を打っていた松岡さん。
ニックネームがなかなか定着せず、
二転三転したその理由とは‥‥。
松岡錠司さん(監督)
数多くのスタッフの先頭に立って、
『東京タワー』を引っ張ってきました。
VTRを見ても分かるように、
いつも明るく楽しく頼れる監督です。
小林麻子さん(「似顔絵教室の事務員」役)
似顔絵教室でバイトする「ボク」に
借金取り立ての電話を取次ぎにする役。
「ボク」に「自信持って下さい」と逆に励まされる
やりとりは、実は台本にはありませんでした。
勝地涼さん(「平栗」役)
モヒカン頭にしたり、オカマになったり。
先輩の俳優さん達に囲まれて、
刺激を受けた経験を語ってくれました。
樹木希林さんからは、こんなアドバイスも‥‥。




リリーさんのマネージャーとして『東京タワー』を見続け、
物語のなかにも登場する、BJさん。
映画版ではプロデューサーとしても関わった「いちばんの目撃者」に、
他では聞けない、映画製作のこぼれ話をうかがってきました。
なお、聞き手の「ほぼ日」西本が妙になれなれしいのは、
ふたりが草野球チーム「ヤングジャイアンツ」の
チームメイト同士だからです。あらかじめ、ご了承下さい!





西本 単行本の『東京タワー』が発売されて、
どんどん売れていったじゃないですか。
真横で見ていて、どうでした?
あれあれあれ〜って感じ?
BJ そうですね。
西本 だって、いま210万部でしょ?
ここまで売れるってことは
正直な話、誰も思ってなかったというか‥‥。
BJ まあ、そうですね。
西本 本が完成するまでを遠くで見てましたが、
もともと、仕事としてではなく、
自然と書きはじめてたんですよね。
BJ 原作本の『東京タワー』には、
一枚だけ挿し絵が入っているんですけど、
あの絵は、
お母さんが入院されてるときに描いていました。
西本 誰に頼まれたわけでもなく‥‥。
それって、文章もですか?
BJ はい。おそらく、
なにか残しておきたいというか、
なにかできることはないかと
書かずにいられなくなって、
「オカン」のことを書きはじめたんだと思います。
西本 もう、走り書きみたいな感じで‥‥。
BJ 入院しているとき、
すでに冒頭の部分は書いていますから。
でも、やはり、
なかなか書き進められるものではないと
思いますからね。
当時、本人もこのことを
まとめて出版するとも思ってなかったでしょうし。
少しづつ、時間をかけて
書いていこうと思っていたはずですけど。
西本 発表する場があったわけでもない。
BJ 自然と綴りたくなったんだと思います。
西本 それと、じつは『en-taxi』より前に
『文藝』という雑誌で
『東京タワー』の冒頭の文章が
掲載されていましたよね?
BJ はい、その後、
福田和也さん、坪内祐三さん、
柳美里さんとの同人編集で
文芸雑誌『en-taxi』を創刊することになりまして。
連載で長いものを
何か書きましょうということになり。
西本 『en-taxi』って季刊誌だから、
年4回の刊行ペースでしたよね。
BJ 結果、9回で1冊の本にまとまったんですけど、
本人のなかでは
小説という意識はあまりないと思うんですよね。
実際に、連載第1回目のタイトルには
「連載長編エッセイ」と記されてるくらいですから。
西本 「長編エッセイ」ですか。
BJ 確か、連載2回目のときに、
「長編エッセイ」と表記されているものを、
福田和也さんはじめ、編集の方々が、
この作品は、たぶんスゴいことになると思うから、
「エッセイ」という冠は外したほうがいいのではと。
もちろん、「エッセイ」が違うということではなく、
なにかのワクに絞り込まれてしまうのが
もったいないということを、おっしゃっていただいて。
ですから、「小説」とも表記していていないんです。
西本 なんと?
BJ 長編「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」と。
連載3回目からそうなっています。
西本 そうですか、
リリー・フランキーが自伝的小説に挑戦!
みたいなこととは、
少しちがうってことですよね。
BJ 究極のエッセイですよ。
よく自伝的小説と言われますが、
本人はそう思ってないです。
「長編」という表記に変更されたので、
小説であることには違いないのですが、
自伝的小説ではないと思います。
自分のことではなく、人(息子)のために生きてくれた、
ひとりの母親のおはなし(人生)を綴ったという
意識でいると思います。
西本 自分のことは殆ど書いてないですもんね。
自分からの視線で母親のことを丁寧に綴っている。
『en-taxi』での連載では
何回で終わるとか予定はあったんですか?
BJ 本人のなかでは、だいたい
どれぐらいの分量になるかなというイメージは
あったんでしょうけど。
西本 取材メモとかも、もちろんない。
BJ ないですね。
ただ、時間の流れを把握する意味で、
原稿用紙に自分と家族との年表のようなものは
書いていましたね。
西本 編集者泣かせで有名なリリーさんですが(笑)、
『en-taxi』では、
原稿を落としたりとかはなかったんですか?
BJ これはもう、編集長はじめ、
みなさまに大変ご迷惑をおかけしたと思ってます。
発売日が遅れてしまったということが
何度かありましたし、
落とすということがないように
無理していただいてたというか、
締切になると『en-taxi』編集長の壹岐さんが
事務所に一週間くらいは泊まってましたね。
西本 すごい。最終回にこぎつけるまで、
やっぱり大変だったんですねぇ。

<つづきます>


2007-04-05-THU


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