糸井 |
だけど、聴いてましたでしょう? |
大瀧 |
聴かないよ! |
糸井 |
僕は逗子とんぼとか聴いてましたよ。 |
大瀧 |
エーッ! |
糸井 |
ラジオの届く範囲の問題なのかなぁ‥‥?
群馬と岩手で聴けるものが違ったの? |
大瀧 |
いやぁ‥‥NHKラジオは
全国津々浦々、だよ。 |
糸井 |
NHKだものね。
僕は、千葉信男、逗子とんぼ、
楠トシエ、中村メイコ‥‥ |
大瀧 |
でも、6歳か7歳ぐらいのはずだよ。 |
糸井 |
「田舎のバス」なんかは、
もう、歌いまくってましたよ。 |
大瀧 |
あ、「田舎のバス」は歌ってたよ。
でも、それって「日曜娯楽版」じゃなくて、
「田舎のバス」は普通に流行ったんですよ。 |
糸井 |
流行った、流行った。
あと、「トリローサンドイッチ」という‥‥ |
竹松 |
多分、「みんなでやろう冗談音楽」とか、
NHKではなくて、文化放送のラジオ番組を、
糸井さんはお聞きだったんでしょうね。 |
糸井 |
そうか! 文化放送時代ですかね。 |
大瀧 |
文化放送は北関東は入るんだよ。 |
糸井 |
そこで分かれるわけか。
NHKの「日曜娯楽版」に
僕らは間に合わなかったと。 |
大瀧 |
そう、そう。そして僕の育ったところは
民放は入らないから。
岩手放送はTBS系だから
「赤銅鈴之助」なんかのTBSのものは入る。
けれど文化放送が入らないんだよ。 |
糸井 |
そうか‥‥じゃ、僕は文化放送なんだ。 |
大瀧 |
だって、7歳、8歳じゃ、無理だよ、俺たち。
いくらなんでも、あんまり‥‥
内容が大人っぽいもの。 |
糸井 |
じゃ、大瀧さんが鶏郎関係の
コントみたいなのを聴いていなかったのは、
民放だったからか。 |
大瀧 |
民放だったから、だと思いますよ。
僕は一切、鶏郎さんのラジオは
リアルタイムでは1回も聴いたことがない。 |
糸井 |
そうか。
今回、僕がすごいなと思ったのは、
CDにしてもらったやつを全部聴いたら、
親父が言っていた冗談が
山ほど入ってるんです。 |
大瀧 |
アハハハ‥‥! |
糸井 |
たとえば漫画家が漫画のネタというのを
どういうふうに作っていたかと考えると、
「とかなんとか言っちゃって」と書けば、
漫画って成り立っちゃうんですよね。
「とかなんとか言っちゃって」と書くと、
それが面白いって、
みんな思っていたわけだよ。
でもそれって、鶏郎さんの影響なんですよ。 |
大瀧 |
一般の人はみんな言ってたよ、
そういう種類のことは。会話の中に必ず。 |
糸井 |
‥‥じゃ、大瀧さんは、
親父だとか、大人の冗談として‥‥ |
大瀧 |
うん。全般的に。
ただ、母一人子一人で父親がいないので、
男性文化が無いんですよね。
それは、周りから聞いたというようなことで。 |
糸井 |
みんなが、そんなことを言ってたんですよね。 |
大瀧 |
言ってましたよ、なんでも。
ヒット曲とか流行り言葉とか、
そういうのを会話の中に入れるというのは、
日本人の大衆の基本的な
素養だったんじゃないですか。 |
糸井 |
だから当時は、ラジオっていう幹が一つ、
うわーっとでっかい木が1本立っていて、
そこから花粉やら何やらを撒き散らして、
漫画家が流用し、酔っ払いが流用し、
家庭の中の食卓でおもちゃとして使う。
そうやって、大木の陰にみんなが入っていた。 |
大瀧 |
戦後、やっぱり、娯楽がなかったから
ラジオに集中したんです。
聴取率が60パーセントになるということは、
あれしかなかったということです。 |
糸井 |
そこで80パーセントの
聴取率みたいなものを持っていた鶏郎さんは、
自分が今日思い付いたようなことを言うと、
日本中にそれが流れる‥‥(笑)! |
大瀧 |
‥‥ねぇ。半年ぐらいでみんなが
知っている存在になったというのは、
やっぱり、そういうことなんじゃないですか。 |
竹松 |
コントに書こう、というよりも、
なんでもコントになっちゃう。
食料が配給の時代には、
「スケソウダラ、スケソウダラ、
スケソウダラ」と言うだけで、
それがコントになっちゃうと。
コントを書こうと思って書くというよりも、
「すべて、町の中のことがコントなんだよね」
ということなんですよね。 |
糸井 |
‥‥と、言ってましたか! |
竹松 |
言ってましたね。 |
大瀧 |
引いて見ているからね。結局、
あの人とロッパさんと
よく似ているのは、距離。
自分自身のやっていることを
必ず見ている自分がいる、というのが
よく似ているでしょう。
引いているでしょう。 |
糸井 |
クールですよね。 |
大瀧 |
それと‥‥みんな、戦後でしょ。
戦後、世の中ががらっと変わったというので、
みんなシニカルになっている。
そこで、引いて見ている。
全部、笑いのモチーフということに
なるんですね。 |
糸井 |
曲のタイトルの付け方を
ずーっと見ていっても、
すごくクールですよね。
「夢をみた」というタイトルがあって。 |
竹松 |
ありましたね。 |
糸井 |
ショックでさぁー! |
大瀧 |
おっ、作品論の解説は
糸井さんのほうが面白いと思うよ。 |
糸井 |
とにかく‥‥嫌なのよ。
「夢をみた」というタイトルを付けて
終わりに出来ちゃうという、その心が。
どういうタイトルにしていいかというと、
色々なタイトルがあるんですよ。
だけど、「夢をみた」というタイトルを
付けられるときって、相当忙しいか、
追い込まれて追い込まれて作った、
という実感があるんですよ。
聴いてみたんですけど、
「夢をみた」と付けた人の、
その忙しさが見えてきたんですよ。 |
大瀧 |
うん。‥‥何年ぐらいのですか? |
竹松 |
初期ですよね。 |
糸井 |
初期ですか。 |
竹松 |
でも、この曲はコミックソングでは
ないですよね。リリカルソングに入ります。
「夢をみた、夢をみた、
遠いあなたの夢をみた」というような、
鶏郎先生の一番メロディアスなタイプの
曲ですよね。 |
糸井 |
「夢」って付け直してもいいし、
「夢を見たのはなんとか」とか‥‥ |
大瀧 |
「何とかの夢を見た」とか、
「夢を見てなんとかをする」というのは
歌謡曲になるから、切ったんでしょう。 |
糸井 |
頭の出だしの一言を
そのままタイトルにしているので、
まるで仮題みたいなものなんですよ。 |
竹松 |
鶏郎先生の楽曲は、最初の出だしが
タイトルになることが多いんです。 |
大瀧 |
そう。多いんだよね。 |
糸井 |
多いんですか! |
大瀧 |
ほとんどだよね。
8割そうだといってもいいよ。
だから、与えられたら、
それを繰り返してモチーフにしていって
曲にするという、
そういうスタイルなんですよ。 |
糸井 |
‥‥8割もある? |
大瀧 |
いや、俺は8割と見ている。
倒置法もあるから。
作るときにはそう作っても、
ひっくり返したりとか、
いろんなものを足したりすることはあるから。 |
糸井 |
そうか、そうか。ということは、
作品を作っているという実感は、
あまりなかったんじゃないかな |
大瀧 |
一番、CMに向いている。
タイトルと出だしが合う、というのは。 |
糸井 |
やっぱりね。 |
大瀧 |
前々からそういう人だったみたいね。
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