ムーミントロールのおかあさんとおとうさんは、
いつでもちっともおこらないで、
そんな新しい友達をむかえてくれました。
そうして、寝室に新しいねどこをこしらえ、
食堂のテーブルには新しい葉っぱをだしてくれるのでした。
そんなわけで、ムーミンやしきはいつでも満員でした。
そこでは、だれでもすきなことをやって、
あしたのことなんか、ちっとも気にかけません。
『たのしいムーミン一家』
(トーベ・ヤンソン著 山室静訳)より
重松
1994年といったら、日本でも
北欧ブームというほどではなくても、
食器や家具が注目されはじめていた頃なのかな。
ノキアは‥‥。
森下
ノキアはまだ日本では
一般的ではなかったかもしれないです。
重松
森下さんが魅かれたフィンランドは、
森と湖の国・スオミの大自然なのか、
ヘルシンキのような街なのか、
どちらでしたか。
森下
いちばん最初に行ったのは、
人口が多分300人ぐらいの
小さな村の中にある学校でした。
寄宿舎があって寝泊りできるところです。
フィンランドの文化とフィンランド語を勉強するために
そういうところに行ったんですね。
地元の、フィンランド語しか
コミュニケーションの手段がない
小学生の女の子と一緒に遊んだりしながら、
なんとなく度胸だけはつけていきました。
重松
ちょっとそこでね、
その「フィンランド語」ですが、
取材で行ったときに驚いたのが、
フィンランドでは、
ほとんど英語だけでなんとかなりますね。
森下
そうなんです。
重松
森下さんもこうおっしゃったんだよね。
「フィンランド語を覚えても、
世界中で何百万人しかいないわけで、
それだったらむしろ英語を覚えたほうがいい」って。
言葉の問題でいくと、フィンランド語と
スウェーデン語が公用語で、
あとラップランドに行ったらサーミの言葉もある。
標識にみっつ並んでいた。
森下
北の方はそうでしたよね。
重松
だから、言語としては複雑ですよ。
スウェーデン語というのは、
日常に相当入ってきてるわけですか。
森下
ヘルシンキの俗語
には
スウェーデン語由来のものもありますね。
一部の地域、フィンランドの西海岸になると、
フィンランド語がまったく通じない地域があります。
スウェーデン語が100パーセントなんです。
「フィンランド語よりもいっそ英語を使って」
と言われるくらいです。
ただ、ヘルシンキ市内のスウェーデン語を話す人は、
6パーセントとか7パーセント。
完全なマイノリティです。
ヘルシンキの俗語
現在は英語やロシア語由来の俗語も増えていますが、
かつては俗語の4分の3がスウェーデン語由来でした。
例えばトラムのことを「スポラ」と呼んだり、
市(自治体の)を「スタディ」と呼ぶヘルシンキの俗語は
スウェーデン語由来のものです。(森下)
重松
もともとスウェーデンはフィンランドの宗主国。
だから、スウェーデン語って、
かつて支配していた国の言葉であるという、
複雑な印象がありますね。
フィンランド語の人たちは、
スウェーデン語を使う人たちに対して、
複雑な思いが、やっぱりあるんですか。
森下
はい。普通はマイノリティと呼ばれてる人たちは、
社会で弱い立場にいる人たちなんですけど‥‥。
重松
そう、逆なんだよね。
森下
逆なんです。
マイノリティの中でも、
とても特殊なのがスウェーデン語系フィンランド人、
と呼ばれている人たちです。
エリートのマイノリティなんですね。
重松
そうなんだよね。
おそらく、フィンランドナショナリズムというのが
高まれば、そこに対する反発、
かつてスウェーデン語を強いられてきたという思いが、
相当、高まったんだろうけれど。
森下
もちろん反発する人たちもいるんですよ。
いまだに学校で必修でスウェーデン語を
やらなきゃいけないけれど、
「使わないじゃないか」って言う人も多い。
「英語のほうがよっぽど必要だ」とか、
「フランス語のほうがまだ使い勝手があるんじゃないか」
という言われ方もしてるんですよね。
ただ、フィンランドを独立に導いてくれたのは、
スウェーデン語系のフィンランド人たちです。
当時のフィンランドを
一所懸命引っ張ってくれたリーダーたちです。
だから、そこに対する敬意というのも、
一方では持っているんです。
重松
近い例で言うと、『外套』や『鼻』で知られる作家、
ニコライ・ゴーゴリは
ウクライナ出身の作家なんだけど、
ウクライナ語ではなくロシア語で作品を書いて、
「ロシア文学」とされていることについて、
ウクライナでは、複雑な思いがあるみたいです。
これはね、きちんと考えるべきテーマかもしれないけど、
日本文学と日本語文学って
何なんだということにも通じますね。
2008年に、芥川賞を
中国籍の楊逸(やん・いー)さんがとられたでしょう。
その時、日本語を母語としない
日本語の使い手が書いたものは
果たして「日本文学」なのか「日本語文学」なのか、
そういう議論もありました。
この話をトーベ・ヤンソンに持っていくと、
トーベはまさしく
スウェーデン語系のフィンランド人ですね。
森下
ええ、母語をスウェーデン語とし
フィンランド人のアイデンティティーを持つ人。
お父さんはスウェーデン語系フィンランド人で──。
重松
お母さんがスウェーデン人。
森下
だからトーベ・ヤンソンのムーミンというのは、
スウェーデン語系フィンランド人たちの、
大切な文学のひとつであり続けているんですよ。
『世界は素晴らしい』というタイトルの、
スウェーデン語系のお芝居が
フィンランドであったときに、
それは戦前ぐらいから現代までの
ある一家の歴史をとり上げた物語なんですけど、
50年代の初め頃の描写として
登場人物がムーミンの小説を読んでいるシーンが
出てくるんですね。
なぜ50年にそれを持ってきたかといったら、
フィンランド語を話すフィンランド人たちのあいだでは、
50年代のはじめってまだそれほど
ムーミンが取り上げられてない時代なんです。
だからこそ、スウェーデン語系のフィンランド人は
そこにあえて入れていく。
「わたしたちは、先に理解していたぞ」と。
重松
わざと、入れ込むんだね。
森下
スウェーデン語系の人たちのお芝居を見に行くと、
フィンランド語の人たちよりも、
さらによく笑うんですね。
その笑いって一体何なんだろうって言ったら、
自分たちが一緒にいるということの‥‥。
重松
確認みたいなもの。
森下
そうなんです、そうなんです。
やっぱり自分たちはマイノリティ。
エリートみたいな扱いをされたりはするけれども、
どこ行っても聞こえてくるのはフィンランド語で。
街の中で自分の母語を話せない環境なわけですよね。
そういうなか、みんなで集まって、
スウェーデン語のお芝居を見て、
細かいところ、ちっちゃなところで笑い合う。
重松
マイノリティの問題だったら、
たとえば在外中国人や在外日本人は
リトルチャイナとかリトル東京をつくったりして
まとまるわけなんだけど、
例えばヘルシンキには、
スウェーデン人街ってあるんですか。
森下
ないんです。
重松
もう、じゃ、みんな、バラバラになってて?
森下
はい。これは、
スウェーデン語系の人に限ったことではなく、
移民の人たちとかも、政策として、
できる限りゴッチャに住まわせるようにしてるんです。
重松
ひとところに集めないんだ。
森下
生活保護で生活してる人たちに
市が提供する部屋が、
普通に市民が購入して住んでいる
アパート内に混じっていたりもします。
もちろん学区もゴッチャになっていますし。
ではその政策が現実的にどうかといったら、
100パーセントうまくいってはいませんけれど。
相変わらずちょっと失業者が多いエリア、
とか、あることはあるんです。
重松
とくに今、アラブ系の労働者をどう受け入れるか、
ヨーロッパ各国でも議論になっていますよね。
難民の流入の問題もありますが、
フィンランドはわりと受け入れるほうなんですか。
森下
フィンランドの人たちは、
圧倒的に自分たちに労働力が足りていない、
という自覚はあるんですよ。
けれども極右の人たちというのもいて、
ちょっと世間話でも、
「外国人が多くなってから犯罪が増えた」とか、
「自分たちだけだったときは、
こんな窃盗もなかったのに、
この頃は家もちゃんと鍵を掛けないと、
おちおちと生活してらいれない」みたいな
言われ方をすることも、あるにはあります。
けれども、わたし自身が生活していて、
そういうことを感じたことは一度もないですね。
重松
なるほどね。
「しかし、またいっぽうから考えると、
どんなにモランはさびしいことでしょう。
だれにも愛されないんだものねえ。
だからあの人は、みんなをにくむんです」
──スニフ
『たのしいムーミン一家』
(トーベ・ヤンソン著 山室静訳)より
2015-03-05-THU