ヘムレンさんのまわりでは、
雨にぬれた公園がしきりにゆげをたて、
日にきらめいていました。
そこはいかにも青々と、気ままにおいしげっていました。
もう長いこと、だれひとり枝をきったり、
木の下をはいたりしたことはなかったのです。
木々の枝は土の上までたれ、ばらやぶがたてよこ十文字に、
木々にはい上がっていました。

                   『ムーミン谷の仲間たち』
             (トーベ・ヤンソン著  山室静訳)より
重松
ヘルシンキを歩いていたら、
トーベ・ヤンソンみたいな鼻筋のスッとした細面の、
スウェーデン系の人たちの顔と、
それからスラブ系というのかな、
ほっぺがちょっと膨らんで‥‥。
森下
ちょっと頬骨が出てる人たち。
重松
ちょっとエリツィンみたいな顔をしたオバサンたちね。
森下
そうそうそう(笑)
ふたつのタイプのフィンランド人

顔が丸くて頬がでている顔の人が
実はけっこう多いのです。
満月のような顔の人たち。
西の影響を強く受けている人たちと、
東の、ちょっと私たちにも共通点がありそうな
見た目の人たちがフィンランドにはいます。(森下)
重松
そんな流れがあるなっていつも思っていたんです。
東にロシアがあり、南にはドイツがあり、
西にはスウェーデンという大国に囲まれて。
第二次世界大戦でも、
ドイツと戦って、今度はソ連と戦って。
だから敗戦国の扱いなんですよね。
森下
最初は対ドイツだったのに、
気がついたらソビエトが攻めてきたというので、
急いで今度はドイツとくっついて戦って、
そこで終戦を迎えたので、
敗戦ということになったんです。
重松
ソ連に相当な賠償金を支払ったんだよね。
森下
だから、1952年のヘルシンキオリンピックというのは、
自分たちの中のすごい象徴だったりしたんですよね。
重松
ようやく戦争が終わったという、象徴だったんだね。
森下
やっと自分たちはここまでこぎつけたという。
そこから自分たちの明るい未来が始まるというか、
「ここまで来た。あとは自分たちが頑張ろう」みたいな。
日本に対する親密な気持ちというのも、
お互い敗戦国で終戦を迎えたけれども、
そこからものすごい勢いで立ち上がってきたという、
そういう意識がありますね。
重松
だから、本当にソ連、
いまのロシアをあいだに挟んだら、
フィンランドと日本は1軒置いたお隣さんなんだよ。
森下
そう、本当に、そうですよね(笑)!
隣の隣の国なんです。
重松
フィンランドに向かう飛行機は
ユーラシア大陸を行くから、
そんなことをしみじみ思うなあ。
森下
フィンランドの人たちはとても親日的ですよ。
「自分たちは本当によく似てる」と言って、
「ヨーロッパの日本」って
自分たちのことを呼んでる人もいます。
「自然を大切にしてるところも似てるよね」とか、
「自分たちが忘れてしまったことを
 日本の人たちはまだ持ってるような気がする。
 例えばお年寄りを敬うとか」というふうに。
今の日本がどうかはともかく、
彼らが持ってる日本のイメージというのは
そういうものですね。
重松
この本の中でも、トーベが、
日本人にとっての山と、
スオミ(フィンランド)の森は同じだと。
だからポジティブな孤独を味わえると言っていますね。
逆にね、スウェーデン語を話す、トーベのような、
あるいはフィンランドの上流階級のみんなが、
スウェーデンという国に対して、
「向こうのほうが本家本元だよな」みたいな、
ある種のコンプレックスはあるんでしょうか。
森下
コンプレックスというよりも、
「自分たちはフィンランド人です」
ということをはっきりおっしゃいます。
重松
言葉はスウェーデン語なんだけれども‥‥。
森下
そう、スウェーデン語だけれども、
自分たちはフィンランド人ですと言う。
だから、スウィディッシュ・フィニッシュみたいな
言い方をするとよくないんですよ。
スウィディッシュ・スピーキング・フィニッシュ、
と言わなきゃいけない。
「スウェーデン“語”系フィンランド人です」と。
重松
あ、そうかそうか、
スウェーデン系じゃなくて、
スウェーデン語系。
なるほどね。
森下
そこはみんなはっきりしています。
だから、トーベ・ヤンソンはやっぱり
フィンランドの人なんですよ。
重松
ただ、彼女はこのムーミンを、
フィンランド語で書いたかというと‥‥?
森下
スウェーデン語なんです。
さらに、本当に悲しいことに、
フィンランド語に訳されるまでに
ものすごく時間がかかったんですね。
重松
たしかトーベのお母さんは
最後までフィンランド語がダメだった。
森下
そう、話せないままだった。
重松
お父さんはフィンランド人。
森下
そうです。スウェーデン語系のフィンランド人です。
重松
だから、トーベはお母さんの母国のスウェーデンに
生まれ育っている可能性だってあったわけですよ。
もし、お母さんの実家のほうに
お父さんが来てくれてたら、
まったく変わった感受性になったかもしれない。
森下
違っていたと思います。
戦争というものに、
いかに彼女が翻弄されたかもありますが、
ムーミンという文学が生まれた
おおもとのきっかけを考えると、
フィンランドにいればいるほど、
「やっぱり、ここで、これが生まれたんだな」
という実感が強くあるんです。
やっぱりスウェーデン人とフィンランド人って
明らかに違うんですよ。
スウェーデン人は人とのコミュニケーションが
とても上手で、洗練されているんです、
重松
そう、スマートなんだよね。
森下
オシャレだし、
人との関わり方もとても器用なんですけど、
フィンランド人ってやっぱり朴訥としていて。
重松
そう。すぐにひとりで森に入っちゃう(笑)。
森下
そうなんです!
重松
ケミからボスニア湾をずっと遡り、
北のほうに入っていったら、
国境に川(トルニオ川)が流れていましたね。
そんなに大きくない川を挟んで、
橋のこっち側がフィンランドで、
橋を渡るとスウェーデンという、国境の町があった。
で、川の両岸を交互に見ると、フィンランドの家の庭は、
こう言っちゃナンだけど、けっこう雑なんです。
森下
そう(笑)!
重松
スウェーデンのほうは、
ガーデニングをちゃんとやってるのに。
そういう面では、スウェーデンのほうが
洗練されてるのかもしれない。
ガーデニングとしての植栽をきちんとやっている。
フィンランドのほうは、
自然の森がそのまま残っている。
そこに勝手に入っていっちゃう感じが、
自分の家の庭にもあるんだ。
森下
そうそう、勝手に入っていっちゃう(笑)。
森の延長みたいなものを美しいと思っているから。
これ本当に皮肉で使われる言い方なんですが、
例えばサマーハウスを建てるとき、
材木がセットになっていて組み立てるだけの
きれいな家を建てちゃうと、
「なんだ、スウェーデンの家みたいな家!」
って言い方をされちゃうんですよ。
重松
ほう(笑)。
森下
フィンランドのサマーハウスは
ちょっとぐらい傾いてなきゃいけないんです(笑)。
重松
ところがさ、そうは言いながら、
フィンランドの人って、
対岸のエストニアをちょっと軽く見てるんだよね。
森下
あ、そうなんです、そうなんです。
重松
フィンランドとエストニアは、
シリヤラインという船で行き来できるんだけれど、
「あの船でエストニアのやつが
 いっぱい来るんだよ」とか、
路上駐車してたら、運転手が怒って、
「どうせエストニアの車だろ!」とか(笑)。
普通の日常会話の中でいっぱい出てくるんですね。
森下
そう、出てきますね
エストニア人とフィンランド人

そして逆にエストニアの人たちは
フィンランド人のことを
「トナカイ」扱いしていたりして。
トナカイというのは賢くないのだとか。
だから安いからとあおるように酒を飲んで
ふらふら歩いているフィンランド人のことを
「トナカイ」と呼んでいたりもするのです。(森下)
重松
トーベ・ヤンソンは、
言語的にマイノリティであったことに加えて、
「女性であり、芸術家であること」でも少数派でしたね。
『トーベ・ヤンソン』を読んで、
彼女が学生時代、
美術学校が女性の定員を減らしたり、
同じコンクールでも男の作品のほうが上になったり、
そんな状態だったことを知って驚いたんだけれど、
今のフィンランドは違いますよね。
これもぼくの実感として、フィンランドでは
トラムの運転手さんに女性が多かったりするでしょう?
女性の社会進出を、
対等以上にやってると思ったんだけど、
昔は、男尊女卑だったんですね。
森下
トーベの若い頃はすごいですよね。
それが変革された大きなきっかけはいつだったのか、
フィンランドの人に訊いたことがあるんです。
そうしたら、1960年代ぐらいのヒッピーの時代、
「ピース」ってやってた時代に変わったんですって。
その頃、急に、出産は女性だけの仕事だったのが、
「すべての男性が出産に立ち会うべき!」
というようなくらいの意識の改革があったんだそうです。
いまはまた、「それ(出産の立ち会い)は個人の選択」
というふうになっているんですけれど。
ともかく当時は、それが起爆剤になって、
いろいろな意識改革が進んでいったそうです。
いちど極端なほうに触れてから、少し戻る、
そんなふうに世の中が変わっていったようですね。

「それがあんたのわるいとこよ。
 たたかうってことをおぼえないうちは、
 あんたには自分の顔はもてません」
                       ──ミイ
                   『ムーミン谷の仲間たち』
             (トーベ・ヤンソン著  山室静訳)より
2015-03-06-FRI